第八百五十九話 央魔連(三)
央魔連大和支部は、大和市草薙町の最南端、八尺瓊町との境近くにその広い敷地を持っている。
大和市は、草薙町、八尺瓊町、八咫町という三つの町によって成り立っており、それら町名が三種の神器に由来することはよく知られた話だ。そして、三つの町の境界が交錯する中心部に、市の象徴たる大和タワーが聳えているのである。
大和支部の敷地内から大和タワーの全容がはっきりと見えるくらいに近い距離にあり、長田刀利が流星少女隊の新曲発表会を襲撃した際には、支部の建物そのものが激震したのではないかと思うほどの衝撃が走ったものだった。
幻魔災害が起きたのか、あるいは、予想だにしない大地震でも起きたのではないか――事情を知らない支部職員たちは、そのように考え、避難準備を進めるものもいたという。
その時間帯、部下とともにネットテレビで中継されていた新曲発表会を見ていた望実などは、攻撃魔法の雨霰の直後、大画面に長田刀利の顔が映し出された瞬間、一瞬にして頭の中が真っ白になったものである。
なぜ、長田刀利があの場にいて、攻撃魔法を使ったのか、理解が追いつかなかったし、全身が凍りつくような感覚に苛まれた。
「ですから、わたしたちは全く関知していないことなんです。このような言い訳、信じてくれないかもしれませんが……」
「信じていますよ」
「え?」
望実は、伊佐那美由理から発せられた予想だにしない言葉に目を丸くした。氷の女帝などという二つ名からは想像もつかないほどに穏やかな声音だったということも、驚きを大きくしている。
「央魔連が魔法犯罪者をけしかけてくるような組織だとは、戦団も考えていません。ましてや。魔法犯罪者の温床になっているわけがない。そんなことは、わかりきっていることです。形式的なものだと考えてください」
「……そうですか。それを聞いて、少し安心しました」
ほっとした望実の顔立ちは、多少、幸多に似ていた。幸多の顔の作りが、母親似だからだろう。望実は、幸多の母、奏恵とは三つ子の姉妹なのだ。
そっくりだとしても、なんら不思議ではなかった。
だから、というわけではないが、美由理は、時折、望美の横顔を覗き見ては、その不安げな表情に胸を痛めたりしていた。
その痛みの根源には、幸多の存在がある。
幸多が致命傷を負ったことも、望美の心痛の原因のひとつに違いないからだ。
「長田さんがなぜあのような犯行に及んだのか、わたしたちにもまったく理解が及ばないんです。長田さんは、決して魔法犯罪に手を染めるような人ではありませんでしたから」
「しかし、現実に彼は魔法犯罪を起こした。それも一千名以上の一般市民が集まる場所で。導士の対応のおかげで負傷者ひとり出ていませんが、大量の死傷者が出た可能性だってあるんです」
八田康範は、大和支部の広々とした廊下を歩きながら、隣を見た。長沢望実は、彼よりもずっと背が低いため、少し目線を下げる必要がある。
央魔連の制服である黒衣を身に纏った支部長は、物語に出てくる魔女そのものだ。
「その後発生した幻魔災害に関しても央魔連に責任を問う声もありますが、まあ、それは別の問題でしょう。ですよね?」
「幻魔災害が人為的に、意図して引き起こされたのであればまだしも、そうではない以上、責任を問うというのは酷です」
八田の同意を求める声に応えたのは、躑躅野莉華である。彼女は、携帯端末が出力した幻板を操作しながら、美由理の真後ろを歩いている。
美由理に同行した杖長とは、躑躅野莉華、宮前彰、水足レンの三名であり、彼女たちの部下がその後に続いている。
八田康範は、直属の部下である汐見有紀とともにこの一団の先頭を歩いているから、なんだか気が大きくなりそうだった。無論、緊張感も圧倒的ではあるのだが。
「というわけで、今回の強制捜査の目的は、結局のところ、長田刀利の犯行の動機や、背後関係に絞られるというわけでして」
「……長田さんは、あの日の朝、いつもより早くに支部を訪れていました。ここです。ここが長田さんの執務室で……」
望実が廊下の途中で足を止めたので、八田たちもそれに倣った。特殊合成樹脂製の扉は、木材を使っているように見えなくもない。
そしてそれは、壁や天井にも言えることだ。
なぜ建材に木材を使わないのかといえば、木材が有限かつ極めて貴重な資源であり、高級品だからだ。
それならば木材風に加工した特殊合成樹脂のほうが安上がりだし、なにより、耐久性も抜群だ。
いくら大和市の建築基準が緩いとはいえ、魔法犯罪や幻魔災害に対応した建材を用いる方が、安全面でも好ましい。
特に央魔連の支部のような人が大勢いる場所ならば、尚更だろう。
「専用の?」
「はい。央魔連の幹部には、一人一人専用の執務室が与えられるんです」
「なるほど。専用の個室なら、中でなにをしていてもだれにもわからない、と」
「それは……まあ、そうですが」
望実は、長田の執務室の扉に触れると、押し開いた。
広々とした室内は、常に清潔さを保たれていて、調度品の類に一切の乱れがない。埃一つ見当たらないほどだ。
常になにもかもが完璧に配置されているという長田刀利のどこか誇らしげな言葉が、望実の脳裏を過った。彼は完璧主義者ではないが、執務室内の配置には相当気を使ったようであり、だれかがものを動かすと、そのことで苛立ったりしていた。
望実は、ふと思い立って、そのことを八田たちに伝えた。
「それって完璧主義者っていうのでは?」
「だよなあ?」
汐見と八田が小首を傾げるのも無理はないが、望実には彼が完璧主義者ではないという根拠があった。
「長田さんが完璧主義者なら、支部長になれていたはずです」
「うん?」
「どういうことです?」
「時間は守らないし、規則は破るしで、完璧主義者とは程遠いひとだったんです。そのせいで支部長に推薦されなかったという噂です。まあ、事実でしょうが。でも、悪いひとではなかったんですよ、本当に」
望実は、主のいなくなってしまった執務机に近寄ると、刀利が決して動かすことを許さなかった置き時計に目を向けた。大和タワーを模したそれは、彼のお気に入りであるといい、だかこそ、机の上に置いているのだといっていた。
そして、動かすな、とも厳命しており、業者による定期清掃の際に少しでも動かされていると、怒鳴り散らしたものである。
故に、業者は、この部屋の掃除にはとにかく気を使わなければならず、骨が折れると愚痴をこぼしていた。
「悪い人間ではないが、良い人間でもなさそうな」
「聞いた感じだと、そう思えるな」
八田が汐見の意見に頷いているときだった。
突如として物音がしたかと思うと、望実が愕然としたような顔でもって執務机の上を見ていた。
八田は汐見と顔を見合わせ、すぐさま望実の元へ駆け寄ると、執務机の手前で足を止めた。
「な……」
「なんなんです、これ……?」
八田と汐見は、望実を見て、それから、執務机の真後ろの床が大きく口を開いている様を見た。
望実は、大和タワーを模した置き時計を手にしており、開いた口がふさがらないといった様子だった。
「大和支部に地下室があるだなんて話、聞いたこともありませんよ」
困り果てたような望実の表情からは、嘘は見られなかった。そもそも、この地下室への階段を発見したときの彼女の驚きぶりは、未知の事態に遭遇したからこそのものだろう。
そんなことは、長年警察部に務めてきた八田には一目でわかる。
長沢望実は、嘘のつける人間ではない。感情が全て、言動に出てしまっている。
「しかし、現実に地下室はあったわけです。おそらく、長田刀利は、この先の地下室で犯行計画を練っていたんでしょう。彼の自宅は捜査済みですが、犯行に関連するものは何一つ出てきませんでしたから」
「だとしても、大和支部は一切関係ありませんよ? 元々存在しない地下室を、彼が勝手に作ったんですから」
「それは事実のようだ」
「はい?」
「この建物の設計図にも、地下室の存在は確認されていない。そもそも大和市の建築基準は、葦原市や出雲市に比べて緩いからな。地下に空間的広がりを求める必要がない」
「だから、長田刀利が勝手に作った、と?」
「作ったのは長田刀利なのかはわからないが、この建物が建築された当初になかったのは間違いないということだ」
「ふむ……」
八田は、美由理がもたらした情報の正確性について、疑う余地はないと判断した。おそらく、戦団の情報局なりが掴んである以上、八田の推論などよりも余程信用が置けるのだ。
長田刀利がこの地下空間を作ったという根拠は、それだけではない。
あの仕掛けだ。
置き時計を動かした瞬間、入り口が現れたのである。置き時計は元々この執務室にあったものではなく、長田刀利の私物だという。であれば、そのような仕組みを作ることができるのは、長田刀利本人か、彼の指示に従った何者かということになる。
それだけでは、大和支部が関わっていないとは断言できないが。
八田は、大口を開けたままの地下室への入口を睨み、渋い顔をした。