第八百五十八話 央魔連(二)
央魔連こと央都魔法士連盟は、央都において暗闘を繰り広げている諸勢力の一つである。
長らく企業連が戦団に敵対的であったのに比べれば、央魔連は、戦団に極めて協力的で友好的な態度を取り続けていることでも知られている。戦団の要望に応えて央魔連の魔法士を派遣することも少なくなかったし、共同で訓練や研究を行うこともしばしばあった。
そもそも、央魔連は、央都の治安を維持するため、市民の安穏たる日常のために必要不可欠な組織として誕生している。
魔法という強大な力をだれもが当然のように使える社会において、もっとも大きな問題は、魔法そのものだ。
軽はずみな魔法の行使が、重大な事件、事故へと発展することは少なくない。
魔法は、制御してこそのものであり、制御されない魔法は、破壊的な力であり、ただの暴圧に過ぎない。
魔法士たるもの、自制するべきであり、自制できないのであれば管理されるべきだ――そのような考えを根本として、央魔連は組織された。
戦団に所属していない魔法士を管理することによって、魔法による事件、事故の防止、抑制を行うというのが央魔連の理念である。
故にこそ、戦団に対して常に協力的な態度を取っており、人材の交流も度々行っていた。央魔連に所属する優秀な魔法士が、戦団の導士へと転向した事例も少なくなければ、戦団を引退した導士が央魔連の職員になることもよくあることだ。
央魔連は、民間の魔法士互助組織なのである。
そんな央魔連から魔法犯罪者が出たのは、今回が初めてだった。
央魔連が誕生して数十年。設立以来、央魔連の魔法士は節度を護り、市民の規範となることを心がけていたし、市民からも尊敬の念を集めることこそあれど、邪険にされたり、煙たがられるようなことはなかった。
清廉潔白。
それこそ、央魔連の魔法士を象徴する言葉だった。
だが、幹部の中から魔法犯罪者が出てしまった。
それはまsない組織の根幹を揺るがしかねない大事件であり、即刻、幹部会が開かれた。
央魔連は、葦原本部、出雲支部、大和支部、水穂支部の四つの管理区分から成り立っており、本部と支部の関係は対等であるといい、本部や支部を取りまとめる本部長、支部長は央魔連の大幹部として同格なのだという。
本部長と三支部長の上には、央魔連の頂点に君臨する盟主がいる。
現在の盟主は三代目で、辻荘一という人物だ。魔暦百七十一年生まれの五十歳。魔法士として極めて優秀であり、故に戦団が何度となく勧誘したというが、彼は固辞し、央魔連に留まり続けた。
央魔連には央魔連の役割があり、使命があるのだ、と。
そんな辻荘一にとっても、長田刀利の犯行は、予期せぬ出来事だっただろうし、衝撃的な大事件だったに違いない。
央魔連の理念を否定し、存在意義すらも揺るがしかねないほどの大事件。
幹部会は紛糾し、大和支部長・長沢望実の責任問題へと発展していったが、会議にばかり熱中していられるような状態ではなかった。
央都政庁や戦団への対応を行わなければならず、そのために長沢望美を矢面に立たせる判断をしたのは、ある意味では当然だっただろう。
大和支部の長である彼女には、直属の部下である長田刀利の監督責任がある――。
幸多は、そのような情報が幻板上に次々と展開されていくのを目で追い続けていた。
流星少女隊の新曲発表会に関する報道もある。いや、報道するまでもなかったはずだ。
なぜならば、流星少女隊の新曲発表会は、双界全土に同時中継されていたのだ。
長田刀利による犯行の瞬間も、はっきりと映されていたし、視聴者たちの目にも焼き付いたはずだ。
もっとも、最初の魔法攻撃以降の映像は、ヤタガラスでこそ捉えていたものの、中継されてはおらず、双界中を騒がせているらしい映像の数々は、現場付近にいた市民が撮影したもののようだ。避難警報が鳴り響く中、撮影された動画が、ネットワークを漂流しているのである。
長田刀利の魔法犯罪が世間を騒がせただけではない。長田刀利が死に、それによって鬼級幻魔が発生したという事実もまた、大きな動揺を生んでいた。
鬼級が討伐されたならばまだしも、取り逃してしまったのだから、なおさらだろう。
「それで、戦団は央魔連大和支部の強制捜査を行うことに決めたんだけど、その捜査に伊佐那軍団長が立ち合ったのよ」
「師匠が?」
「本当、あなたって色んな人に愛されてるわね。妬けるわ」
「はい?」
「冗談よ。それで――」
明日花は、思わず本音が漏れてしまったことに気づくと、慌てて話題を戻した。
伊佐那美由理が、央魔連大和支部の強制捜査に同行したのは、上層部からの指示や命令ではなく、軍団長権限を駆使してのことである。
もちろん、越権行為などではない。
「万が一の可能性を考えれば、当然のことだ」
だれに聞かれたわけでもないのにそのように告げたのは、少しばかり動機が不純だという認識があったからに違いない。
美由理は、内心、己の衝動的な行動に嘆息すら漏らしていた。
本来ならば、強制捜査など、警察部に任せておけばいい。
今回だって、警察部が主導となって行うことになっていて、戦団の導士たちの出番などあろうはずがなかった。
だが、しかし、万が一の可能性があるということで、警察部から戦団に導士の同行を希望する声があったのもまた、事実である。
まさか央魔連が長田刀利をけしかけたなどとは思うまいが、万に一つの可能性を否定してはいけない。あらゆる状況、あらゆる可能性を想定しておくべきだったし、そのためにも、警察部は、戦団の助力に期待したのである。
警察部の捜査員は、優秀な魔法士ばかりだし、戦闘経験も積んでいる。魔法犯罪者を取り押さえるのも、警察部の仕事だ。とはいえ、央魔連の魔法士が相手と想定するのであれば、やはり、それ相応の戦力が必要だった。
それこそ、戦団の導士である。
ところが、戦団から提供された戦力があまりにも過剰だったものだから、八田康範は閉口したものだった。
第七軍団長・伊佐那美由理と杖長三名、杖長の部下九名という大人数である。強制捜査に動員する戦力としては、過剰にも程があるのは間違いない。
とはいえ、央魔連が魔法犯罪者の巣窟になっている可能性を考慮すれば、戦力はどれだけあっても問題ではない。
むしろ、安心こそするのだ。
八田康範は、央都政庁警察部魔法犯罪対策課の警部補である。
魔法犯罪対策課は、その名の通り、魔法犯罪に対応する部署であり、魔法犯罪の防止に務め、魔法犯罪に関連する様々な物事を取り扱っている。
故に、この度、央魔連大和支部に乗り込むことになったのだ。
なんといっても、大和支部の幹部である長田刀利が、魔法犯罪に手を染めてしまったとあれば、避けようのない事態だ。
しかも、長田刀利の犯行は、戦団への宣戦布告と取られてもおかしくないものであり、故に央魔連全体が緊張感に包まれ、人身御供として大和支部長を捧げようとした動きがあったという噂がまことしやかに流れるのも、不思議な話ではなかった。
大和支部長・長沢望実に全ての責任を負わせることによって、央魔連への被害を極力抑えようというのだろう。
しかし、警察部にとっては、そんなことはどうでもよかった。
央魔連の政治的な判断よりも、魔法犯罪者・長田刀利の背後関係を暴くことの方が重要であり、そのために彼が活動拠点としていた大和支部の強制捜査に踏み切ったのである。
そんな警察部と戦団の大所帯に対応したのは、支部長・長沢望実だ。
「何度も申し上げている通り、央魔連は、長田刀利の犯行には関与していません。そして、央魔連は潔白な組織です。もちろん、言葉だけでは信用できないでしょうから、好きなだけ調べてくださって結構ですが……」
「いわれるまでもありませんよ。こちらは、央都政庁の指示で動いていますんでね」
美由理が、八田康範と長沢望実のそんなやり取りをどこか上の空で聞いていたのは、幸多のことを考えていたからだ。
幸多の緊急手術は無事に終了し、意識を取り戻すのを待てばいいということだったが、それでも、考えざるを得ない。
幸多は、天空地明日花を鬼級幻魔の攻撃から庇い、致命傷を負った。
幸多以外の人間ならば、間違いなく即死していただろうし、美由理は、その現場に到着した直後にその光景を目の当たりにして、息が止まりそうになったものだ。全身から血の気が引いていき、つぎの瞬間には、細胞という細胞が沸騰した。
幸多の腹に大穴が開き、大量の血が噴き出していた。血はすぐに止まったようだが、それだけで助かるなどとは思いようもない。
あの瞬間の美由理には、幸多の体が特別製であり、尋常ではない生命力を持っているという事実に縋ることしかできなかった。
なにより、鬼級幻魔との戦いの最中である。
唯一に近い対抗手段である星将が、愛弟子が死に瀕しているという理由だけでその場を離れるわけにはいかなかった。
美由理は、使命を全うしたのだ。
鬼級幻魔を討滅するべく全力を尽くした。
星象現界・月黄泉は通用した。あの名もなき鬼級は、静止した時間の中で当然のように身動き一つ取れなかった。時間が凍ったことすら認識できなかっただろう。そして、時が再び動き出したとき、星神力の限りを尽くした攻型魔法の嵐が、鬼級の肉体の過半数を消し飛ばしたのだ。
だが、それだけだった。
鬼級は、その肉体を瞬く間に復元させると、大和タワーを倒壊させるほどに魔力を荒れ狂わせ、そして影に飲まれて消えて失せた。
鬼級幻魔を取り逃してしまった。
紛れもなく、美由理の失態である。
しかし、そのことで戦団上層部が彼女に責任を問うことはなかった。
美由理一人では、星将一人では、鬼級幻魔に食い下がるのが関の山だという圧倒的な事実をだれもが認識しているからだ。
鬼級幻魔とは、それほどまでに絶大な力を持っている。
つまりは、幸多が息を吹き返したのは、蘇生に成功したのは、まさに幸運以外の何物でもないということだ。