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第八百五十六話 皆代幸多(三)

「そうそう、あなたが目覚めたらすぐに報せるようにっていわれたから、医務局長に連絡しておいたわ」

「あ……ありがとう……って医務局長?」

 幸多こうたが状況を飲み込めずきょとんとした顔を見せると、明日花あすかが微笑んだ。幸多が驚くのも無理はないからだ。

 通常、負傷者を搬送するのであれば、距離の近い場所を選ぶはずだ。

 大和やまとタワーから最も近い戦団の医療施設といえば、大和基地内の医療棟ということになる。

 実際、明日花もそう考えていたのだが。

「ここは、戦団本部の医療棟よ」

「戦団本部……大和基地じゃなくて?」

「ええ。あなたは、わたしをかばって重傷を負った。重傷っていうか、致命傷よね。普通の人間なら即死してもおかしくなかったほどの……」

「ぼくは、普通じゃないから」

「……そうみたいね。医務局長がそう仰られていたのを聞いたわ。とても信じられない話だけど、実際に目の当たりにすれば、信じるしかないわよね」

 明日花は、幸多の腹に開いた穴の大きさと大量の血が噴き出す様を脳裏のうりに思い出しながら、息を吐いた。あのとき、幸多が身をていして庇ってくれたからこそ、明日花は生き延びることができた。

 それは疑いようのない事実だったし、厳然たる現実だ。 

 あのとき、あの瞬間の明日花は、無防備だった。

 そしてあの鬼級幻魔の一撃は、どれだけ鍛え上げられた導士であっても、確実に殺しきるものだったのだ。

 けれども、幸多は、生きていた。

 幸多だから、生き延びることができたのだ。

「あなたが瀕死ひんしの重傷を負った直後、伊佐那いざな軍団長が到着されてね。状況は一変した。それで、わたしにあなたを搬送するよう指示が降った。で、搬送先に指名されたのが、本部だったってわけ」

「なんでまた……」

「それは、あなたのほうが詳しいんじゃないの」

「……ああ……そういうことか」

 幸多は、ようやくすべてを理解した。

 自分の体が常人とは異なる特別製だということを思い出せば、納得するしかない。腹に穴が開いたのだ。治癒魔法でどうこうできる問題ではなかったし、大和基地の医療設備でもどうしようもなかったのではないか。

 だから、戦団本部の医療棟に搬送されることになったのだ。

 戦団本部には、最先端の技術が結集している。医療技術も、医療設備も、他の基地とは比較にならない。

 いまや、幸多の腹は完全に塞がっていて、傷痕きずあとひとつ見当たらない。腹に触れても痛まないし、なにかが不足しているような感覚もない。

 完璧な処置がなされている。

 腹を貫かれたのだ。

 臓器が傷つき、あるいは破壊され、まさに死に瀕した状態だったはずだが、その後遺症すらないというのは、とんでもないことではないか。

 完全無能者の、魔法の恩恵を受けることのできない肉体をこうまで完璧に治療することは、簡単なことではあるまい。

 あらゆる状況を想定しておかなければならないだろうし、専用の知識、技術がいるのではなかろうか。

 少なくとも、通常の魔法医療では対応しきれないのは間違いない。

 幸多が考え込んでいる様子を眺めながら、明日花は、心底安堵している自分に気づく。彼が無事に意識を取り戻し、言葉をかわすことができているという事実が、ただただ嬉しいのだ。

 幸多は、自分の窮地を救ってくれたのだ。

 そんな彼が一命を取り留めたはいいが、あのまま目覚めることなく眠り続けることになれば――そんなことを考えながら、看病していたのである。

 だから、というわけではないが、明日花は口を開いた。

「本当、大変だったんだから」

「すみません」

「なんで謝るのよ」

「え?」

「別に、医務局長と日岡ひおか博士が大騒ぎしたことくらい、どうだっていいのよ。感謝したいのは、こっちなんだから」

「感謝……」

 幸多が彼女の一言を反芻はんすうしたのは、思いも寄らない言葉だったからにほかならない。

 しかし、明日花には、それ以外にはなにも考えられなかったし、だからこそ、今日という休養日の全てを幸多のために使ったのである。

 心底そうしておいて良かった、と、彼女は思ったものだ。

 流星少女隊りゅうせいしょうじょたいは、広報部に所属している。

 戦闘部第七軍団に所属し、常日頃、様々な任務に飛び回っている幸多とは、直接顔を合わせられる機会など、そうあるものではない。

 幸多が一命を取り留め、あとは意識を取り戻すのを待つだけという状態にまで完治したというだけでも嬉しかったが、しかし、一方でこの機会を逃せば、感謝を伝えることもできなくなるのではないかという不安もあった。

 今回は、幸多は蘇生された。

 しかし、これから先のことはわからない。

 幸多は、自分の命などなんとも思っていないようなふしがある。

 だれかのために、自分以外の他人のために平然と命を放り出せる人間は、模範的な導士は、いつどこで命を落としたって不思議ではない。

 死は、隣人だ。

 常に導士の傍らにいて、いつもすきうかがっている。

 命を奪う機会を。

 今回、幸多が助かったのは、幸運に恵まれただけのことだ。

 伊佐那美由理(みゆり)たちの到着が少しでも遅れれば、幸多の命はなかった。

 そして、明日花たちもどうなっていたものなのか、まるでわからない。

「だって、あなたが助けてくれなかったら、間違いなくわたしは死んでいたもの」

 それだけは確かだから、明日花は、幸多のことを見るだけで胸が痛むのだ。いまでこそ全くの無傷の彼の体だが、明日花の網膜には、腹に穿たれた大穴が鮮明に焼き付いている。

 まぶたを閉じれば、彼に庇われた瞬間が思い出された。

「本当に、ありがとう」

 明日花の心の底からの言葉を受けて、幸多は、どう返答すればいいのかと考えたが、そうしている間に病室の扉が叩かれたから、うやむやになってしまった。

 病室を訪れたのは、医務局長・妻鹿愛めがめぐみである。

 愛が幸多の容態ようだいを確認するまで、明日花との会話はお預けとなってしまった。


 幸多の負った傷は、致命傷以外のなにものでもなく、常人であれば即死していてもなんらおかしくないものだった、と、愛は言った。

「まあ、きみの選択だからね。それを否定しようとは思わないよ」

 とはいいながらも、愛が幸多になにかいいたそうにしていたのは間違いなかった。

 幸多が自分の身をかえりみず、明日花を庇ったことそのものは、問題ではあるまい。

 導士は、人のために、誰かのために、他者のためにこそ、存在する。

 護るべきは一般市民だけではなく、同僚たる導士を窮地から救うのもまた、導士の役割であり、使命だ。

 幸多は、導士の使命に従ったまでだ。

 その結果、命を落としたというのであれば、それは仕方のないことだと諦めるしかない。

 死に急いでいるわけではないが、しかし、相手が鬼級幻魔ならば、いつそのような場面に出くわしたとしてもおかしくはない。

 そして、そうなったとき、咄嗟とっさに、無意識に体が反応した――ただ、それだけのことだ。

 それだけのことで医療棟が大騒ぎになったのは、申し訳ないと思うのだが。

「まあ、申し訳ないと思うのなら、これからはもう少し上手くやってもらいたいものさね」

 愛は、幸多の謝罪に苦笑を漏らした。幸多の体調が万全であり、なんの問題もないことを確認する。機器によって読み取られた生体情報は、移植された臓器が完璧に順応していることを示していた。拒絶反応はなく、なんの問題も見当たらない。

「きみの体は特別なんだ。治癒魔法が効かないからね。本当、大変だったんだよ。イリアが事前に用意しておいてくれたからよかったものの、そうじゃなかったらどうなっていたことか」

 穴が開いたまま、生活しなければならなかったかもしれない、などと、愛は笑った。

「穴が開いたまま、生きられるものなんですか?」

「きみは、生きていたよ」

「はあ」

「きみの体内を巡る超分子機械は、きみを生かすために最善を尽くした。その結果、きみの土手っ腹に大穴が開いたままでも、生き続けられたんだろうさ。まあ、それできみの意識が目覚めたのかは不明だけどね」

 イリアは、幸多の状態を確認し終えると、端末を閉じた。

 幸多の状態そのものは、手術を終えた直後から既に安定していたため、なんの不安も抱いていなかったのだが。

 こうしてすぐに目覚めてくれたことで、心底安堵するのである。

 腹に穿たれた大穴も完全に塞がり、損傷した臓器のうち、いくつかは生体臓器と取り替えることによって対処した。

 ちょっとした傷ならば、分子機械が修復してくれるのだが、鬼級幻魔の魔力のせいで回復が遅々として進まず、むしろ悪化し続けている臓器があったのだ。

 それらと取り替えた生体臓器は、イリアが予め用意していたものだ。

 幸多の特別製の体に合わせた、一切の魔素を宿さない生体臓器は、彼の体細胞を培養して作られたものだという。

 その取り扱いは極めて難しく、イリアにも手伝ってもらわなければならなかった。


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