第八百五十四話 アイドルたち(七)
鬼級の力は、圧倒的だ。
真星小隊と流星少女隊の全員が力を合わせても歯が立たない相手だということは、端からわかりきっていたことだ。
敵うはずがない。
新たに出現した幻魔が鬼級だと判明したとき、義一は、絶望すら感じたものである。
この場にいる全員が一瞬にして皆殺しにされたのだとしてもおかしくないのではないか。
そう思えるほどに、鬼級幻魔の力というのは強大無比なのだ。
つい一月前、絶大な力を持つ鬼級幻魔を討伐したという実績が、真星小隊にはある。だが、それは殻石を破壊することによる勝利であり、鬼級幻魔とまともに戦って勝ち取ったものなどではないのである。
いままさに真白の堅牢強固な魔法壁が、鬼級が殴りつけただけで粉砕された。強大な魔力の籠もった打撃。余波が衝撃波となって真白たちを吹き飛ばし、傷だらけにする。
真白は、歯噛みして律像を組み上げながら、視界の片隅に市民が避難する様を捉えて、安堵する。全身がひどく痛むが、そんなことはどうでもよかった。
真白たちの使命は、市民の安全を確保することだ。
そのために、命を燃やす覚悟はとっくに出来ている。
「輝きの息吹」
真白が放った光が分厚い防壁を構築した直後、鬼級が再び殴りつけてきた。魔法壁が一瞬にして崩壊し、さらなる衝撃が真白を貫く。破壊の余波だけで、意識が飛びそうになるほどだった。
鬼級の赤黒い目が真白を捉えたが、すぐさま視線が動いた。真白が魔法の腕に掴まれてその場から動いたこともあるだろうが、魔素質量にこそ、引かれているようだった。
直後、黒乃の大魔法が、鬼級を飲み込む。
徹底的な破壊をもたらす特大の暗黒球。
崩轟撃。
「あの幻魔、なんか様子がおかしかねえか? あれが本当に鬼級なのか?」
真白は、鬼級を飲み込んだ黒乃の暗黒球が、その内部に破壊の嵐を巻き起こす様をみていた。全身の傷という傷は、義一の治癒魔法によって塞がれ、痛みも消え失せていく。
「うん。魔素質量だけなら、鬼級だよ。ぼくがいうんだ。間違いない」
「自信満々だな」
「それがぼくの存在意義だからね」
「お、おう……」
「ただ……まるでなにも考えていないようには見えるね」
「……だよな」
真白が義一の言葉に頷いたときには、暗黒球が内側から破壊され、ばらばらに砕け散った。鬼級が飛び出してきて、黒乃へと殺到するが、氷壁に阻まれる。
流星少女隊の防手・黒狐の魔法だ。
鬼級が吼え、氷壁が爆砕されたものの、周囲に散らばった破片が大気中の水気を凝固させ、さらに幾重にも氷壁を構築していき、鬼級を氷の牢獄に閉じ込めることに成功する。
「さっすがくろろん!」
「安心なさらないでください!」
「おっけー! まーかせって!」
陽歌は、大きく頷くとともに魔法を発動させた。手の先から伸ばした魔法の帯で以て、鬼級を閉じ込める氷の牢獄そのものを雁字搦めにすると、ぐるぐると振り回して放り投げたのである。
超高速で、舞台跡に穿たれた大穴へと飛んでいく氷塊は、しかし、その途中で粉々に砕け散った。鬼級が氷塊と魔法の帯を破砕したのだ。そして、鬼級が重力を無視して飛翔したところを、明日花の魔法が襲いかかる。
深紅の竜巻が、鬼級を包みこんだ。
だが、それでも鬼級は止まらない。止まりようがない。
鬼級の力は、導士たちの奮闘など嘲笑うかのように強大であり、傷つけることすらままならない。仮に傷つけることができたとしても、瞬く間に再生するのもわかりきっている。
だからといって、市民が避難し終えるまでは、鬼級から目を離すことなど出来るわけもない。
いや、仮に市民の避難が完了したとしても、真星小隊と流星少女隊は、できる限りのことをするつもりだった。
(できる限りのこと)
幸多は、深呼吸すると、鬼級がまたしても雄叫びを上げるのを聞いた。大気を震撼させる大音声が、真言そのものとなって魔法を発動させる。
鬼級を中心として空間自体が爆砕したかと思えば、防型魔法のことごとくが消し飛び、導士たちが吹き飛ばされていく様を見た。だれもが全身に傷を負い、血まみれになっていた。
そして、そのただ中を鬼級が飛ぶのを幸多は見逃さなかったし、故に体が反応していた。
『幸多!』
スクルドの警告も、無意識の反応には意味を為さない。
超高速滑走からの跳躍によって鬼級の目的地に先回りした幸多は、その赤黒い双眸が自分を視ていないことを認識した。
重装備を纏い、多少の魔素質量で全身を覆ったところで、本能のままに動く幻魔の興味を引くことなどできないのだろう。
だが、それでいい。
だからこそ、先回りすることができたのだ。この腹を貫く痛みも、その証だ。
(でも……)
幸多は、鬼級が状況を理解できないといった様子で、彼の腹を貫いた右腕を引き抜く様を見ていた。鎧套の重装甲を貫通し、腹に開いた大穴から噴き出すのは大量の鮮血であり、激痛が意識を苛んだ。一瞬にして、視界が狭まっていく。
(思ったより痛かったな)
『だから言ったのに』
スクルドの困り果てたような声に悲壮感がなかったのはどういう理由なのか、幸多の薄れ行く意識は、そのことばかりを考えていた。
明日花は、愕然とするほかなかった。
空間爆砕の直後、鬼級が明日花に向かって飛びかかってきたのは、彼女が攻型魔法を編み上げていたからだ。それも彼女にとって最大最高威力の魔法であり、だからこそ、鬼級は明日花を標的としたに違いなかった。
それは、わかる。
だが、つぎの瞬間飛び込んできた光景は、想像だにしないものだった。
視界を幸多の背中が覆い隠したかと思うと、その全身を覆う分厚い装甲を幻魔の手が貫いたのである。魔法合金製の重装甲も、鬼級の力の前には紙くず同然だといわんばかりであり、幸多の背から飛び出ていた幻魔の手が真っ赤な血にまみれていた。
鬼級が手を抜き取れば、幸多の体が支えを失って落下していく。
「皆代くん!」
明日花は、咄嗟に降下して幸多を抱き留めたが、彼に反応はなかった。
仰ぎ見れば、鬼級は、己が手を見ていた。幸多の血にまみれた右手。真っ赤に輝いてさえいるようだった。
「てめえっ!」
「おまえは!」
「よくも隊長を!」
真星小隊の導士たちが、ほとんど同時に魔法を放ち、鬼級を押し退けたものの、そんなものは一時凌ぎにすらならないことは、だれの目にも明らかだ。
そこへ、無数の魔力体が飛来して、鬼級に殺到した。
明日花は、それが招集された導士たちによる攻撃だと理解しながらも、そんなことを考えている余裕もなかった。
幸多は、意識を失っている。当然だ。腹に大穴が開いているのだ。ショック死してもおかしくないくらいの状態だった。息をしているのが奇跡なのではないかと思うほどだ。
闘衣の機能によるものなのか、はたまた鎧套の機能なのか、血は止まっていた。大量に噴き出したかと思われたが、失血死の可能性はなくなったと考えてよさそうだ。
しかし、傷口の生々しさ、痛々しさからは、彼を一刻も早く治療しなければならないのは間違いなかった。
鬼級が、吼えた。
空間爆砕が起こり、衝撃波が、抱えた幸多ごと明日花を吹き飛ばす。
明日花は、幸多を離すまいと強く抱きしめ、その命を感じた。呼吸音がわずかに聞こえる、それだけが、彼の生きている証だった。
ああ、と、明日花は思う。
幸多だから生きているのではないか、と。
これもし明日花だったならば、絶命していたに違いない。
明日花は、だからこそ、なんとしても幸多を助けなければならないと思ったし、そのために自分ができることはなんなのかと考えた。
鬼級と戦うことに意味はない。
勝てる相手ならばともかく、そうではないのだ。
明日花程度の魔法技量では、足手纏いになるだけだ。
現場には、既に第七軍団の主戦力が揃っていた。
つまり、伊佐那美由理率いる第七軍団の導士たちである。
全十名の杖長が総動員されており、鬼級幻魔を包囲していた。
「待たせた。後はわたしたちに任せたまえ」
伊佐那美由理は、鬼級幻魔を見据えていた。
いままさに誕生したばかりの鬼級幻魔は、その赤黒い目で美由理を見据えると、目線を一切逸らさなかった。
美由理が展開する超高密度の律像と、莫大な星神力に目を奪われている。
「千陸百壱式・月黄泉」
美由理が告げ、世界中の時間が静止した。