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第八百四十七話 オベロン(五)

 鬼級幻魔おにきゅうげんまオベロン。

 〈クリファ恐府きょうふ殻主かくしゅたる鬼級幻魔オトロシャに従う、三魔将さんましょうの一体である。

 その姿形については、リリス文書にも記載されていなかったものの、存在自体は、リリスに触れられている。

 残りの三魔将であるトール、クシナダについても、だ。

 しかし、オトロシャについては、リリスにすらも正体不明とされており、名前からもどのような幻魔なのかは想像もつかないまま、長い年月が過ぎ去っている。

 それは、ともかく――。

「オベロンが干渉してきただと」

火倶夜かぐやちゃんとの会話の記録、聞いてみる?』

 通信機越しに聞こえてくるのは、普段となんら変わらない麒麟きりんの声だ。彼女が朱雀院すざくいん火倶夜に対し格別の親しみを込めるのは、火倶夜もまた、麒麟にとっては家族のような存在だからだが。

「ああ、聞かせてもらおう」

 神威かむいは、うなずき、天を仰ぎ見た。大地に、仰向けに横たわっている。

 青ざめた空は、どこまでも限りなく広がっているようだ。雲一つなく、太陽は遥か彼方にあるように感じられる。宇宙の広がりすら実感できるのは、感覚があまりにも冴え渡っているからだろう。

 五感が、暴走しているのがわかる。

 際限なく膨れ上がり、無限に研ぎ澄まされていく。

 このままでは、感覚だけで宇宙全体を把握できるのではないかと錯覚してしまうほどに。

 通信機越しに聞こえるはずのない麒麟の鼓動すらも、神威の耳に届いていた。極めて正常な、健康そのものの彼女の心音。

 その拍動には、安心感を覚える。

 ここは、空白地帯。

 つい先程までは〈殻〉が存在していた領域は、神威一人によって滅ぼされ、そして、竜級幻魔ブルードラゴンの到来によってさらなる壊滅的打撃を受けていた。

 なにもかもが跡形もなく消し飛ばされ、辛くも生き残っているのは、神威だけだ。

 神威すら、瀕死ひんしの重傷だった。

 だが、生きている。

 生きて、空を見ている。

 蒼き竜が飛び立ち、消え去った空の彼方。

 青ざめた空は、彼の大敗を嘲笑あざわらうでもなく、失態しったい侮蔑ぶべつするでもなく、この有り様に同情するでもなく、ただ当たり前のようにそこにあるのだ。

「鬼級も千差万別だな」

『まるで人間のよう』

『人間のように欲深く、野心に忠実だ。しかも力を伴っているから歯止めがきかないと来ている。困ったものだ』

『オトヒメのような例外もいる』

『あれは例外中の例外だろう』

『オトヒメを例外たらしめているのは、オロチの存在が大きいと見ていますが』

 護法院ごほういんの会話が、通信機越しに聞こえてくる。

 オロチへの強い信仰が、オトヒメの鬼級としての本能を抑え込んでいるのではないか、というのが戦団が打ち立てた仮説だが、本当のところは、よくわかっていない。

 人間や他の動物に性格などの個体差があるように、幻魔にも個体差があるのだとしてもおかしくはないし、実際にその通りなのだろう。

 特に鬼級は、妖級以下の幻魔とは異なり、強い自我と個性を持つ。故に、鬼級一体一体が異なる価値観や考え方を持っていたとしても、なんら不思議ではなかった。

 大半の鬼級が、本能に突き動かされるようにして領土を持ち、領土の拡大にこそ心血を注いでいるという事実はあるのだが、しかし、オトヒメのような博愛精神の持ち主もいれば、マルファスのようにオトヒメを支えるために全力を尽くそうとしているものもいる。

 オベロンが、人間の、戦団の存在を奇貨きかと見、利用価値を見出したのだというのであれば、それもまた、ありうることなのではないか。

 ずたぼろになった導衣どういの、しかしなんとか無事な通信機能を頼りに、護法院の長老たちと言葉を交わしながら、神威は静かに体を起こす。吹き飛ばされた下半身が元通りに再生したからだ。

 見回せば、つい先程まで辛くも形を残していた〈殻〉の跡地が、ブルードラゴンの咆哮によって根こそぎ吹き飛ばされていることがわかる。

 ここは、央都の遥か南方、海を越えた先にある小さな島である。

 かつて淡路島あわじしまと呼ばれた島は、いまや幻魔の巣窟と成り果てており、複数の鬼級幻魔が領土争いを繰り広げていた。

 シヴュラ、ウラ、ハルファス、ダキニテン、ヴァレフォル、アバドン、ポセイドン、バルドル、ヴァルナ――小さな島の覇権を巡り、これだけの鬼級幻魔がぶつかり合っていたのだ。

 そんな幻魔島の最南端に、神威はいる。

 そこは、鬼級幻魔ヴァルナの〈殻〉が存在していた場所であり、いまはなにもない空白地帯と化した領域である。

 鬼級幻魔ヴァルナは、神威によって滅ぼされた。

 激闘というほどのものも起こらなかった。

 一蹴。

 まさに一瞬にして蹴りがつき、〈殻〉は崩壊し、ヴァルナ配下の幻魔たちも大量に死に絶えた。生き残ったものたちは、我先にとこの場を逃げ去ったのだが、それは紛れもなく正しい判断だっただろう。

 ヴァルナの死によって〈殻〉が崩壊した直後、ブルードラゴンが到来したからである。

 竜級幻魔の襲来は、それだけでとてつもない被害を巻き起こす。壮麗な建物群がまだしも残っていた〈殻〉の跡地が、根底から消し飛ばされ、なにもかもが消滅してしまった。

 ヴァルナの死骸も、大量の幻魔の死骸も、なにもかも。

 そんなブルードラゴンの絶対的な力に打ちのめされながらも、神威だけは、生き残った。

 生きている。

 そして、これまた無事だった封印装置《眼帯》を付け直すことで竜眼りゅうがんの力を抑え込むと、遥か頭上に現れたトリフネ級輸送艇・天陽てんようを仰ぎ見る。両舷から光の翼を生やした空飛ぶ船の姿は、神話の光景のようだ。

 神威は、天陽に乗って、ここまで来たのだ。そして天陽は神威を透過すると、すぐさまこの場を退避した。そうしなければ、神威の力に巻き込まれる可能性が限りなく高いからだ。

 そして、状況が終了したいま、迎えに来たのである。

「オベロンがなにを企んでいるのかは不明だが……少なくとも我々に利用価値を見出したのは間違いあるまい」

『それは、良いことでしょうか?』

「どうかな。幻魔はどこまでいっても幻魔に過ぎん。オトヒメは例外的だが、それもオロチの存在があればこそだ」

 オロチと出逢わなかった場合のオトヒメは、現在のオトヒメとはまるで異なる性質の持ち主だったかもしれない。

 領土的野心に目覚め、能動的に外征を行っていた可能性だって、十二分に考えられる。

 天陽が降りてくるのを待ちながら、神威は、考え込む。

「オトヒメにとってのオロチがオベロンに存在するのであればまだしも、そうではないというのであれば、難しいところだ」

 オベロンは、オトロシャへの翻意ほんいをほのめかしており、そのために外部の戦力を利用しようと企んでいるような節があった。

 それは、戦団にとっての奇貨となるのか、どうか。

『オベロンがなにを企んでいるにせよ、恐府の攻略はなんとしても為さねばならん。目下、最大最強の敵が恐府であり、オトロシャなのだからな』

「この五十年、全く動かなかった理由はわかったが、とはいえ、過信するわけにもいくまい」

『全くだ。オトロシャがなにを考えているのか、オベロンですらわからないというのであれば、いつ攻め込んできてもおかしくないということだ』

『一先ず、恐府方面の防備は固めておくべきですね』

「ああ。それから……クニツイクサか。あれは使い物になりそうなのか?」

『技術局との共同開発により、完成目前といったところですよ。完成した場合、まずは百機、建造する予定だそうです』

「百機か。随分とまた強気だな」

『それでも全然足りませんが』

「まあ……その通りだ」

 神威は、天陽から降りてきた総長特務親衛隊の導士たちが、我先にと駆け寄ってくる様を見て、目を細めた。彼らが慌てているのは、この空白地帯がすぐにでも激戦地になるだろうという予想があるからだろう。

 〈殻〉が滅びたのだ。

 この小さな島の覇権を巡る闘争は、それによって一気に加速するかもしれない。

『それで……そちらはどうなのです?』

「駄目だな」

 首輪部隊に急かされるまま天陽に乗り込んだ神威は、揚力場発生装置を作動させることによって船の側面に出現する光の翼を見ていた。翼を生やした巨大な船が、重力の軛から解き放たれるようにして浮上すれば、速やかに高度を上げていく。

 すると、眼下に魔法が飛び交った。

 空白地帯を巡る戦いが始まったのだ。

 東からはヴァレフォル軍が、北からはアバドン軍が、そして西からはポセイドン軍が、つい先程まで厳然として存在していたヴァルナの領土を我が物とするべく、押し寄せてきていた。

 〈殻〉は、それそのものが抑止力となる。

 空白地帯が生まれるのは、〈殻〉が球形の結界だからであり、〈殻〉と〈殻〉が接触した場合、どれだけ力の差があろうとも、反発し合って広がらないからだ。

 だから、地上には無数の重なり合わない球体があり、球体と球体の間に生じる隙間が、空白地帯と呼ばれる領域なのである。

 〈殻〉の一つが完全に消滅したとなれば、広大な空白地帯が生じるわけであり、その空白地帯の領有権を巡って、近隣の〈殻〉が軍勢を動かすのも当然の結果だった。

「確かにこの力は鬼級を圧倒できるが、ブルードラゴンを召喚することにもなる」

 無数の幻魔が相争う様を遥か眼下に見下ろしながら、神威は、苦い顔をした。全身の細胞をき続けるかのようにして、ブルードラゴンの力の残り火が疼き続けている。

 生きているのが不思議だった。

 滅ぼされてもおかしくはなく、故にこそ、このような調査は行うべきではなかったのではないか、とも考えるのだ。

 神威の身に宿る、竜級の力。

 その使い道について、ようやく調査することとなった結果がこのザマなのだ。


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