第八百四十話 先行攻撃任務(三)
幻魔の大群を迎え撃ち、撃退せしめることに成功したのは、長時間に及ぶ戦闘の末のことだ。
数え切れないほどの大軍勢が前方広範囲を埋め尽くすように展開し、倒しても倒してもきりがなかった。
火倶夜は、持久戦を覚悟するとともに、部下たちに奮起を促した。
つまりは、防型魔法を張り巡らせることによって自軍の陣地を構築し、幻魔の猛攻を耐え凌ぎながら、一体、また一体と撃破していくという戦法である。
先行攻撃部隊は、たった百人である。
されど百人の導士たちは、全身全霊でもって協力し、連携し、幻魔の大軍勢を打ち払って見せたのだ。
少なくとも、先行攻撃部隊の損害は軽微であり、オトロシャ軍の被害のほうが遥かに大きいはずだ。った
そして、幻魔の群れが、まるで潮が引いていくようにして撤退を始めたのは、どういう理由があるのかは不明だが、それによって火倶夜たちは、当初の目的を達することができたのである。
『速やかな撃退が不可能と見るや、迅速な撤退……なにかしら意図があってのものと思われますが、どうでしょう』
「間違いなく、上からの指示でしょうね。こちらに攻撃したのだって、最初からそういう命令を受けていたからよ。殻印持ちの幻魔たちは、殻主の命令に従うものだものね」
火倶夜は、部下たちが簡易拠点の構築に勤しむ様を見回しながら、情報官との通信を行っている。オトロシャ軍の第二波を凌ぎきったことで、部隊全体に余裕が生まれ始めている。
恐府攻略のための橋頭堡の構築。
それこそが火倶夜率いる先行攻撃部隊の使命であり、四度目となる攻撃作戦の第一目標である。
簡易拠点の中心には擬似霊場発生装置イワクラが設置されており、イワクラが生み出す霊的結界が〈殻〉の内部にある種もう一つの〈殻〉を形成していくと、恐府の阻害効果が体内から除去されていく様が実感できた。
そして、展開型簡易防壁ヤマツミが、擬似霊場結界の周縁部に配置され、魔法合金製の防壁が組み上げられていくと、それだけで簡単ながらも強固な拠点が完成するのである。
それによってようやく導士たちは、安心して休息することができるのであり、火倶夜も、胸を撫で下ろすような気分だった。
四度目の先行攻撃作戦は、いまのところ、順調そのものだ。
「オトロシャの指示なのか、それとも、オトロシャの幹部たち――三魔将だったかしら?――の命令なのかはわからないけれど、こちらの侵攻が気づかれているのは間違いないでしょうね」
『当然でしょう。〈殻〉は、星象現界に等しい代物。使い手であるオトロシャには、その内部で起きているあらゆる出来事が手に取るように把握できるはずです』
「そう……なのよねえ」
『火倶夜様?』
「本当、鬼級幻魔ったらなんでもありすぎなのよ。〈殻〉が星象現界と同等ですって? 同等なんてものじゃないわ。〈殻〉が空間展開型と同等なら、何十年、いえ、百年以上もの長期間に渡って維持し続けられるってどういうことなのよ。人間ならあっという間に魔素が枯渇して干涸らびてるんじゃないの」
火倶夜が鬼級幻魔の理不尽すぎる有り様に憤懣やるかたないと嘆息すれば、情報官は反応に困ったようだった。
『と、ともかく……いまは少しずつ、拠点の拡大に専念してください。もちろん、危なくなれば即座に撤収を』
「わかっているわ。これで四度目だものね」
『四度目の正直だとか、そんなことは考えなくていいですから。なによりも、皆さんが生き残ることのほうが重要です』
「胸を張って死にに行け、とはいわないのね」
『えーと……』
情報官は、火倶夜の皮肉めいた言葉に途方に暮れたような様子を見せるばかりだった。
そんな師と情報官のやり取りの最後のほうだけ聞いていた真は、部下たちに休憩を命じると、立ち上がって火倶夜を見た。
紅蓮の魔女は、このどす黒い森の中でも輝いているように見えた。
「また困らせてるんです?」
「またってなに?」
「いつものことですから」
「いつものこと?」
「はい」
「そうかしら」
「はい」
真がにべもなく肯定してくるものだから、火倶夜は、肩を竦めるしかなかった。
拠点内を飛び回るヤタガラスを見遣り、やはり、恐府の阻害効果によってヤタガラスが機能不全に陥るのだと再確認する。
拠点内のそこかしこで、百人の導士たちが休憩したり、あるいは、周囲の警戒を行っている。
第一波、第二波との戦闘を終えて、だれもが消耗しているのだが、しかし、全員が一斉に休んでいるわけにはいかない。
ここは、オトロシャの〈殻〉恐府の中なのだ。
恐府の南端、空白地帯に程近い場所ではあるのだが、それでも、〈殻〉内部に橋頭堡たる簡易拠点を築き上げることに成功したのは、喜ぶべきことだろう。
それもこれも、幻魔の群れが引き上げたからこそではあるのだが。
「それで、これからどうするんです?」
「予定通りよ。体力が回復したら、作戦を再開するわ。恐府制圧の橋頭堡の構築。それこそがわたしたちの使命でしょう」
火倶夜は、草薙真の真っ直ぐすぎるくらいの眼差しを受け止めながら、その瞳に宿る決意に目を細める。彼は、いつだって真っ直ぐだ。
真っ直ぐで、真っ正直で、直線的な、そんな人物。
彼を弟子としたのは、彼が素晴らしい魔法技量の持ち主であり、才能に満ち溢れていたからだということもあれば、同じ火属性を得意としているからでもあった。
師弟の契りを結ぶのであれば、同じ得意属性であることが望ましい。
望ましいというだけであって、絶対そうでなければならないというわけではないが、同属性のほうがなにかと教えやすいという利点は、間違いなく存在する。
真が火倶夜の弟子となって、三ヶ月以上が経過した。
対抗戦決勝大会で見せた彼の魔法士としての才能、実力は、戦団の将来を背負って立つ可能性に満ちていたし、実際、彼を扱き上げてきて、己の目に間違いはなかったと火倶夜は確信している。
真は、この三ヶ月でその魔法的才能を大きく引き上げ、魔法技量を研ぎ澄ませてきた。めきめきと頭角を現し、いまや輝光級三位である。
入団からたった二ヶ月あまりで輝光級三位にまで昇格したのは、彼と皆代幸多だけだ。
皆代幸多の昇格には上層部の思惑が絡んでいるから、純粋に導士としての実力を評価されて昇格したのは、真だけなのだ。
もちろん、それもこれも戦団が昇格規準を大きく変更したということもあるだろうし、現在の昇格規準ならば、皆代統魔なんて一ヶ月もかからずに輝光級になっていたかもしれない。
そんなことを考えたのも束の間、火倶夜は、弟子に指示した。
「それまではしっかり休んでいなさい。休むのもまた、導士の仕事よ」
「はい」
真は、首肯し、火倶夜の元を離れた。陣地内の片隅に向かったのは、そこに草薙小隊の三名が集まっていたからにほかならない。
「隊長もお休み?」
「はい。師匠に……いえ、軍団長に休むようにと命じられまして」
「相変わらず敬語だねえ」
「どう考えても隊長のほうが上官なのにね」
真の部下たちは、そんな生真面目な隊長のことが嫌いではなかったし、からかうというのではなく、慈しむようにして、笑うのである。
草薙小隊の雰囲気は、悪くなかった。
むしろ、心地いいとさえ、真は思っていた。
真の部下は、彼よりも年上の導士ばかりだ。年上だが、階級的には真より低く、故に真の隊員募集に応じてくれたのだ。
真が募集して一日もかからずに枠が埋まりきった。
真が募集したのは、補手一名、防手一名、攻手一名である。
小隊は最大八名で編成することができるのだがまずは四人編成で隊長としての役割になれるべきだという火倶夜の助言に従い、三名の隊員を募集したのだ。
結果、募集した人数以上に集まったのは、真の人徳もあれば、立場も影響しているのだろう。
朱雀院火倶夜の弟子であり、若手導士でも最高峰の実力者。
真の部下になれれば、なにかしらの恩恵が得られるのではないか。
そのような考えでもって応募してきたとしてもおかしくはなかったし、真自身、だれがどのような動機で応募してきたとしても構わなかった。
小隊長として務めを果たすことができるのであれば、それで良かった。