第八十三話 実感
六月二十四日月曜日。
幸多は、二十二日の土曜日と二十三日の日曜日を久々に自堕落に過ごした。
二ヶ月に及ぶ猛練習の日々は、決勝大会での優勝によって、完全に終わったといっていい。幸多にはもう対抗戦に出る必要がないのだ。
そもそも、来年度以降の大会には、幸多は出られなくなるだろう。
戦団に入るつもりなのだ。
戦団の導士は、たとえ高校に在籍していたとしても、対抗戦に出場することはできない。
幸多は、まだ、導士ではない。が、それもいまだけのことだ。
すぐに入団することになる。
(はず……)
確信はないが、そう信じたいところだ。
「よお、最優秀選手」
「やあ、優秀賞すら貰えなかったひと」
「ひでえなあ、おい」
圭悟が屈託なく笑ったのは、天燎高校の校門を目前にした通学路でのことだった。空は晴れ渡り、風は穏やかだ。
「しっかし、随分と注目されてんな」
「優勝したからね」
「そして、おまえは堂々としたもんだ」
「会場に比べればね」
「そりゃそうだ」
圭悟が苦笑したのは、脳裏に競技場の大歓声が沸き上がったからだ。あの決勝大会、あの表彰式で浴びた注目に比べれば、通学中の注目度など、大したものではない。
幸多は、ここに至るまでに何度も注目を浴びていることを理解した。
対抗戦決勝大会が幕を閉じたからといって、各種情報媒体による報道合戦が終わるわけではなかった。むしろ、優勝校に関する報道の熱量は増すばかりであり、連日連夜、決勝大会における天燎高校の快進撃が取り上げられていた。
それこそ土曜日と日曜日などは、朝から晩まで幸多たちの決勝大会における奮闘の模様が流され続けていた。特にネットテレビではその傾向が強く、天燎高校関係者や、出場選手の家族への取材も数え切れないくらいに行われていた。
どうやら長沢一家も会場で取材に応じていたらしく、奏恵たちが懸命に幸多を応援する様子が頻繁に放送されていた。長沢一家の中で珠恵の応援の様子だけほとんど映らなかったのは、放送に耐えられないと判断されてのことだというのは、想像に難くない。
そうした事情もあって、幸多たちへの注目度は、決勝大会以前よりも遥かに増していた。
幸多などは、ミトロ荘の管理人だけでなく、住人たちからも持て囃され、なんだか不思議な気分になったものだった。管理人の見土呂明子は以前から応援してくれていたこともあり、優勝を自分のことのように喜んでくれたことを嬉しく思ったものだが。
さて、そんなふたりが校門に辿り着くと、上空から桜色の法器に跨がった少女が舞い降りてきた。真弥と、その後ろには紗江子が乗っていた。
「おっはよー、おふたりさん」
「おはようございます、皆代くん、米田くん」
「おはよう、阿弥陀さん、百合丘さん」
「うーっす」
「なんだか久々に顔を見たって感じがするんだけど」
「本当ですね、たった二日逢わなかっただけですのに」
「この二ヶ月の間、ほとんど毎日練習してたもん、そうなるよ」
真弥と紗江子が笑い合う中、話に入り込んできたのは、蘭だ。
皆で朝の挨拶を交わし合い、校舎へ向かう。その間も生徒たちの注目の的だった。
対抗戦部は、今や天燎高校で最も有名な存在になっていた。
そして、教室に入るなり、校内を音声案内が駆け巡った。
『第十八回央都高等学校対抗三種競技大会に関する報告会を開催します。天燎高校の生徒並びに関係者各位は、速やかに室内総合運動場に集合し――』
「なるほど、これか」
幸多の後ろの席で圭悟が納得したように言った。
「理事長がいってただろ、楽しみしてろってさ」
「ああ、そういえば」
幸多は、そんなことを言われたということをすっかり忘れてしまっていた。
それもそうだろう。あの後数時間に渡るお祭り騒ぎがあり、二日間の自堕落生活を経たのだ。理事長の発言など、忘れていても致し方がないと、彼は自己弁護をした。
一年二組の教室から室内総合運動場へと移動する際、幸多たち対抗戦部はなんとはなしに集まっていった。別の組の亨梧と怜治、二年の法子と三年の雷智も、だ。そして、顧問で教師の小沢星奈は、申し訳なさそうな顔で一向に加わった。
「まるでこれから冒険に出るみたいな感じだな」
「そうかな?」
「だとしたら魔王は誰よ」
「理事長に決まっているが」
「こら」
法子の一言を星奈が注意すると、皆で笑い合った。
そんな対抗戦部の集団行動は、思い切り目立っていた。
天燎高校の生徒たちの誰もが対抗戦部の優勝を知っていたし、だからこそ、遠目に見守ったり、携帯端末で撮影したりしていた。
しかし、そうした生徒たちには、星奈が強い口調で警告を発したため、幸多たちを撮影する生徒は減っていった。完全になくなったわけではなかったが。
幸多たちが室内総合運動場に辿り着くと、天燎高校生徒会の腕章を付けた三年生が緊張した面持ちで話しかけてきた
「対抗戦部の皆さんですね。皆さんはこちらから入ってください、中で説明がありますので」
そういって女子生徒が指し示したのは、裏側の出入り口だ。そこには、生徒会の役員たちがなにやら話し込んでいる。
「説明?」
「なんだなんだ?」
「先生はなにか聞いてません?」
「わたし、なにも聞かされていないのよ」
「センセだけ仲間外れにされてるのかよ」
「そんなわけないでしょ。きっと、対抗戦部の顧問だからよ」
真弥が圭悟に憤慨するのは当然のこととして聞き流しながら、幸多は、室内総合運動場の裏口へと向かった。
裏口に辿り着けば、生徒会役員に案内されるまま、舞台袖へ移動することとなった。
決勝大会前日の壮行会を思い出して、多少の緊張感を覚える。
「そう緊張しないでくださいね。対抗戦で優勝した皆さんの活躍を褒め称えるためだけのことですから」
「おれたちを褒め称えるためだけ……だと」
「そうされるだけのことはあるが」
「まあ、そうねえ」
「そう、だよな、うん」
法子と雷智に乗っかるようにして、圭悟が自分を納得させる。
「わたしたちも?」
「いいのでしょうか?」
「い、いいと思う!」
「そうだよ、皆のおかげで優勝できたんだから。何度も言わせないで欲しいな」
幸多は、さすがに真弥たちの自信のなさ気な反応に苛立ちを隠せないといわんばかりの態度を取った。無論、冗談ではあるが、ほとんど本音だった。
「ご、ごめん。そ、そうよね! 自身持っていいのよね!」
「おう、その意気だぜ」
「あんたに偉そうに言われるのだけは腹立つけど」
「なんでだよ」
「皆代くんは頑張ったし、活躍したけど、あんたはさあ」
「おれがいなきゃ優勝してねえっつの」
「そうだけど」
「認めるのかよ!」
「そこは否定できない事実だし」
「むう……」
圭悟と真弥のいつも通りの軽妙なやり取りを聞いていると、幸多の中で膨らみつつあった緊張も不安も消し飛んでいった。
それから、生徒会役員による説明があった。
要は、対抗戦優勝報告会を開く、ということだった。そのために理事長の天燎鏡磨自らが色々と動いていたらしく、昨日、一昨日と生徒会役員が総動員される羽目になったのだという。そのことで恨みがましく言われることはなかったところを見ると、それなりの見返りがあったのかもしれない。
天燎鏡磨は、そういうところでは抜け目のない人物だ。でなければ、天燎財団という大組織の次期総帥と目されることはないだろう。
そうしている間にも、会場には生徒たちや学校関係者が集まり、準備が整った。
幸多たち対抗戦部員一同は、舞台袖で出番を待つことになった。
やがて舞台の幕が上がり、幸多たちがいるのとは反対側の舞台袖から理事長が姿を見せた。黒を基調とし、赤の差し色が入った礼服を着こなしており、歩く様には確かな威厳があった。
理事長の手前ということもあって、会場内はいつになく静まりかえっている。
天燎鏡磨が舞台の中心に立つと、照明が彼を包み込んだ。
「おはよう、諸君。今朝集まってもらったのは他でもない。既に皆も知っていることだろうが、我が校が誇る対抗戦部が、第十八回対抗戦決勝大会において優勝を果たしたからだ」
天燎鏡磨は、上機嫌だった。常に不機嫌で神経質そうで居丈高な印象の有る彼からは、想像もつかないほどの明るさと快活さがあった。
「これは、我が校始まって以来の快挙であり、心よりの賞賛を送るべきだと思うのだが、如何かな?」
鏡磨が会場にいる全員に問いかければ、一同は拍手でもって同意するしかない。それも、万雷の、といってもいいくらいに力強い拍手が鳴り響いた。
「では、我が天燎高校が誇る対抗戦部をここに!」
鏡磨の指示があって、生徒会役員たちは、幸多たちを舞台上に向かうように促した。
幸多は、壮行会のときを思い出したが、今回はあのときほどの緊張はなかった。やはり、大舞台を経験したということが大きいのだろう。
六万人の大観衆の前と数百人の生徒や教師の前では、明らかな圧力の違いがあった。精神的な余裕すら感じられるほどだった。
幸多たちが舞台上に出ると、拍手が沸き起こり、声援が飛び交った。
そこからは、天燎鏡磨の独壇場といってよかった。
鏡磨は、対抗戦部の活躍ぶりを一本の動画に編集しており、その上映会を開催したのだ。
空中に投影された幻板、そこに映し出されたのは十分程度の動画ではあったが、その密度と熱量足るや凄まじいものであり、ネットテレビ各局が放送した対抗戦特集番組等とも引けを取らないといってもよかった。
幸多たちが思わず見入ってしまうほどだった。
鑑賞会の後は、対抗戦運営委員会による天燎高校への優勝旗、優勝杯の受け渡しが行われることとなり、対抗戦部主将である幸多が受け取ることとなった。
そして、優勝旗を掲げるようにして記念撮影を行い、その写真には、理事長と校長も笑顔で映ったものだった。
そして、鏡磨による表彰式が行われた。表彰状は、鏡磨が大会終了後に書き上げたものであり、対抗戦部員の一人一人に手渡された。幸多たちだけでなく、蘭、真弥、紗江子の三人にもだ。無論、顧問の星奈も、表彰された。
鏡磨は、対抗戦部の活躍と優勝を心底喜んでいるようであり、幸多たちは、彼のひととなりを誤解していたのではないか、とさえ思ったものだった。
対抗戦部優勝報告会と銘打たれた式典は、およそ一時間に及んだ。
巻き込まれた学生たちにしてみればたまったものではなかったかもしれないが、しかし、悪く言う声は聞こえなかった。
対抗戦優勝からこっち、天燎高校が央都の話題を独占し、天燎高校の学生というだけで人目を引いた。それは、例年、対抗戦後は腫れ物に触るような態度を取られることが多かった天燎の生徒たちにとっては、溜飲が下がるような出来事といっても過言ではなかったのだ。
そんなわけで、この一日は、幸多たちが話題の中心となり、それぞれの教室が大いに賑わったのだった。普段話の中心になることのない亨梧や怜治までも人集りができるほどであり、対抗戦の熱量の凄まじさを誰もが実感した。
そして、その日の午後、対抗戦部一同は、校長室に呼ばれた。
呼ばれた理由は、すぐに想像できた。
対抗戦で優勝したからだ。




