第八百三十四話 導士の日常(二)
央都市内を巡る、あるいは央都四市を結ぶ主要交通機関として真っ先に思い浮かべるのは、央都大地下道ではないだろうか。
各市内の地下に作り上げられた道路は、幻魔災害に遭遇する可能性が地上よりも遥かに低いといわれており、自動車などで移動する場合は地下道を利用することが多い。
魔法社会だ。
法器に跨がって飛行魔法を使えば、目的地まで一っ飛びだったりするのだが、しかし、同時に移動できる人数や持ち運びできる荷物が限られるということもあって、自動車などの乗り物もまた必要不可欠である。
特に央都四市間を移動するのであれば、なおさらだ。
たとえば、葦原市から大和市へと向かう場合、地上を移動したり、空中を飛行することはできなかった。
葦原市と大和市の間には、空白地帯が横たわっていて、そこには野良幻魔が潜んでいる可能性が極めて高いからだ。
導士ならばまだしも、一般市民が幻魔に遭遇するようなことがあれば、大問題だ。
よって、央都四市を結ぶ央都大地下道が活用されるのであり、央都地下鉄道網もまた、そうした理由から存在し、市民に活用されているのである。
葦原市に住みながら、大和市で働く人もいるだろうし、その逆もまた然りだ。
そして、そんな市民の安全を護るためにこそ日夜活動を続けているのが戦団であり、導士たちである。
大和市内を巡る大地下道、その決して狭くはなく、むしろ広すぎるくらいの空間を見渡しながら、幸多は、ようやく日常に戻ってきたような感覚の中にいた。
衛星任務は、どこか非日常的な空気感があった。
衛星拠点は堅牢な要塞なのだが、その周囲四方は広大な空白地帯であり、魔界そのものなのだ。そんなただ中に身を置けば、常に緊張感を持っていなければならないと考えるのも当然だろう。
もちろん、央都の防衛任務についたからといって緊張感がなくなるというわけではないのだが。
「そういや、隊長は初めてだったっけ? こういう任務」
「そうだね」
幸多は、真白が椅子を揺らしながら投げかけてきた質問に頷いて、部下たちを見た。
真星小隊一同が勢揃いしているのは、大地下道の一角に設けられた詰め所の中だ。
詰め所は、小隊の最大編成人数である八人に合わせて作られており、四人小隊には広く感じられた。そして、そんな広い詰め所内に真星小隊の四人がそれぞれ思い思いの場所に座っている。
幸多は、窓際に陣取って、窓の向こう側に広がる大地下道を眺めていたというわけだ。時折通り抜けていく車両の中から、こちらに向かって手を振ってくる市民がいたりもして、それがなんともいえない不思議な感覚を呼んだ。
「まあ、なんつーか、めんどうなだけだけどな」
「そうはいっても、大事な任務だよ」
「そうだよ、兄さん」
「んなもん、わかってるっての。だからといって退屈な事実を否定できるもんじゃねえだろが」
「それは……まあ、そうだけど……」
「そうなんだ?」
「まあ、否定しないよ。こういう待機任務は、大抵の場合、時間が過ぎるのを待つだけになりがちだからね」
義一が苦笑したのは、真白の正直さに対して、だ。
真白が思ったことや感じたことを包み隠さずに話すのは、なにもいまに始まったことではない。そしてそんな真白のことが必ずしも嫌いではなかった。
むしろ、好ましいとすら感じている。
真白ほど歯に衣着せぬ物言いができる人間は、そういるものではない。
幸多は、隊長としてそんな部下の様子を眺め、再び大地下道に目を向けた。
これもまた、いわゆる通常任務の一つだ。
待機任務と義一はいったが、それは通称に過ぎない。特定の地点に待機し続けることになる任務だから、そのように呼ばれている。
市内各所に設けられた詰め所に待機し、周囲で幻魔災害や魔法犯罪が起きた場合にはすぐさま飛び出すのがこの任務の概要である。
地上はともかく、地下の場合は、そもそも幻魔災害が起きにくいという事実があるため、まさにただ待機するだけの任務になりがちなのだという。
かといって、こうした任務をなくすことはできない。
地上は無論のこと、幻魔災害の発生率が低い地下であっても、だ。可能性がわずかでもある以上は、警戒を怠ってはならない。
故にこそ、待機任務はなくならないし、市民の安穏たる日々を護るためには必要不可欠なのだ。
とはいえ。
「……確かに、暇だね」
幸多は、しばらく眺めていた大地下道の風景に大きな変化がないことを認めると、詰め所内に向き直った。
いま現在、大地下道を移動する車の数そのものがそれほど多くはなかった。
統魔は、眼前に横たわる大河を見下ろしていた。
北から南へと流れる川の水は、どす黒く、陽光を反射する水面すらも美しいとは思えないほどだ。
ここが空白地帯で、魔界のただ中なのだから当然と言えるだろう。
河岸には結晶樹が並び立ち、陽光を反射するその輝きが異様としかいいようのない景観を作り出している。
防衛任務から衛星任務へ。
それこそまさに導士の日常そのものであり、故に不満もなにもない。
統魔率いる皆代小隊は、第九軍団の一員として第一衛星拠点に入ったのである。そして、巡回任務を行っている最中だった。
「どったの?」
ルナが統魔の背後から抱きついても、統魔の様子に変化はない。彼は川面から視線を上げ、対岸を見遣った。
対岸にはやはり結晶樹が並び立っているのだが、その向こう側には異形の塔が聳えているのがわかる。その塔を境として、幻魔造りの建物群が乱立しているのである。
「この川の向こう側が、オロバス領だ」
「うん?」
ルナが小首を傾げたのは、突然なにを言い出すのかと思ったからだ。
それは、導士でなくともだれもが知っている常識である。
「オロバスは、光都事変を引き起こした鬼級の一体だってことくらい、知ってるだろ」
「うん。それがどうしたのかなって」
「……ま、いまは関係ないか」
統魔は、オロバス領の町並みを睨み据え、頭を振った。ルナに抱きつかれたまま後ろに向き直れば、彼の部下たちが輸送車両イワキリの周囲を警戒している様子が見て取れた。
空白地帯の巡回任務は、イワキリを利用して行われる。
イワキリに乗って空白地帯を走り回るのである。
そして、幻魔を発見すれば討伐し、ダンジョンを発見すれば報告、場合によっては探索するのだ。
近隣の〈殻〉の様子を確認するのも、重要だ。
〈殻〉は、幻魔の巣窟である。
いつ何時、央都に向かって侵攻してくるものなのか、わかったものではない。
もしそうなったとき、対応が遅れれば、それだけで甚大な被害が出ることは間違いないのだ。だからこそ、戦団は、常に近隣の〈殻〉の動向を注視しているのであり、わずかにでも動きがあれば、速やかに対応した。
統魔は、オロバスの〈殻〉に変化がないことを確認すると、イワキリに戻り、部下たちに乗車するように命じた。
「川沿いを南下してくれ」
「はい」
運転席の字が頷けば、イワキリが動き出した。イワキリの操作は、導士ならば誰もができるくらいに簡単なものだ。目的地を入力するだけでも問題ない。
ただし、その場合はノルン・システムが把握している地形に限るのだが。
つまり、この日夜地形そのものが変化する空白地帯において、目的地だけを入力するというのは、問題だということだ。場合によっては、大きな事故を起こしかねない。
そんなことを考えながら、川岸を南下する車の窓の外を眺めていると、対岸の河川敷を移動する幻魔の群れを見た。
「幻魔だよ!」
「ああ、幻魔だな」
「いいの……?」
「〈殻〉の中だからな。手は出さないほうがいい」
「そっか。刺激する必要はないもんね」
ルナは、苦虫を噛み潰したような統魔の表情を横目に見て、自分の座席に戻った。
オロバス領内の幻魔に攻撃したとなれば、オロバスが軍勢を率いて動き出しかねない。
戦団は、幻魔殲滅を大目標として掲げてはいるし、先日、積極的に外征を行うと打ち立てた。が、だからといって、予定にはない〈殻〉への攻撃など、勝手に行っていいはずがなかった。
幻魔を目の当たりにしながらも、なにもできないことへの苛立ちを隠せない統魔が、ルナには不憫で仕方がなかったのである。