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第八百三十三話 導士の日常(一)

 その日、幸多こうた大和やまと基地の兵舎に帰ってきたのは、時計の針が午後八時を大きく回ってからだった。

 なんといっても、天燎てんりょう高校に登校していたのだ。天燎高校のある葦原あしはら市は、大和市の東隣とはいえ、間には空白地帯が横たわっており、決して近いとは言い切れない。

 その上、圭悟《きえおg》たちに誘われて久々の部活動を行った結果、予定よりも遥かに遅い下校時刻となってしまった。

 それどころか、圭吾たちと食事をしたがために時間が過ぎ去ってしまった。

 四人と別れるなり、大慌てで地下鉄に乗り込んでいる。

 そして、大和市へと辿り着いたのがほんの十分前のことだ。

 それから全力疾走で大和基地へと帰投し、真星しんせい小隊が借りている一室にやっとの想いで辿り着いたのだ。

 とはいえ、大した疲労感はない。

 全力で駆け抜けてきたのは、駅から基地までのわずかばかりの道程であり、その程度で疲れるほど幸多の体はやわではない。

 玄関には三人分の靴があり、そのうち一組が散らばっていた。真白ましろの靴だろう。幸多は自分の靴を揃えるついでに彼の靴も揃えておいた。

 廊下を奥に進めば、すぐに居間がある。

 そこに九十九つくも兄弟と義一ぎいちの姿があった。義一はこちらに背を向けていて、黒乃が長椅子に腰掛け、そんな黒乃の膝を枕にしている真白の様子が窺える。

 いつもの光景だ。

「ただいま」

「おかえりなさい。遅かったね。予定だと六時には帰ってきてたんじゃなかった?」

「そうなんだけど……色々あってさ」

「色々ってなに? 恋人との逢瀬おうせでも楽しんでた?」

「え?」

 思わず聞き返したのは、義一から飛んでくる質問とは思えないものだったということもあれば、声質がまるで違うことに遅れて気づいたからだ。

「まさか?」

「そのまさかだよ!」

 などと元気よく幸多を振り向いた義一の胸が弾んだ様を見れば、彼女が何者なのか、一瞬で理解できた。

美零みれいさん?」

「呼び捨てでいいってば! 他人行儀たにんぎょうぎなんだから」

「いや、でも……」

「いやもでももないの! 義一は呼び捨てにできて、わたしは呼び捨てられないってどういう了見りょうけんなわけ?」

「うーん……」

 幸多は、美零が椅子の背もたれに手を置いて身を乗り出すと、豊かな胸がその主張を強めた。女性的なしなやかな肢体したいが激しく強調されるような衣服は、彼女の趣味なのだろうが。

 伊佐那いざな美零。

 伊佐那義一の肉体に同居するもう一人の人物。彼女が現れると、義一の肉体そのものが変質するというなんとも不可思議な存在である。

「まあ、いいわよ。速く聞かせてよ、恋人の話」

「そうだそうだ、聞かせろ聞かせろ」

「兄さん……」

「勝手に話を進めないで欲しいんだけど」

「なにがよ」

「ぼくに恋人なんていないし、遅くなったのは部活にいそしんでたからなんだけど」

「部活?」

「対抗戦部って奴か?」

「それって禁止なんじゃ……?」

「練習に参加しただけだよ。それくらいなら問題ないはずだし」

 幸多は、騒々しい部下たちとの会話の最中にふと思い出して洗面所に向かうと、手を洗ってうがいをした。それから、廊下の向こう側へ質問を投げかける。

「晩ご飯は?」

「とっくに済ませたよー」

「ぼくたちも……」

「腹一杯食ったから眠くてな」

「だからってぼくの膝で寝ることないのに」

「いいだろがよ」

「別にいいけど……」

「わたしの膝枕、貸してあげようか?」

「そ、それは……遠慮しておく」

「なんでよー」

「なんでも、だよ」

「ふふ」

「なにがおかしいんだよ、黒乃」

「兄さんにも敵わないひとがいるんだって思ったらおかしくて」

「むむう……」

 幸多が自室に鞄を起き、制服から私服に着替えている間も九十九兄弟と美零の大声が聞こえていた。美零の存在感は、義一とは比べものにならないくらいに大きい。

 彼女が積極的に関わってこようとしていることも関係しているのだろう。

 幸多は、居間に戻ると、美零に促されるまま彼女の隣に腰を下ろした。すると、美零は幸多の膝を枕にしてきたものだから、面食らった。

「なに?」

「いや……義一は眠っているのかなってさ」

「散々訓練してたからね。疲れちゃったみたい。それで、ちょっとの間体を借りてるってわけ」

「いいの?」

「幻想訓練よ。疲れたのは精神面であって、肉体的には健康そのものだもの。わたしが体を乗っ取ったって、なんの問題もないのよ」

「なるほど」

「乗っ取るってなんだか物騒だな」

「事実だもの」

「事実……」

 美零は、九十九兄弟を軽く一瞥いちべつすると、幸多に目線を戻した。この小隊の立派な隊長は、どこか余所余所よそよそしい顔を彼女に向けている。

 それが美零には気に食わない。

 まるで自分が部外者のようだ。

 いや、それも事実ではあるのだろうが。

 そして、だからこそ、美零は幸多や九十九兄弟と少しでも仲良くなりたいと思うのである。

 真星小隊としてこれから先行動を供にするのだ。ときには、義一ではなく、美零が出張らなければならないこともあるかもしれない。

 そういうときのためにこそ、親交を深めておきたいのだ。

「わたしは、義一の体に住み着いたお化けで、この体の主人は、義一なのよ。だから、義一が意識を失っている間くらいしか出てこられないのよねえ」

「それは……大変だね」

「別に」

「ええと……」

 黒乃は、美零のことを気遣ったつもりの言葉が全く響かなかったことにたじろぎ、幸多を見た。幸多は、助けを求めるような彼の眼差しを受けて、思案する。

 美零のひととなりは、まるでわかっていない。

 使命感が強く、そのために自分の命を燃やし尽くす覚悟があることは、身をもって理解しているのだが。

 そして、導士ならばそれだけで十分なはずだった。

 央都のため、人類のために命を懸ける覚悟があるのならば、その決意を全身全霊で証明したのであれば、それ以上必要なものはない。

「化け物には見えないかな」

「そう? じゃあ、隊長にはわたしがどう見えるのかな?」

 美零は、こちらを覗き込む幸多の顔を両手で包み込んで見せた。

「どうって……」

 問われ、さらに顔をしっかりと見るように半ば強制されれば、幸多も改めて美零と向き合わなければならなくなってしまった。

 真星小隊の隊長であり、彼女は部下なのだ。

 正確には、部下の一人に宿るもうひとつの人格というべき存在だが。

 だからといって、疎かには出来まい。

 故に幸多は、彼女の顔を真っ直ぐに見つめる。顔の作りそのものには、大きな変化はない。義一と同じ顔だ。同じ、中性的な容貌ようぼうであり、美形といっていいだろう。二重のまぶたに深いまつげ、透明感のある黄金こがねいろ色の虹彩こうさいは、際立って綺麗だ。

 彼女の表出による肉体の変化は、当然のように顔面にも現れている。つまりは、どこか柔らかさを帯びているように見えるということだ。

 端的にいえば、だが。

「美人、かな」

 幸多の素直な感想を受けて、美零はしばし考え込む素振りを見せた。

「うーん……五点」

「何点満点中?」

「百点満点中」

「ひっく」

「ええ……」

 にべもない美零の一言には、九十九兄弟も唖然とするほかなかったようだ。

 幸多自身、驚きすぎて声も出なかった。

「なに? わたしの評価に不満?」

「いや、別にそういうわけじゃないけど……なんていうか、うーん……なんていえばいいんだろう」

「なによ? はっきりいってくれない?」

 美零は、幸多をからかうのが楽しくなってきていた。彼の顔を手の中から解放しつつ、膝枕も止めると、元通りに座り直す。 

 義一以外の誰かをからかうというのは、基本的に彼女の人生にはなかったものだ。

 普段、美零は義一の心の内側にいて、そこから出るということがない。そもそも彼女の存在そのものが戦団にとっての超重要機密なのだから、自由に動き回ることなど出来るわけもなければ、他者との交流など不可能だった。

 麒麟きりん美由理みゆりといった美零のことを知る数少ない人物との交流と、義一の存在だけが彼女の心の支えだったのだ。

 そしてそれでいいと想っていた。

 それだけで十分だと。

 自分が存在していられるのは、奇跡が起きたからだ。奇跡的に存在を許されているだけであって、本来ならば跡形もなく消えて失せたはずなのだ。

 それなのにこうして存在し、他者を感じ、自己を認めることができるのだから、なにも不満はなかった。

 なのに、どうしてだろう。

「人間って我がままだね」

「うん?」

 幸多は、美零がなんの脈絡みゃくらくもなくいいだしてきた言葉の意図を図りかねて、不思議な顔になった。

 そんな幸多の表情すらも愛おしくなるのは、彼の中に我が儘な自分を受け入れてくれる素地があると見込んでいるからだろう。

 本当に身勝手で我が儘な自分が、しかし、このときばかりは嫌いではなかった。


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