第八百三十一話 九十九兄弟と九月機関(一)
大和市は、央都四市の中で三番目に作られた都市である。
まず最初に葦原市が誕生し、二番目に出雲市が、そしてそのつぎに大和市が作り上げられていったのだ。
央都四市は、いずれも、鬼級幻魔が殻主として主宰していた〈殻〉の跡地に建造されている。
大和市は鬼級幻魔アルゴスの〈殻〉を土台とし、大幅な、それこそ根本的な土壌改良を行い、生態系そのものを作り替えることが都市開発計画の始まりとなっている。そこまで徹底的に手を加えなければ、とても人間の住める場所ではないからだ。
葦原市を始めとする央都四市のいずれもがそのような土壌改良がなされており、全十二の衛星拠点にも同様の処置が行われている。
魔界とも呼ばれるこの地上全土がそうだ。
どこもかしこも幻魔にとって住みよい土地であり、人間にとっての地獄そのものなのだ。
この地球を襲った天変地異とでもいうべき魔天創世は、人間を含むありとあらゆる生物が死滅させた。
微生物すらも死に絶えた世界を局所的とはいえ蘇生させるには、当然、微生物さえも品種改良し、この魔界の環境に適応した種を生み出さなければならなかったということなのだ。
そして、人間もまた、ある意味において品種改良を果たした結果、地上への進出が可能となった。
「異界環境適応処置――いわゆる魔導強化法こそが、人類を再び地上に帰還させた原動力なのだよ」
などと、高砂静馬が語ったのは、どのような意図があってのことなのだろうか。
黒乃は、真白を横目に見て、兄が菓子を頬張る様に憮然とした。父同然の人物が熱を込めて話をしてくれているというのに、聞いてすらいない。
九十九兄弟が、九月機関の研究所を訪れたのは、今日が休養日だったからというだけでなく、任地が大和市だったからということも大きい。
研究所の所在地が大和市内であり、大和基地からは一っ飛びだった。
激動の衛星任務を終え、いわゆる防衛任務の任地として大和市に赴任してくるなり、まず通常の巡回任務を終えたのが昨日のことだ。
久々の巡回任務は、幻魔と遭遇することはなかったが、真星小隊が有名になりすぎたこともあり、ただ歩き回るだけでも一苦労だった。
まさか自分たちが声援を送られる側になるとは想像もしていなかったこともあり、黒乃は、様々な応援の声に戸惑ったり、気恥ずかしくなったりした。そしてそのたびに堂々としろ、胸を張れ、などといいながら相好を崩す兄の姿になんともいえない気持ちになったのは、秘密だ。
四人の中でもっとも声援を浴びていたのは、やはり、幸多だった。
真星小隊の隊長であり、黒乃たちを引っ張ってくれる彼こそが注目の的になるのは当然だろう。各種報道機関がこぞって取り上げるのは、幸多であり、義一だ。九十九兄弟は、そのついでに過ぎない。
とはいえ、報道量がとんでもないということもあって、ついでの扱いだというのにとてつもない露出度があり、知名度も得られてしまったというわけである。
龍宮戦役での英雄的活躍に貢献したということが一番大きいのだろうが。
ともかく、央都に帰ってきた黒乃たちを待ち受けていたのは、若き英雄という市民からの扱いであり、大量の声援だったというわけだ。
そして、肉体的にはともかく、精神的には疲れ果てるような巡回任務を終え、休養日となった今日、真白の提案で研究所を訪れたのだ。
高砂静馬は、九十九兄弟の無事の帰還を心の底から喜んでくれた。
英雄的な活躍よりも、二人が生きて帰ってきてくれたことのほうが嬉しい――そんな父の言葉が、二人には心地よかったし、嬉しかった。
静馬は、両親の記憶のない九十九兄弟にとっての父親代わりだ。物心ついたときにはこの研究所に引き取られていた二人にしてみれば、この箱庭こそが世界の全てであり、天地そのものだったし、その中心に偉大なる父としての高砂静馬がいたのだ。
静馬は、この世界の中心人物であり、神の如き存在だった。
けれど、静馬は、物語の中に出てくる神のような傲慢さも、冷淡さも、厳粛さも持ち合わせていなかった。ただただ子を想う父親の顔だけが、九十九兄弟には見えていたし、だからこそ、二人は彼を父と慕っているのである。
「なんで……そんな話を?」
黒乃が質問したのは、静馬の話の意図がまるでわからなかったからだ。
静馬の執務室内には、彼と九十九兄弟しかいない。応接用の一角、長椅子に腰掛けた三人は、テーブルを挟んで向かい合っている。
テーブルの上にはたくさんの菓子が用意されているのだが、それは九十九兄弟の好みに合ったものばかりだった。
静馬は、九十九兄弟の趣味趣向を完璧に把握している。そしてそれらを常に切らさないようにと手配しているのである。
「……きみたちの体について、説明する時期がきたのだと想ってね」
「ぼくたちの――」
「――体?」
真白も、ようやく静馬の話が自分たちに向けられたものだと理解すると、菓子に伸ばしていた手を止めた。静馬が、そんな真白に微笑み、頷く。
真白は菓子を手に取って、膝の上に置いた。
「きみたちは、孤児だ。幼い頃に……そう、それこそ、物心つく前に両親を失ったきみたちは、市内の孤児院に預けられた」
「それは……知っています」
「何度も聞かされたし」
そして、それそのものは、別段珍しい話でもなんでもなかった。
こんな世界だ。
いつ理不尽に曝されるのかわかったものではないし、どんなときであっても不条理が牙を剥いてくるものだ。
そして、それは、一般市民にとっては脅威以外のなにものでもなく、遭遇した瞬間、死を覚悟するしかない。
幻魔災害。
あるいは、ただ単に、幻魔。
それらが目の前に現れたとき、戦闘訓練を受けていない民間人には、どうすることもできない。恐怖ですくみ上がれば、身につけた魔法で対応することすらできないだろう。
どれだけ魔法社会として成熟した現代であっても、一般市民の魔法士としての練度が、黎明期よりも遥かに向上していたとしても、幻魔という恐怖が眼前に形となって現れれば、金縛りに遭ったかのように動けなくなるのも不思議ではない。
そして、そのために命を落とすのだ。
幻魔災害の始まりとは、そういうものだ。
発生と同時に複数名の被害者が出るものであり、多くの場合、死に至らしめられるという。
戦団の導士たちがどれほど巡回していても、徹底的に警戒していても、死角は生まれ、幻魔は発生する。そして、導士たちに出来ることといえば、幻魔災害の拡大を防ぐことであり、二次被害、三次被害の抑制に過ぎない。
幻魔災害を防止することも、根絶することも、不可能に近い。
故に、親を幻魔に殺された孤児が、引き取り手もないままに孤児院に預けられるということは、よくある話なのだ。
そして、そうした孤児の行き着く先として、なんらかの研究機関というのもまた、ありがちな話だった。
九十九兄弟もそのようにして、この九月機関という曰く付きの研究機関に引き取られたのである。
生命倫理を蹂躙し、冒涜するような研究を行っていると噂される、悪名高い研究機関――それが九月機関なのだ。
しかし、真白と黒乃にとっては、九月機関は実家そのものであり、職員たちは一人残らず家族といっても過言ではなかった。
悪印象がないのだ。
ここで育ったということも印象の良さに影響しているのは間違いないのだが、しかし、それ以上になにか非人道的な研究をしているところを見たことがないというのも大きいはずだ。
九十九兄弟にしてみれば、世間が勝手にそう噂しているだけに過ぎないのではないか、と思えてならなかった。
確かに、二人も様々な実験の被験者となったが、それらは魔法に関連するものであって、人道に反するものなどではなかったはずだ。
静馬がこれから語ろうとしているのは、つまり、そのことについてなのだろうが。
黒乃は、静馬の穏やかな顔を見て、ほっとした。
悪い話ではなさそうだった。