第八百二十九話 英雄の凱旋(三)
対抗戦。
央都高等学校対抗三種競技大会の通称であるそれは、部活動そのものの名称にも使われているように、公式にも採用されている呼称である。
競星、閃球、幻闘という三種の魔法競技からなり、それらの総合得点によって順位が決まるというのは、決勝大会でもリーグ戦でも変わらない。
対抗戦は、総合競技とも呼ばれるように、出場校の総合力をぶつけ合う、まさに正真正銘全身全霊の戦いなのだ。
「そういえば、リーグ戦、始まってたんだよね?」
「おう、とっくにな」
「天燎は、出だしは好調だよ」
「うん、知ってる。だから、いいのかなって」
「なにがだよ」
「リーグ戦の練習だよ。しなくていいの?」
「するに決まってんだろ。おまえをだしにして、だな」
「ぼくを?」
幸多が圭悟の発言にきょとんとしたのは、対抗戦部の部室に向かう途中だった。
サインを求める生徒が少なくなったのは、教師たちから強い働きかけがあったからであれば、大抵の学生に行き渡ったという揺るぎない事実もある。
遠巻きにこちらを眺め、ときには声援を送ってくれる生徒たちに手を振って応えるのは、導士としての務めであり、幸多は、快く笑顔を向けるのである。そうすると黄色い声があがったりするのは、なんともいえない感覚だった。
『自分たちはもらっておいて、よくいうぜ』
とは、教師たちに対する圭悟の弁だが。
『だから、じゃない?』
蘭が苦笑すれば、圭悟も笑うほかなかった。
「そうだよ。導士様の、いや、英雄様との練習ともなれば、実戦さながらだろ? そりゃあ部員全員、気合いが入るってもんだぜ」
「そうかなあ」
「そうだよ、きっとね」
蘭が圭悟の考えを肯定すれば、真弥と紗江子も笑顔で頷いた。再び幸多と部活動を行うことができるのだ。喜びもひとしおである
やがて部室に辿り着くと、部室内には、既に全部員が揃っていた。そして圭悟が幸多の練習への参加を言い渡すと、どよめきが生じた。
部員の中には、幸多にサインをもらっていたものもいれば、もらいそびれたものもいるようだったが、それはともかくとして、現役の、それもいま話題の超新星にして若き英雄たる導士が練習に参加するとなれば、騒然となるのも当たり前だろう。
幸多は、そんな部員たちの反応に微笑した。
部員について多少なりとも知っている。
というのも、衛星任務の最中に始まった学生リーグ、中でも葦原市内の高校間で行われる葦原リーグには注目していたからだ。
学生リーグは、央都四市それぞれで予選リーグ戦が行われ、予選リーグの優勝校による決勝リーグが行われる。
つまり、まずは予選リーグで優勝することが当面の目標であり、幸多は、当然のように天燎高校対抗戦部の優勝を願い、日夜リーグ戦の情報を追っていたのである。
任務中はともかくとして、任務後などは、今日のリーグ戦の結果はどうだったのかと検索したり、リーグ戦の講評などを見て、一喜一憂したものである。
葦原市内には全部で八つの高校があり、昨年まではそのうち七校だけがリーグ戦に参加していた。
天燎高校は、対抗戦に熱心ではなかったし、リーグ戦への参加は強制ではなかったからだ。
今年は、対抗戦決勝大会に優勝したこともあって、学校そのものが対抗戦への考え方を変え、リーグ戦への参加も視野に入れて活動していた。そして、実際にリーグ戦への参加を表明したのは、運営母体である天燎財団の広報活動の一環として有用であると考えられたからだろうし、財団の評判そのものを上げる効果を期待されてのことだろう。
でなければ、あれほど忌み嫌っていた対抗戦に本格的に参加する理由がない――とは、対抗戦部の部長の言葉だ。
幸多も、そんな圭悟の意見には大きく頷いたものだ。
理事長が替わったことも大いに影響があるのだろうが。
「幻想空間での訓練ってのは、日常的に行っているんだよな?」
「まあ、そうだね」
幸多は、天燎高校対抗戦部の運動服を身につけている感覚を懐かしみながら、軽く準備運動をした。
幻想体と同期した幸多の意識は、その情報のみで構成された擬似的で仮想的な肉体を認識し、さながら細胞の隅々にまで意識が伝達するような感覚を抱く。足の爪先から頭の天辺まで神経が行き渡るような、そんな感覚。
蘭が設定したのだろう幻想空間は、広々とした運動場を模しており、開放された天井からは眩いばかりの青空が覗いていた。
風は穏やかで、気温もちょうどいい。
そしてそこには、既に対抗戦部の部員たちが待ち受けていた。
当然、圭悟の姿もあるし、北浜怜治、魚住亨梧も参加していた。
怜治と亨梧の二人は、成り行き上仕方なく対抗戦に参加したはずだったのだが、決勝大会の優勝で味わった感覚が忘れられないらしく、いまでも対抗戦部の部活動に熱心に参加しているという話だった。
そして、リーグ戦では、圭悟とともに主力として活躍しているということは、幸多もよく知っていることだ。
「幻想空間上でもなければ、魔法士との訓練なんて怖くてできるもんじゃないよ」
「そりゃあそうだな」
「さすがになあ」
幸多の発言には、亨梧と怜治も笑った。
幸多とこうして言葉を交わすのは、いつ以来だろうか、と、二人は考える。
対抗戦部としての活動が始まり、決勝大会が幕を閉じるまでの間は、それこそ、何度となく会話をした。様々に話し合い、幸多のひととなりをしれたものだったし、だからこそ、幸多が導士として活躍していることが自分のことのように嬉しかった。
それ以上に彼が生き残ってくれていることが、嬉しいのだが。
そんな幸多とこうして対抗戦部の練習で再会するなどとは、想像したこともなかった。
「まあ、いくらなんでも導士様との訓練なんかとは比べものにならねえからよ」
「そんなに大変ってこと?」
「ちげーよ」
圭悟は大笑いしながら、幻想空間上に出現した競技用の球を手に取った。星球と呼ばれる閃球専用の球である。
「導士様には……いや、英雄様には物足りないって話だよ」
「そんなことないと思うよ」
「どうだか」
「本当だって」
幸多は、圭悟に笑い返すと、準備運動を終えた。
それは、幸多にとっては本心以外のなにものでもない言葉だ。
導士の訓練は、実戦を想定したものであり、運動競技の練習とは全く質の異なるものなのだ。
熟練の魔法士が魔法競技ではその実力を発揮しきれないというのは、往々にしてあることだったし、よくある話である。
導士を退職後、魔法競技に参加したはいいが、幻闘以外では振るわないという話もよく聞く。
競技規則に従って行う魔法競技と、組織としての規則こそあれど、混沌とした実戦とは全く違う代物なのだ。
だからこそ、幸多も全力を出し切る所存だったし、圭悟も、そんな幸多との全力のぶつかり合いが楽しめるのではないかと思っていた。
「閃球。ルールは覚えてるよな?」
「もちろん。馬鹿にしてる?」
「してるかっての。うちの部は、全十二名の部員で成り立ってる。部長はおれで」
『副部長は、なぜかわたしなの』
と、幻想空間内に響いたのは、真弥の声である。雑用係を自称し、実際それに近いことを行っている彼女がなぜ副部長に選ばれたのか、幸多には、即座に理解できる気がした。
広い視野を持ち、あらゆることに気が回る彼女こそ、圭悟の補佐役として適任だからではないか。
圭悟にどんな無茶ぶりをされても、真弥ならば瞬時に答えられるだろう。
「真弥、蘭、紗江子の三人は雑用だから、実際に競技に参加するのはこの九人だ」
そういって、圭悟は、競技場内の部員たちを見回すようにした。運動服姿の部員たちが、幸多に自分の存在を示していく。
皆、決勝大会後に対抗戦部に入部しただけあり、十分に鍛え上げられた体をしていた。対抗戦部として練習の日々を送ってきたのだろう。
「んで、この九人を競技ごとに使い分けてるんだが、今回は特別に全員参加の閃球をしようと思う。閃球は通常六人だが、それじゃあどうしようもねえからな」
そして、圭悟によってチーム分けが発表されると、幸多を含めた全十名の参加者は、圭悟チームと幸多チームに分けられることとなった。
五名ずつという閃球としては変則的なチーム分けとなるが、そればかりは仕方がなかった。
そして、そんなことに文句をいう幸多でもない。
むしろ幸多は、久々の閃球に興奮を隠しきれないでいた。
対抗戦決勝大会から三ヶ月以上が経過したいま、自分の身体能力がどれほど向上したのか、それを試すときがきたと思ったのである。