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第八百二十八話 英雄の凱旋(二)

 久々の登校、久々の親友たち、久々の授業――幸多こうたは、一ヶ月間に及ぶ衛星任務を終えるなり、平穏に満ちた日常というものを全身で実感していた。

 ありふれた日常とは、こうまでも穏やかで、すこやかなものなのか。

 衛星任務という非日常こそが日常となっていた幸多にとって、それは鮮やかな驚きにほかならなかった。

 幸多が戦団に入って三ヶ月以上が経過しているが、最初の二ヶ月間、葦原あしはら市を拠点として活動していたこともあり、日常と非日常の境界が曖昧だったということも大きいのかもしれない。

 いや、導士たるもの戦場こそが日常というべきなのだろうが。

 とはいえ、学校に籍を置き、学生という身分を確保している導士など、幸多以外にほとんどおらず、学校に通うことによって日常を認識する導士もまた、稀有としか言いようがあるまい。

 そして幸多は、平穏たる日々を謳歌おうかする学生たちにこそ、戦団の成果、衛星任務の苛烈かれつなる戦いの意味を実感として認識するのである。

 自分たちが日々戦っていることの意味がそこにこそあるのだ、と。

 もっとも、幸多の学校生活は、決して安穏あんのんたるものではなかった。

 というのも、休み時間になると、幸多目当ての学生たちで人集ひとだかりが出来たのだ。

 超新星ちょうしんせいにして龍宮戦役の英雄たる幸多にサインや並んでの写真撮影を求める学生が続出し、教室には長蛇の列が出来るほどだった。

 サインは、合成紙とはいえ高級品である色紙などではなく、幻板げんばんに書くという方法を取られることがほとんどであり、学生たちも幻板への署名を求めた。

 資源に限りのある世界において、紙は高級品だ。いくら英雄のサインとはいえ、即座に色紙を手配しようというものはいなかった。

 また、圭悟がどれだけ強く睨んでも、幸多にサインを求める学生たちが途切れることはなかった。

 最初にサインを求めた人物に幸多が快く応じてしまったがためだろうが、そればかりは、どうしようもない。

 黒木法子くろきほうこ我孫子雷智あびこらいちを伴って教室を訪れるなり、サインを求めてきたからだ。

「一ヶ月間に及ぶ衛星任務、お疲れ様でした」

「へ?」

 開口一番、法子がそのようにいってきたものだから、幸多は目を丸くした。法子からそんな風にねぎらいの言葉を貰えるなどと、思ったこともなかったからだ。

「なんだ? はとが豆鉄砲でもらったような顔をして……とはよくいうが、鳩のそんな表情を見たものなどいないだろうな」

「そうねえ、いないでしょうねえ」

皆代みなしろ幸多の今の表情がまさにそれなのだろうが」

「そうかもしれないわねえ」

「しかし、なぜだ?」

「そりゃあ法子ちゃんがねぎらってくれるだなんて思っても見なかったからじゃない?」

「む……それは随分と失礼な話だと思うが」

「日頃の行いって大事よねえ」

「むう……そうなのか? 皆代幸多」

「え、ええと……」

 久々に対面した法子と雷智の怒濤どとうのような、嵐のような有り様を目の当たりにして、幸多は呆然としたものである。

 それから法子にサインをねだられたのにも、幸多は、驚愕したものだったし、それには圭悟たちも驚いていた。

 法子は、幸多からのサインを家宝とし、子々孫々《ししそんそん》に伝えていくと宣言し、去って行った。雷智が苦笑まじりにそんな法子の後についていくと、遠巻きに幸多たちを見ていた生徒たちがわっと押し寄せ、ちょっとしたサイン会が開催される運びになったのである。

 サイン会は、休み時間になるたびに開催され、昼休みも食事を終えるとすぐさまサイン攻めにいそうになったため、圭悟たちは幸多を護るために手を打った。

 せっかく登校して学生生活を満喫まんきつしようという幸多がサイン攻めによって疲労するのは、圭悟たちからしてみれば面白い話ではない。

 幸多が学校一の人気ものになったという事実には、喜びもひとしおではあるのだが、それはそれとして、だ。

 幸多には、学生としての日常を平穏裏へおんりに過ごして欲しいというのが圭悟たち親友の願いであり、そのために打った一手というのは、職員室に飛び込むことである。

 職員室には、昼食を終えた教職員たちが詰めており、圭悟たちが入ってきたことに何事かという顔をしたが、幸多を連れてきたことを認識すると、すぐさま事態を把握した。

「本当、大変ね」

 担任の小沢星奈おざわせいなは、圭悟たちを職員室に招き入れると、廊下の外に押し寄せていた学生たちがしばらくしてすごすごと去って行く様を見届けるなり、小さく息を吐いた。

 そして、職員室内でも突発的なサイン会が開催される羽目になったのを目の当たりにして、呆然ぼうぜんとする。

 幸多を英雄視しているのは、なにも生徒だけではない。

 央都市民の多くが、そうだ。

 それもこれも、戦団がそのように発表したからにほかならない。

 龍宮戦役において英雄的な活躍を果たした存在、それこそが真星しんせい小隊であり、小隊長が皆代幸多なのだ。

 だから、幸多はサイン攻めに遭うのであり、仕方なく応じるのである。

 とはいえ、教師の人数は、これまで休み時間のたびに殺到してきていた生徒の数に比べれば遥かに少なく、圭悟たちもなにもいわなかった。さすがに疲れ切っていた、というのもあるのだろうが。

「小沢先生はいります? サイン」

「ええと……」

 星奈は、真弥まやの質問にどう答えるべきかと迷った。本心としては喉から手が出る程欲しいのだが、生徒たちのサイン攻めから逃げてきた幸多に追い打ちをかけるような真似はできないという気分もある。

 なんといっても、幸多の担任教師なのだ。

 他の教室のほとんど関わりのない教師たちとは違い、これから先も関わっていくかもしれない生徒の心情を思えば、複雑な心境にならざるをえない。

「次の機会、もうないかもしれませんよ?」

「そんな……」

 星奈が危うく絶句しかけたのは、真弥が当然のようにそんなことをいってきたからだが。

「今日だってわざわざ休養日を返上して登校してきたんですよ、皆代くん。それでこんなに疲れるんだったら、次の休養日からは登校するようなことはないかもしれないじゃなないですか」

「それも……そうかもしれませんね」

 だったら、サインをもらっておくのもありかもしれない、と、星奈が考えを改めたのは、幸多とのこうした交流がもう二度とない可能性を脳裏のうりに巡らせたからだ。

 担任の教師として彼になにを教えられたのか、そんなことばかりを考える。

 幸多は、魔法不能者でありながら、手間のかからない生徒だった。あらゆる場面において他の生徒の手本になる、模範的な振る舞いをしていたものだ。そんな彼になにかを教えるということは、案外、少なかったのではないか。

 そして、彼にこそ、救われているのが自分たちのような一般市民なのだろう。

 そんな確信とともに、星奈が幸多にサインを求めると、彼は笑顔で応じてくれた。

 幸多の笑顔に少しばかり救われるような気分になったのは、傲慢な考えなのか、どうか。

 星奈は、幻板に刻まれた幸多のサインを昼休みの間中、見つめ続けたのだ。


 そうこうしている間に昼休みが終わり、午後の授業を迎えた。

 そして放課後になれば、圭悟は、幸多を部活に誘った。

「なあ、帰宅部よぉ。たまにはどうだ、対抗戦部の練習に参加してみるっていうのは」

「いいの?」

「いいに決まってんだろ。元はといえば、おまえのためのものなんだぜ?」

「でも……」

 導士は、対抗戦に参加してはならない――そんな大会規定が幸多の頭の中を過った。

 対抗戦は、戦団が人材を発掘するための場として用意したという側面があり、故にこそ、導士の参加は認められないのだ。

 そもそも、高校に在籍、通学中の導士など数えるほどしかいないのだが、それはそれとして、いや、だからこそそのような規定があるに違いない。

 導士と、一般の魔法士は、その実力に大きな差があるというのは定説というよりは、常識に近い。

「練習だけならなんの問題もないと思うよ」

「それだったら……参加しようかな」

 蘭が幸多に笑いかければ、幸多も表情を明るくした。


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