第八百二十七話 英雄の凱旋(一)
十月になると、央都全体を包み込んでいた夏の暑さもすっかり形を潜め、秋の気配が充ち満ちていた。
緩やかながらも気温は下がり、夏服のままでは寒い時間帯が増え始めている。
そんな最中、連日世間を賑わせているのは、天燎財団の新規事業・高天技術開発に関する話題である。
高天技術開発が開発中だという次世代兵器・汎用人型戦術機クニツイクサの発表は、世間を大騒ぎに騒がせたが、それもそのはずだろう。
「イクサの後継機にしか思えないもん」
真弥が口先を尖らせるのも無理のない話だ。
圭悟は、机に突っ伏したまま、友人たちの会話に聞き耳を立てているのだが、真弥の表情だけはありありと浮かび上がった。
「また天輪スキャンダルみたいなことをしでかさないか心配だわ」
「さすがにそんなことはないと思うけど……」
「そうですよ。いくらなんでも、同じ過ちを繰り返す企業ではないと信じておりますわ」
「そりゃあまあ……そうだけどさ」
真弥が蘭や紗江子に宥められて落ち着いた頃合いだった。
廊下の方からわっと声が上がったかと思えば、興奮染みた学生たちの反応が熱気となって押し寄せてきたものだから、圭悟は思わず顔を上げた。
「なんだ?」
「なんだろ?」
「わかんないけど……なんだか騒がしすぎない? 有名人でも来たのかな」
「我が校で有名な方といえば……」
「まさか」
圭悟は真弥と顔を見合わせると、上体を起こすなり席を立った。
見れば、廊下側の窓から身を乗り出して外の様子を窺う生徒たちの姿があり、その興奮ぶりからも状況が飲み込めるようだった。
圭悟は、すぐさま廊下に飛び出そうとして、同じ教室の生徒たちを押し退けるようにした。
すると、彼の視界に飛び込んできたのは、廊下に充ち満ちた生徒たちの姿であり、彼らの視線の中心を歩いてくる少年の姿だった。
生徒たちの凄まじいまでの熱狂ぶりには、どうにも困惑を隠せないといった様子の少年は、圭悟を視界に認めると、表情を一変させた。戸惑いから、喜びへ。
その表情の変化が圭悟にも伝わってきたから、どうしようもなく駆け出したくなった。
幸多だ。
幸多が、登校してきたのだ。
「幸多!」
「圭悟くん!」
圭悟が叫べば、幸多も大声で応えてくれた。そして、生徒たちの声援を振り切るようにして圭悟の元に走ってきた幸多を、彼は全力で抱きしめ、その命を感じ取ろうとした。
生きて、帰ってきた。
それだけのことがこの上もなく嬉しくて、圭悟は目頭が熱くなるのを感じた。そして、涙がこぼれ落ちるのに任せる。
こればかりは、どうしようもない。
親友が導士となって、衛生任務についたことなど、人生で初めてだったのだ。
しかもその親友は、龍宮戦役という大きな戦いの渦中にあり、〈殻〉の中心へと赴いたというのだ。
圭吾たちが幸多の姿を目の当たりにしただけで涙ぐむのも、致し方のないことだった。
「なんでまた学校に?」
「なんでって、そりゃあたまには登校したほうがいいんじゃないかって思ったからだけど」
「導士様のせっかくの休養日を学校に費やすなんて勿体ないと思わないのかね」
「思わないかな」
「そうかよ」
「なんでそんな言い方なのよ!」
「あん?」
「本当は心底嬉しいくせに! もっと全力で喜びなさいよ!」
「あのなあ……」
圭悟は、真弥の憤然とした様子を横目に見て、渋い顔になった。
今更だが、先程の自分の行動を振り返ってみて、無性に恥ずかしくなってきていたのだ。
幸多が教室に入り、自分の席に着くと、同じ教室の生徒たちが群がってきたが、圭悟が一睨みすると、それだけで散らばっていった。
とはいえ、遠巻きにこちらの様子を窺っているのは、どうしようもない。そして、廊下側の窓から教室内を覗き込んでくる連中にも、どうすることもできない。
幸多は、もはやただの有名人どころの存在ではない。
「そうだよ、米田くん。あれだけ皆代くんの心配をしてたんだからさ」
「そうですよ、米田くん。いくらぶっきらぼうが売りとはいっても、皆代くんにまでそんな風にする必要がありまして?」
「ぶっきらぼうが売りってなんだよ」
「圭悟のことでしょ」
「どこがだよ」
「ふふ」
「んだよ?」
不意に幸多が笑ったから、圭悟は気になって彼の顔を覗き込んだ。
「ううん。相変わらずだな、って思っただけ」
幸多は、圭悟や真弥たちとこうして直接逢うことができただけで感無量だったし、無理を通した甲斐があったと思っていた。
九月、初めての衛星任務を終えたばかりの幸多は、十月を迎えた現在、第七軍団の次の任地である大和基地に移動していた。
九月中は、何度となく任務を行った。
龍宮戦役、クニツイクサ実戦試験以外は、ありふれた衛星任務ばかりだ。衛星拠点の周辺を見て回り、あるいは、拠点そのものの防衛任務についたこともある。ダンジョンを発見することはなかったものの、多数の幻魔と戦い、討伐している。
任務の合間合間には、杖長や星将にして師匠である美由理と訓練を行っていた。
日夜、導士として鍛えられているという実感があった。
そして、衛星任務中、真星小隊に一人として脱落者が出なかったという事実には感動すら覚えたものだ。
衛星任務には死が付きものだ。
通常の衛星任務中にも命を落とす導士が少なからずいて、そのたびに、この魔界の恐ろしさを実感したものである。
そうして九月を乗り越えた先に待ち受けていたのが、大和市の防衛任務であり、幸多は、つい先日、大和市に着任したばかりである。。
最初の任務を終え、休養日となった今日、わざわざ大和市から葦原市にある天燎高校に登校してきたのだから、圭悟たちが驚くのも無理からぬことだろう。
学校全体が幸多の登校に興奮している様子なのは、幸多自身には少々気恥ずかしいものがあるのだが。
「相変わらずなのは、おまえだろ」
「ぼく?」
「新世代の英雄なんていわれてるの、知ってんのかよ」
「あー……うん、知ってる。でも、ぼく自身は自分が英雄だなんて思っていないしさ」
「そこなんだよ」
「え?」
「そこが、なにも変わってねえ」
「うん?」
幸多は、圭悟がなにをいいたいのか理解できず、怪訝な顔になった。
「導士様になっても、英雄様になっても、なーんにも変わらねえんだな、おまえって」
「そこが皆代くんのいいところなんじゃない」
「ぼくもそう思うかな」
「わたくしも」
「そりゃあまあ、こいつにふんぞり返られても困るけどよ。でもまあ、少しは自分の立場ってものを理解した方がいいんじゃないかってな」
「自分の立場……」
「見ろよ」
圭悟は、幸多に教室内を見回すように促すと、さらに廊下側に視線を向けた。教室内の生徒たちは、遠巻きに、圭悟に悟られないようにこちらの様子を窺っているのだが、教室に押し寄せた他教室、他学年の生徒たちは、教室内に乗り込んできそうな程の勢いがあった。
それだけ幸多が注目を浴びているということであり、誰もが携帯端末を彼に向け、動画や写真を撮影しているのである。
「英雄の凱旋ってこんな感じなんだろうな」
「英雄の……凱旋」
「おまえのことだよ、幸多」
「うん……わかってる。けど」
「けど?」
「あんまり、実感は湧かないかな」
幸多は、圭吾たちに視線を戻して、本心を告げた。
幸多を見るために教室に殺到している学生たちの瞳は、まるで本物のヒーローでも見るかのようにきらきらと輝いている。そうしたまなざしを向けるのは、やはり彼らが一般市民であり、実際の戦場とはかけ離れた場所にいる人々だからだろう。
それは、わかる。
世間全体が、真星小隊を若き英雄だなんだと持て囃している。
それは、衛星拠点にいる間もわかっていたことだったし、第七軍団の同僚、上官などから何度となく話題にされてきたことでもある。
軍団長にして師匠である美由理からも、英雄に相応しい働きだったといわれてもいる。
けれども、幸多自身には、どうしたってそういう実感が沸かないのだ。
確かに龍宮戦役の勝利に結びつく働きをしたことは間違いないし、否定しようのない事実だ。けれども、それはたまたまであり、偶然にほかならない。
たまたま、義一が幸多の部下になり、義一の中の美零が暴走した結果なのだ。
義一が別の小隊の一員であれば、その小隊が英雄になった――ただそれだけのことではないか。
幸多自身は、なにも成し遂げていない。
なにかを成し遂げたという実感が、まるでなかった。
だから、世間の英雄という評価には、懐疑的な受け取り方をしてしまうのであり、受け入れがたいのだ。
もちろん、そう評価してくれることそのものはありがたいと思っているのだが。
そして、天燎高校の生徒たちが、幸多に熱狂してくれているという事実も、受け入れるべきなのだろうということも理解している。
英雄の凱旋。
圭悟の言葉が、幸多の胸に深く刻まれた。