第八百二十五話 クニツイクサ(十二)
ある程度の訓練を積んだ魔法士は、超高速度での戦闘を行うものだとされている。
飛行魔法にせよ、地上移動魔法にせよ、魔法を使った移動手段は、魔法士にとてつもない速度を与えた。そしてその速度そのものが戦う力となり、相手を翻弄し、打ちのめすのである。
幻魔は、魔法生命体とも呼ばれるように天然自然に魔法を使いこなす。当然、幻魔との戦いそのものが超高速戦闘と呼ばれるほどの次元で行われることとなり、高位の幻魔ほどその戦闘速度は上昇していく。
獣級幻魔ですら、物凄い速さで動き回るものであり、その速度に対応しようとすると、どうしてもクニツイクサの巨躯に負荷がかかるということは、設計段階で判明していたことだ。そしてその問題の解決のために技術者たちが力を結集させ、現状の完成度にまで漕ぎ着けている。
特に関節部にかかる負荷が大きいということもわかりきっていたことだが、実戦運用試験によってさらに明確なものとなった。
縦横無尽に動き回る無数の幻魔を相手に大立ち回りを演じるということになれば、駆体全体にかかる負荷もまた、飛躍的に増大するものだ。その結果、破綻したのだとすれば、想定通りの結果ともいえるだろう。
幻魔の大群の超高速戦闘に翻弄されたのだ。
なぜこのような結果になったのか、という疑問にも明確な回答が記されている。
つまりは、幻想空間ではそのような現象が確認できなかったからであり、現実世界でそこまでの負荷をかけることができなかったからにほかならない。
「隣、よろしいかしら?」
「は?」
十四郎が思わず生返事を浮かべたのは、〈思金〉が提示した課題の数々に頭を抱え始めていたからだ。見れば、蒼黒い髪の美女が、白衣を靡かせるようにしてこちらを見ていた。
日岡イリアである。
「これは日岡博士。もちろん、どうぞ。わたしのほうこそ、気が付かなかったのは申し訳ありません。同乗させて頂いている身の上でありながら」
「そう畏まられても困るのだけれどね」
「畏まるなど……」
十四郎は、隣の座席に腰を落ち着けるイリアの様子を窺いながら、つぶやいた。
日岡イリアといえば、戦団が誇る技術者の一人だ。技術局の影の支配者にして、知恵の女神などという異名で知られる彼女は、星央魔導院時代から有名な人物だった。
伊佐那美由理、妻鹿愛とともに、十八期の三魔女という彼女たちの異名を知らないものはいないのではないか。
十四郎が緊張するのも当然のことだ。高名な戦団の星将が隣に座っているということもあれば、彼女を敵に回すわけにはいかないという事情もある。
イリアを敵に回すということは、戦団の技術局そのものを敵に回すことになるのだ。
それだけは、そのような事態だけは、なんとしてでも避けなければならない。
できれば、味方に引き入れ、協力してもらいたいというのが、十四郎の本音だったし、〈思金〉の意向でもある。
クニツイクサは、戦団との協力があればこそ、形になるものだ。
そしてそれは、財団そのものの将来にも大きく関わることでもある。
戦団と手を取り合って前に進むことにこそ、財団をさらなる段階へと押し上げるために必要不可欠な要素なのだ。。
戦団と敵対することに喜びを見出す時代は、終わった。
イリアは、膝上に置いた端末を起動すると、幻板を出力した。幻板の表示は、イリアにしか見えないように調整されているらしく、隣の席の十四郎にはなにも表示されていないように見えていた。
十四郎の端末も同じ仕様なのだが。
「クニツイクサの運用試験は、今後も、このような形で行うということでよろしいかしら?」
「は、はい。もちろん……今後も協力して頂けるというのであれば」
「こんな乱暴な試験、戦団の協力なくしてできるものではないでしょう」
「確かに……」
十四郎が唸ったのは、乱暴な試験という言い回しについて、だ。
イリアのいうとおりだった。
いきなり運用試験を行うといって、空白地帯に殴り込み、大量の幻魔との戦闘を行ったのである。多数の導士が同行してくれていたとはいえ、自殺行為に近いのではないか――冷静になったいまならば、そう考えられた。
十四郎が命の危機を感じた、というわけではない。
第一波、第二波の戦闘は遠方で行われていたということもあって安全極まりなかったし、第三波も戦団の導士たちがいてくれたおかげで、なんの不安も感じなかった。
導士たちの魔法技量の凄まじさを実感したものだったし、その奮戦ぶりには感動すら覚えたものだ。
同時に、そんな彼らを死地に追い遣っているという現代社会の構造上の欠陥を認めざるを得なかったのも、事実だ。
自分よりも遥かに若く、将来も有望な魔法士たちが、死そのものたる幻魔と相対し、抗っている。
そして、彼らの奮戦によって、自分の命が、安全が守られているという圧倒的な現実には、息を呑むしかない。
だからこそ、一刻も早くクニツイクサを完成させ、大量生産するべきなのだ。
遠隔操作の機械兵器であるクニツイクサは、どれだけ消耗しても痛くも痒くもない。だれも傷つかなければ、死ぬこともないのだ。
極めて人道的な兵器。
鏡磨が戦団への皮肉として発したその言葉を、十四郎は、まっすぐに見つめ、考えている。
「ですが、この乱暴な方法のおかげで、クニツイクサの改善すべき点も多数見つかったわけでして……」
「それに関しては、こちらからも提案があります」
「日岡博士から、ですか?」
「問題点は、幻魔との戦闘における超高速機動の負荷、でしょう?」
「……さすがは博士。なんでもお見通しですな」
「既に通った道ですから」
「既に通った……?」
イリアは、十四郎の顔を横目に見て、すぐさま幻板に視線を戻す。十四郎の訝しむような表情に裏はない。彼に腹芸は出来ない。
イリアの幻板には、第四開発室の技術者たちによる報告書が表示されており、クニツイクサの評価が極めて詳細に記されていた。
「窮極幻想計画。御存知でしょう。戦団が、いえ、我が第四開発室が推進中の真世代兵装構想のことです」
「ええ、もちろん」
相槌を打ちながら、十四郎の脳裏に浮かぶのは、戦場を縦横無尽に滑走する一人の少年の姿だ。
皆代幸多。
完全無能者とも呼ばれる魔法不能者の彼は、天燎高校の生徒であり、いまや戦団でも有数の有名人といっても過言ではあるまい。
人は彼を新世代の英雄と呼ぶ。
そしてそんな彼が身に纏う重武装と武器群こそ、窮極幻想計画によって生み出されたF型兵装なのだ。
戦団広報部が大々的に喧伝したことによって、双界に住むだれもがその存在を知ることになったそれは、魔法社会の常識を覆す代物だった。
幻魔には通常兵器は通用しないという定説を覆したのがイリアの発明であり、イリアの技術を応用して開発されたのがイクサに用いられた武装の数々である。そしてその技術は、クニツイクサにも受け継がれた。
クニツイクサが幻魔を撃破できたのは、まさにイリアが発明した超周波振動発生機構のおかげなのだ。
幸多が四丁の銃火器を乱射し、幻魔の群れを掃討する様は、破壊的としかいいようがないほどだったし、鮮明な光景が脳裏に焼き付いている。
「鎧套は、ただの鎧でも装甲でもないんですよ。それそのものが独自の機構を備えた最新技術の結晶。鎧套を完成させるためにどれほどの苦労があったか、思い出したくもないくらい」
「は、はあ……なるほど。その鎧套の開発の際に培われた技術が、クニツイクサにも応用可能……と?」
「ええ。これから徹底的に検証してみなければなりませんが、おそらくクニツイクサは戦闘機動に耐えられるようにはなるでしょうね」
「それは……素晴らしい」
「そうね。本当に素晴らしいわ」
イリアは、端末を操作し、幻想空間上にクニツイクサの情報を列挙した。第二世代の鎧套群に搭載した機構をクニツイクサに適用した場合、どうなるのか。ノルン・システムを駆使して、検証していく。
戦団本部への帰投を待っていられるほど、イリアも暇人ではないのだ。
クニツイクサだけに構っていられるわけもなければ、窮極幻想計画にこそ、専念したいというのが本音だった。
とはいえ、護法院の決定事項に逆らうわけにもいかず、こうして運用試験に付き合ったのだ。そして、クニツイクサを完成させなければならなくなってしまった。
護法院が、クニツイクサに利用価値を見出したからだ。
「クニツイクサが完成し、大量生産すら可能となった暁には、戦団は……いえ、人類は大きな力を得ることになる。それは素晴らしいこと。クニツイクサは、人道的な兵器なのでしょう?」
「え、ええ……その通りです」
十四郎の臆面もない断言に、イリアは、眉根をわずかに寄せたが、すぐに消した。
彼のいうことも、もっともではある。
戦団は、導士の命という対価を払うことによって、数多の勝利をもぎ取ってきたのであり、人類を存続させてきた。
いまもなお、数え切れない犠牲を払い続けているのだ。
犠牲など、少なければ少ない方がいいに決まっているというのに。
それなのに。
(わたしは……)
イリアは、ノルン・システムが動かしている幻想空間上のイクサを見つめていた。