第八百二十一話 クニツイクサ(八)
二百体もの獣級幻魔が、幸多と四機のクニツイクサを包囲している。
少し前までムスペルヘイムと呼ばれる広大な〈殻〉の、蒼焔原野と名付けられていた領域。原野と命名されるだけのことはあり、まさに荒れ放題の大地であり、そのうえで穴だらけだったのが特徴といえば特徴だろうか。
そこら中の穴から蒼い火柱が立ち上っていた光景は、鮮明に覚えている。
だが、スルトが死んだことによってその炎は失われ、ありふれた空白地帯の一風景と化してしまっている上、空白地帯特有の地形変化の影響が現れ始めていた。
そこら中に空いていた穴が塞がったり、盛り上がっている場所もあれば、起伏に飛んだ地形が形成されつつあるようなおんだ。
故に、以前とはまるで異なる風景が周囲に広がっているのである。
そんなだだっ広い平原の片隅に展開しているのが幸多と四機のクニツイクサなのだが、機械仕掛けの巨人たちは、幻魔の襲来に応じるようにして、前後左右の四方に展開した。
そして、すぐさま銃撃を開始する。
『一機五十殺ね。まあ、それくらいはしてくれないと戦力にもならないけれど』
イリアの独り言を聞きながら、幸多は、クニツイクサが幻魔の群れへと殺到していく様を見届けている。
それはまるで幸多から幻魔の注意を引き剥がすためであるかのようでもあったし、手柄を自分たちだけのものにしようという意図もあるように思えた。しかし、頼もしくもある。
(人道的な兵器……か)
そのようなことを天燎鏡磨が嘯いていたことを思い出す。
天燎鏡磨のその言葉は、結局、嘘にまみれていた。
イクサは、悪魔の兵器だったからだ。
悪魔の悪魔による悪魔のための機械兵器。携わった技術者たちはともかく、操者たちは、全員、生命力の全てを吸い尽くされて死亡してしまった。
人道的どころか、外道以外のなにものでもない。
では、クニツイクサは、どうか。
クニツイクサもまた、イクサと同様の方法で遠隔操作を行っており、操者たちを乗せた遠隔操作機は、トリフネの中に設置されている。
サークルドリーム社のドリームステーションを連想させるその機械は、内部に搭乗した人間との神経接続により、クニツイクサを自由自在に操縦可能とするのである。
実際、クニツイクサは、人間のように動き回りながら、人間以上の機動性、戦闘速度を発揮していた。超高速で滑走することによって幻魔の魔法攻撃を回避し、反撃として銃撃を叩き込めば、飛びかかってきたバロメッツの胴体を大剣で切り払って見せた。
嵐のような銃撃と強烈な剣撃の数々を見せつけられれば、クニツイクサの有用性を実感せざるを得ない。
幸多は、といえば、時折飛来してくる魔力体を銃撃で撃ち落としたり、クニツイクサを無視して突撃してきたガルムを撃滅したりしながら、演習を見届けている。
実戦形式というよりは、実戦そのものだが。
『見たところ、獣級程度なら苦にならなそうね』
「そのようです」
『まあ、それは幻想空間での演習でもわかってたことなんだけど。でも、幻想と現実は違うものでしょ』
「はい」
幸多は、静かに頷きながら、クニツイクサの戦いぶりを見守る。
幻想空間で出来ていたことが現実世界では出来ない、ということそのものは、よくあることだ。だからこそ、何度となく幻想訓練を繰り返す。意識に染みつかせ、完璧に覚えさせるために。
だがそれは、人間の場合の話だ。
機械となれば、全く別の問題が発生する。
幻想空間上に具現されたそれらの機械は、入力された情報を正確にして完璧に再現しているが、しかし、だからこそ、机上の空論をも再現してしまうのである。
入力した情報が間違っていたとしてもそのまま再現してしまうのであり、それによってなんらかの実験が成功したと勘違いすることも、ままあることなのだという。
だから、現実世界での実証実験が重要であり、F型兵装も何度となくそのような実験を繰り返してきたのだ。
そして、幸多は、これほどまでの力を手に入れることができた。
ただの魔法不能者が、魔法士に匹敵する戦闘力を得られているということそれ自体が、奇跡のように感じる。
この奇跡を実現したのがイリアならば、幸多は、彼女に頭が上がらなかったし、尊敬してやまないのである。
イリアのためならば、なんだってできるのではないかと思えるほどに。
巨人の騎士が大地を疾走すれば、幻魔の群れがそれを追い立てる。しかしそれは、巨人の思惑通りであり、巨人たちは、幻魔の群れに向き直り、引き金を引いて銃弾をばら撒いて見せた
弾幕が、追走する幻魔の群れに襲いかかり、ガルムやカソ、オルトロスといった獣級幻魔たちが、全身に弾丸を浴びて怒号を発した。爆炎が吹き上がり、炎の雨が頭上から降り注ぐ。
憤然と燃え立つ猛火の中を、しかし、巨人は平然と佇み、銃撃を続ける。魔晶体に打撃を受けた幻魔をさらに攻撃し、魔晶核の破壊へと至る。
無数の幻魔が次々と撃破されていく様は、圧巻というほかない。
四機の巨人たちは、幻魔たちの攻撃魔法に曝されながらも、致命傷を受けることなく戦い抜き、二百体の幻魔を殲滅しきったのである。
そのうち、幸多が撃破したのは、十体程度だ。
『全目標の撃滅を確認。各機の状態を確認せよ』
『壱号機、損傷軽微』
『弐号機、右腕部に異常発生』
『参号機、脚部走行機能が低下』
『四号機、異常なし』
『各操者の生体反応、正常』
様々な情報が幸多の通信機に伝わってくる。
幸多は、幻魔の死骸を山のように築き上げた四機の巨人を見回し、少しばかり安堵する。現状、イクサのような事態には陥っていない。
天燎財団の思惑がどこにあるのかはわからないが、少なくとも、天燎鏡磨の二の舞にはなるまい。
そんなことを考えてしまうのは、やはり、彼を殺したという感覚があるからだ。
天燎鏡磨。
よく神経質そうな表情を見せていた彼は、結局のところ、どういう人間だったのだろうか。
アスモデウスに唆され、操られ、天輪スキャンダルを引き起こし、狂乱の中で収監された彼は、マモンに浚われて、人間であることを止めてしまった。
禍御雷などと名乗る怪物に成り果てた彼は、最後、幸多に命を絶たれ、死んだ。
死の間際、彼がなにかをいおうとしていたのは確かだが、それがなんなのか、いまとなっては想像することすらできない。
鏡磨は、思うままに生きることができたのか、どうか。
そんなことばかりを考えてしまう。
こんな世界だ。
思うままに生きられる人間がどれほどいるというのだろうか。
だれもがなにかに支配され、制御され、制限され、抑圧され、生きている。
だれ一人として思うままに生きられはしないのではないか。
だれもが自分の思う通りに生きられる――そんな日々をもたらすためにこそ、戦団は日夜戦っているのであり、その戦力として利用価値があるのであれば、クニツイクサとやらも悪くないのではないだろうか。
幸多の堂々巡りの考えの結論は、そこへ至る。
『――幸多くん、聞こえているなら返事をして頂戴』
「は、はい!」
『良かったわ。てっきり無視されているのかと思っちゃった』
「無視なんてするわけないじゃないですか」
『そう? 最近のわたしの言動が幸多くんには刺激が強すぎたんじゃないか、って、めがみちゃんにいわれて……確かにそうかもって、思い直したのよね』
「えーと……」
イリアのこの状況にそぐわない会話にどういう反応をすればいいのかわからず、幸多は、虚空を見遣った。
そして、銃を構える。
「幻魔が接近中ですけど」
『そりゃそうでしょう。あれだけの戦闘をしたんだもの。周辺の幻魔が気づかないはずがないし、反応しない理由もないわ』
「ですよね」
『しばらく連戦になるわ。きみは、危ないと感じたならすぐに離脱して。クニツイクサはどうでもいいから』
「どうでもいいって……」
『クニツイクサは、極めて人道的な兵器。クニツイクサ自体が破壊されたとしても、だれ一人傷つきはしないし、戦死者も出ない――だそうよ』
イリアが嘆息混じりにクニツイクサの謳い文句を唱えてきたころには、四機のクニツイクサもまた、戦闘態勢に移ろうとしていた。
獣級幻魔の第二波は、五百体ほどだった。
激戦が、始まる。