第八十一話 草薙家に生まれたものの使命
対抗戦決勝大会が幕を閉じると、参加者一同は、それぞれ余韻に浸ったり、速やかに引き上げたりと、反応は様々だった。
叢雲高校は、二位に終わった。
そのことを悔しがる部員たちに対抗戦部顧問の励ます声が響き渡る中、それぞれが帰路についた。
叢雲高校対抗戦部は、現地に集合したこともあり、閉会式後、その場で解散する運びになっていた。優勝していれば、祝勝会の席を設けたのかもしれないが、二位に終わった以上、そうならざるを得ない。
それはほとんどいつものことだったし、慣れたことでもあった。
そのほうが色々と気を使わせずに済むだろうという草薙真なりの考えであり、彼が主将になってからの習わしとなっていた。
顧問も、真のやり方に反対することはなかったし、むしろ奨励した。
もっとも、全員が全員、一人でこの会場に来たわけではない。何人かで、あるいは保護者とともに会場を訪れた部員が多かった。
真は、弟の実と一緒に会場を訪れ、去るのもまた、一緒だった。
二人はまだ、控え室に残っている。
叢雲高校関係者の誰一人として残っていない控え室の椅子に、二人だけが座っていた。
「最優秀選手賞、だと。おれがだぞ」
真は、自分の手を見下ろしながら、つぶやいた。発表されてからずっと、信じられない気持ちで一杯だった。
「あれだけ好き放題に暴れ回っただけのおれが、最優秀選手だと」
「それだけ、兄さんの実力が飛び抜けていたってことだよ。実際、閃球での得点は凄かったし、幻闘でも惜しいところまでいったじゃないか」
実には、真の実力と技量の素晴らしさがわかりきっているから、真に最優秀選手賞が授与されたことそのものに驚きはなかった。ただ、優勝校以外から選ばれたということには驚きを禁じ得なかったが、仮に優勝校以外から選出するのであれば、真以外にはありえないとも思っていた。
真は、頭上を仰ぐ。天井照明の柔らかな光は、目に優しく、染み入るようだった。
「……初めて、褒められた気がしたよ」
「え?」
実は、真の予期せぬ発言にただ愕然とした。一瞬、兄がなにをいったのかわからなかったほどだ。
真の脳裏には、幻闘の光景が過っていた。皆代幸多との決戦の最中、彼が発した言葉の数々が蘇ってくる。皆代幸多は、対峙し、倒すべき相手を前にしながらも、真の魔法士としての技量を褒め称えたのだ。
そうした言葉は、そのとき、その瞬間には、響かなかった。
だが、耳朶に染み込み、脳に深々と刻まれたのは、間違いなかった。
心に染み込んだのだ。
だから、負けたというのに、なぜか爽やかな気分になれたのではないか、と、いまならば考えられる。
褒められることがこれほど嬉しいことだと、思ったこともなかったのだ。
そして、最優秀選手賞への選出。
予期せぬ事態だった。
彼にとっては、想像すらできないことだったのだ。そんなことは、たとえ天地がひっくり返っても起きることはないはずだった。けれども、選ばれた。そのときの衝撃たるや、彼の人生始まって以来のものといっていい。
そしてなにより、あの伊佐那麒麟に面と向かって褒めて貰えたことは、青天の霹靂と言って良かった。雷に撃たれたような衝撃が、彼の意識を埋め尽くしたのだ。
だから、だ。
実にこうして心境を伝えるということも、いままでなかったことだ。
「そんなこと、ないよ。そんなこと、あるわけないだろ」
「実?」
実の力強い言葉に、今度は真が驚く番だった。実は、真を真っ直ぐに見ていた。常に憂いを帯びていた瞳は、いまは強い意志を感じる。
「皆、兄さんを見ていたよ。兄さんの魔法士としての技量を認め、褒め称えていたよ。誰だって、そうだよ。じゃなきゃ、兄さんが部長になれるわけないだろ」
「……そうか。そうだな。それは、そうだ」
真は、実の言葉から伝えられる否定しようのない事実に苦笑するしかなかった。
確かに弟のいうとおりだった。
真のような人格破綻者が対抗戦部の部長を務められるのは、実力があればこそだった。誰もが真の実力を認め、技量を認め、能力を認めているからこそ、部長であることを認めたのだ。真の部長としてのやり方は、傲慢極まりないものだった。
しかし、それでも部員たちは、文句もいわず、泣き言一つ言わずについてきた。
それはなぜか。
真を認めていたからだ。
「済まなかった」
「え?」
「おれは随分とおまえに迷惑をかけたようだ」
「迷惑だなんて、そんな。ぼくが好きでやってきたことで……」
実は、真に見つめられ、困惑した。真の瞳は、霧が晴れたように澄み渡っている。つい数時間前までの真のまなざしとは、まるで違っていた。
子供の頃のようだ、と実は想うのだ。
純粋に戦団に憧れ、導士になることを夢見ていた子供の頃の兄の姿を、実はいまも鮮明に覚えていた。
すると、実の携帯端末が鳴動した。実は携帯端末を手に取り、通知を見て、通話を繋げた。
真は、そんな実の様子から、誰からの通話なのか瞬時に察した。手を見下ろす。この対抗戦決勝大会を戦い抜いたことに対し、不思議と、喜びがあった。
幻闘で敗れ、二位に終わったが、しかし、何故か悪い気がしなかった。
対抗戦部の部員たちには悪いが、真自身は、やり遂げたような感覚さえあった。
通常、ありえないことだ。以前の自分ならば、さらなる恨み節を撒き散らして、周囲の人々を脅かしていたのではないか。不平不満を喚き散らし、怒り狂っていたのではないか。
そう思えば、かつての自分が如何に破綻者だったのかがわかろうというものだし、そんな自分についてきてくれた部員たちには、掛ける言葉も見当たらなかった。
叢雲が二位で終わることができたのは、彼ら部員の頑張りがあればこそだ。
真一人では、どうにもならなかった。
「はい。はい。わかりました。すぐに代わります」
真が実を見ると、弟は、彼に携帯端末を差し出してきたところだった。
「父さんが兄さんに代わって欲しいって」
「……わかった」
真は、それだけをいって、実の携帯端末を受け取った。真に話があるのであれば、真の携帯端末に通話してくればいいのだが、おそらく、父にはそれができないのだ。
「代わりました、真です」
「仔細は実から聞いた。優勝を逃したそうだな」
携帯端末の向こう側から聞こえてきたのは、父、草薙真人の声だ。極めて明瞭に、威厳に満ちた声が耳に届く。まるで鼓膜に突き刺さるようだった。その声を聞くだけで震えていた手は、いまや微動だにしない。どういう心境の変化なのか、自分でも分からなかった。
「はい」
「だが、最優秀選手に選ばれた、とも聞いた」
「はい」
「戦団に勧誘されるだろう」
「はい」
それも疑いようのないことだ。
戦団は、対抗戦を才能発掘の場と見ている。優勝校の選手たち全員を勧誘するのは当然として、最優秀選手、優秀選手に選ばれた選手にも、勧誘の手を伸ばした。たとえ表彰されなかったとしても、戦団に才能を見出されれば、勧誘される。
戦団は、常に人材を欲している。特に戦闘部は、是が非でも人手が欲しいのだ。しかし、参加者全員を勧誘するわけではない。
戦闘部が欲しいのは、幻魔と戦える人材だ。無論、育成を含めてのことではあるのだが、それにしたってまったく戦える可能性のないものを勧誘する道理はなかった。
そういう意味でも、真が勧誘されるのは当然の帰結といえるだろう。
「……わたしは、見ていなかった」
「……はい」
真は、真人の一言に一切落胆しなかった。。
草薙家の当主である真人は、それなりに忙しい身の上だ。常に対抗戦決勝大会を見ているわけにはいかないだろうし、彼が真に興味を持っていないこともわかりきったことだった。
なにをしたって、どんな結果を出したって、真人が真になんらかの声を掛けてくれたことなど、一度だってなかったのだ。
だから、なんとも思わない。
「……おまえのことだ」
真人の声が、ひどく後悔に満ちているように聞こえたものだから、真は違和感を抱かざるを得なかった。そもそも、なにをいっているのか、わからない。
「わたしは、おまえのことを余程見ていなかったのだと、痛感している次第だ。おまえがどれほど戦団に憧れ、どれほど導士になることを夢見ていたのか、そして、魔法士としての優れた才能を持ち、誰もが認めるほどの技量を持っていたのか、わたしは見てやることが出来ていなかった」
真人の負い目を感じているような、呵責に苛まれているような言葉の数々を聞いて、真は、ただ呆然とした。
予期せぬ事態とはまさにこのことだった。
真にとって、真人とは、偉大な父であり、絶対的な存在であり、神そのものといっても過言ではなかった。草薙家という天地を支える柱なのだから当然だろう。揺るぎようがない、絶対の法理だったのだ。
それが、草薙家の当主という存在だった。
それなのに、真人は、いままさに過去の己を悔いているようなことをいっている。
さらに真人は、真の理解が及ばないことをいってきた。
「戦団に入りたいのであれば、止めはしない。思う存分にやりなさい。その魔法士としての優れた才能と技量は、戦団の一員として、導士として発揮することこそ、社会への貢献となるはずだ。それがおまえの夢ならば、なおさらだ」
「しかし、それでは家は、草薙家は――」
「家のことは、実に任せればよい。家は大事だが、必ずしも長男が跡を継ぐ必要はないのだ。わたしの父は三男だったし、祖父は二男だったはずだ。わたしは長男だが……」
真人は、そういって小さく笑った。
「草薙家は、代々魔法士の家系だ。優れた魔法士は、社会に貢献することにこそ、その存在意義がある。なればこそ、おまえはどうするべきかを考えるのだ。もっともこの社会に貢献することとはなにか。いま、おまえが為すべきこととはなにか。そのことだけを考え、邁進しなさい。それが草薙家に生まれたものの使命なのだから」
「父さん……」
「わかったな。家のことは、実に任せておけば安心だ。少なくとも、おまえよりは立派にやってくれるだろう」
苦笑交じりの真人の言葉には、真も否定しようがなかった。破綻者そのものである自分よりも、真面目で真っ直ぐな実の方が草薙家を取り仕切るのに向いているのは、火を見るより明らかだ。
それは、草薙家の誰もが思っていたことに違いない。
だが、家を継ぐのは長男の役割であり、真人もそう明言していたこともあって、草薙家の人々も諦めていたのだ。
「話は以上だ。実に代わってくれ」
「はい」
真は、返す言葉がなにも思い浮かばず、ただ従い、携帯端末を実に返す。異論も反論も浮かばない。浮かぶわけもない。
真人は、草薙家の当主にして、草薙家の絶対者が、これまでの考えを翻し、真の在り様を認めてくれたのだ。
夢を叶える機会を与えてくれたのだ。
戦団の導士になるという夢、それを叶える時が来たのだ。
実が携帯端末を鞄に収めたところを見れば、通話が終わったこともわかる。
「良かったね、兄さん」
実は、満面の笑顔で、真を見た。実は、やりきった、と思った。
それはすべて、最初から考えていたことだ。もっとも、想定通りの結果ではない。彼が想定していた結末は、叢雲高校の優勝である。
叢雲が優勝することによって、真が戦団に確実に勧誘される状況が生まれるからだ。その状況ならば、実が家を継ぎ、真を戦団に委ねることができる。
家は、血が繋がってさえいれば、誰が継いでも良いのだ。
草薙家とは、元来、そういう家柄だった。
実は、真ほどではないにせよ、秀でた魔法の才能を生まれ持っている。草薙家の当主としては、歴代と比べても遜色がないはずだという自負もあった。
だからこそ、真人は、実が後継者になることを認めてくれたに違いない。
真は、呆気に取られたような顔をしていた。
「あ、ああ……良かった、のか」
「良かったでしょ。これで兄さんは晴れて戦団に入れるんだから」
「……おまえは、それでいいのか」
「いいんだよ。ぼくは戦団に入りたいわけじゃないし、ほかになにかしたいことがあるわけでもなかったし、兄さんの力になれるなら、なんだっていいんだ」
「実……」
「ぼくは、知っているから。兄さんが誰よりも努力をして、鍛錬と研鑽に励んできたことを、誰よりも知っているから」
だから、応援したいのだ、と、実はいった。
実の心からの気持ちが伝わってきて、真は、なにをいうべきか、言葉を探さなければならなかった。感情が胸の奥で渦を巻いていて、言葉一つ見当たらない。
自分の我が儘で弟の人生を決めてしまっていいものか、どうか。
そんなことがあって良いわけがない、と思うのだが、しかし、実は満ち足りた顔で真を見ているものだから、感情が揺れ動く。
「ありがとう」
そういって、真は頭を下げた。
実は、そんな兄の反応に驚き、面食らった。
兄は、変わった。
たった一日の間に、別人になったような、そんな気さえした。
だがそれは、悪いことではなかった。
戦団の導士になるのだ。
人格破綻者のままでは、色々と問題がある。
そしてその事実は、真もよく理解していたのだった。




