第八百十三話 クニツイクサ(一)
「世間の目は、厳しい。天輪スキャンダルにマモン事変。いずれにも天燎鏡磨が関わっているとあれば、いくら理事長の座から下ろし、財団との関わりを断ったところで、人々は、財団への印象を悪化させるばかりで好転させる理由がありません。そればかりは、致し方がない。なんといっても、兄を――鏡磨を重用し、代表者として扱ってきたのは、財団なのですから」
十四郎は、嘆くように、言い聞かせるようにいった。
たとえそうした言動の数々が彼の本心なのだとしても、聞いている側は、額面通りに受け取るいわれもない。
現に戦団関係者の彼を見る目は、彼の発言が示した通りに厳しいものだった。
彼は、そんな反応を理解しながらも、続けるのである。
「鏡磨の本質を見抜くことができないまま、その生まれ故に重用した結果がこの有り様ならば、受け入れるしかありますまい。父上――総帥は、小さな小さな魔具専門店をたった一代で大企業へと、財団へと発展させた偉人ですが、我が子を見る目は曇っているという一点においては、凡人以下といって差し支えないでしょう」
「……いいのかな、そんなこといって。総帥って財団の一番偉い人のことでしょ?」
「そうだけど、最近の財団の動きを見ていたら、思うところがあっても不思議じゃないかな」
「そうですね。特にあの人は、前理事長には意見できず、従うしかなかったようですから……」
「財団も大変なのねえ」
十四郎の嘆息に対し、小隊の皆が口々に言い合うのを聞きながら、統魔は、小さく肩を竦めた。
「まあ、鏡磨がしでかしたことは事実ですし、その裏側に幻魔がいたとして、財団の責任がないとはいいません。なんといっても、イクサ計画を了承したのは、ほかならぬ総帥本人なのですから、財団全体でその咎を負うのは当然のこと。故に……このような真似をしたわけです」
「故に……ねえ。馬鹿馬鹿しいとは思わなかったのか?」
「馬鹿馬鹿しい? なぜです。こうして戦団上層部のイリア博士がお出ましになられた以上、全て、上手くいっているわけですから、馬鹿馬鹿しくなどありませんよ。なにより、イリア博士は、天輪スキャンダルの渦中におられた方。イクサの性能についてもよく御存知のはず」
『ええ、そうね』
「であれば、クニツイクサの性能を正当に評価してくださるに違いありません」
などと、十四郎は、平然といってくるのである。
どこからそんな自信が湧いてくるものなのか、統魔にはまるで理解できなかった。
天燎十四郎という人物のことは、よく知らない。知っているのは、天燎財団における現在の理事長、つまり総帥に次ぐ立場の人間であり、前理事長・天燎鏡磨の弟だということくらいだ。実績に関しても、天燎鏡磨の後塵を拝しているという話だったし、あまり目立った業績がないともっぱらの噂だ。
だからこそ、十四郎ではなく鏡磨が理事長に選ばれたのであって、兄だから、年長者だからという理由ではない――というのが通説だが、十四郎曰く、そうではないらしい。
そんなどうでもいい知識が頭の中に無造作に放り込まれていく感覚に頭痛さえ覚えながら、統魔は、十四郎という人間について考えている。
彼は、鏡磨とは違う種類の人間ではあるが、ある点においては、同種であるようだ。
たとえば、計略を巡らせ、策を弄するという点において、そっくりではないか。
そして、その上で、自信に満ち溢れた態度を取るという点においても、同じように思えた。
もちろん、統魔の知る天燎鏡磨とは、戦団の資料上の存在でしかないのだが。
「我々がクニツイクサの研究、開発を始めたのは、天輪スキャンダルの直後のことです。イクサに関連する情報書類は、全て戦団に押収されましたが、とはいえ、全ての技術者が拘束されたわけでもありません」
『まさか……技術者の記憶から取り出したとでもいうのかしら』
「ええ、その通り。膨大な手間暇がかかりましたが、元天輪技研の技術者たちは優秀なものばかりで、本当に助かりました。もちろん、ただ、イクサの開発工程をそのまま再現したとしても、完成するのは動くことのない鉄くずですから、色々と工夫が必要でした」
『でしょうね』
イリアは、幻板越しに現地の様子を見ながら、呆れる想いだった。
天輪スキャンダルが起きたのは、およそ二ヶ月前のことだ。
幻魔災害として処理されたその大事件は、天燎財団および天輪技研が所持、保有していたイクサに関連する資料、記録の全てが押収されるという結末に至る。
その際、戦団の強権を非難するような声はなかった。
双界の秩序を維持する上では必要な処置であれば、央都市民もネノクニ市民も、なにもいわないのだ。
そもそも、天燎財団が起こした事件だと認識されている。
たとえその裏側に悪魔たちの暗躍があったのだとしても、〈七悪〉の存在が明かされた後であっても、天燎鏡磨が唆され、天燎鏡史郎が鏡磨の提案に乗ったという事実は消えない。
そして押収された資料や記録は、戦団技術局によって徹底的に調べ尽くされた。
結局、イクサは、人間の力だけでは再現不可能な悪魔の機械兵器であり、幻魔と機械が融合した、いわば機械型幻魔の雛形に過ぎなかったという結論に至ったのだが。
さて、戦団は、イクサに関連する資料を押収したが、十四郎のいうように技術者全員を拘束し、その記憶に封印処置を施したわけではなかった。
そもそも、アスモデウスによる精神支配を受けていた形跡のない技術者たちを拘束する理由がない、ということも大きい。
さらにいえば、記憶というものはあやふやなものであり、どれだけ優秀な技術者であっても、あれほど高度な技術を用いた兵器の設計資料を丸暗記できるはずもなければ、諳んじることなど不可能だろうと考えられた。
事実、そのとおりであるはずだ。
しかし、魔法によって技術者たちの記憶に干渉し、イクサに関連する技術を抜き出すという方法ならば、不可能ではない。
魔法は、万能に極めて近い技術なのだ。
他人の記憶を覗き見ることくらい、容易い。
「工夫……技術革新といいましょうか。財団が誇る技術者集団〈思金〉がもたらしたそれは、人間の技術のみでイクサの再現を試みることに成功したのです。そして、それを小型化、軽量化したのが、クニツイクサなのですよ」
「〈思金〉……か」
「なんなんだよ、それ」
「彼のいった通り、財団の技術者集団だよ。財団は、様々な企業の集合体だ。いくつもの魔法技術関連企業を持つが、それら企業には大抵一人や二人、優秀な技術者がいる。そうした優秀な技術者のみを集めた組織が〈思金〉であり、財団関連企業は、〈思金〉が発明した技術を利用することによって他の企業を出し抜き続けてきたという歴史がある。もっとも、〈思金〉の存在は、外部には秘匿とされてきたのだが」
「へえ……」
圭悟は、圭助の説明を聞いて、素直に感心した。財団の内情というものは、外部からはまるでわからないものだが、秘匿されていきた存在ならばなおさら知りようがないだろう。
将来財団関連企業に就職する予定だった圭悟のような、天燎高校の生徒ですらだ。
『とても……信じられないわね』
イリアがにべもなく告げても、十四郎は、柔和な表情を崩さなかった。
「それはそうでしょうね。なんといっても、イクサは人知を越えた兵器でした。それを人工的に再現するのは不可能というのが、常識的な考えです。戦団もそうした結論に至ったからこそ、技術者たちの記憶を封印することなく解放したのでしょうし。かくいうわたしも、当初はこの計画に乗り気ではなかった。仮に成功したとしても、イクサという前例がありますから、評判もあまりよろしくないのではないか、とね」
『けれど、気が変わった。どういう理由かしら?』
「ええ」
十四郎は、イリアの冷ややかな質問にもにこやかに答える。
「理由は単純です。クニツイクサならば、戦団が直面している問題の解決策にもなり得るからですよ」
「戦団が直面している……」
「問題?」
『人手不足のことかしら?』
イリアの刺すような眼差しが、十四郎の穏和な、しかし怜悧な瞳を見据えていた。十四郎は、そんなイリアの表情にこそ、内心笑い返したいという気分だった。
彼女は戦団が誇る最高の技術者だ。十代の彼女が戦団に技術革新をもたらしたという伝説は、戦団外部にも響き渡っている。
だからこそ、イリアが出てきてくれたのだろう、と、十四郎は思っている。
「まさにその通り、御明察ですね」
十四郎は、大きく頷き、曽根伸治に目配せをした。伸治が端末を操作し、十四郎の背後に特大の幻板を投影する。
そこに表示されたのは、央都の人口の推移だった。