第八百十一話 天燎の思惑(七)
天燎十四郎は、育ちの良さが前面に出たやや小太りの――言葉を選べば恰幅のいい男性である。顔面に現れた柔和な微笑は、神経質そのものといっても過言ではなかった天燎鏡磨とは正反対の人間性の持ち主であることを伝えるかのようだったし、実際、そのような評判でもあった。
鏡磨は、顔つき通りの神経質な人物であり、なにごとも思い通りに進まなければ気が済まなかった。彼の部下は、彼の指示通りに完遂することに心血を注がなければならず、常日頃、彼の不興を買わないことを心がけていたという。
誰だって間違いや失敗はあるし、どんな物事にもつきものだが、鏡磨はそれが許せない人間だった。
ちょっとした間違いを蛇蝎の如く忌み嫌い、牙を剥き、徹底的に糾弾し、跡形もなく叩き潰す――そんな鏡磨のやり方についていけなくなったもの、脱落していったものたちの行き着く先が、鏡磨派以外の派閥ということになるが、そうなると真っ先に挙がるのが十四郎派である。
鏡磨の実弟である十四郎は、鏡磨に次ぐ権力者だった。
鏡磨にもしものことがあれば、全権を担うことになる。
が、そんなもしものことなどあろうはずはなく、故に十四郎派に集ったものたちの願望といえば、十四郎が鏡磨と手を取り合い、財団のために尽くすことだった。
そうすることによって、十四郎が鏡磨政権下の財団においても立場を得、派閥の自分たちもまた、それなりの地位に就けると考えていたのだ。
そんな十四郎派の思惑とは無関係に、天輪スキャンダルが起きた。
イクサ計画については、財団の上層部が知らないはずもないことだろうが、鏡磨の暴走に関しては、財団総帥・天燎鏡史郎や一幹部に過ぎなかった十四郎には理解しがたいことであり、また、どうしようもなかったことだ。
イクサそのものが暴走、破壊活動を始めたことはともかくとして、戦団に反抗的な、あるいは宣戦布告とも取れるような発言を行ったのは、鏡磨自身の問題である。
戦団は、鏡磨自身というよりは、鏡磨の背後に暗躍していた幻魔にこそ、その原因があるといっていたが。
それが〈七悪〉と呼ばれる鬼級幻魔の勢力だということが明らかになったのは、つい先日のことだ。
そして、その事実が明らかにされた原因である大事件、マモン事変にもまた、天燎鏡磨は関わっていた。 鏡磨は、人間であることを止め、幻魔と化したのである。
そして、戦団によって討伐された。
そのことは、財団の幹部会議でも大いに取り上げられ、議論となっただろうが、どのような結論になったのかはわからない。
圭助は、そのころにはとっくに財団と関わりを断っていたからだ。仮に知る方法があったとしても、財団内部の情報を知ろうとも思わなかった。
そんなことをすれば、財団との関与を疑われ、戦団に目を付けられかねない。
圭助だけならばともかく、家族の人生がめちゃくちゃになりかねないような真似だけは、できなかった。
圭助は、なによりも愛妻と愛息の現在、そして将来のことを考えようとしていたのだ。
その矢先、思わぬ事態に直面し、渦中にいる。
望んでもいない状況であり、だからこそ彼は、渋い顔を十四朗に向けるのだが。
「天燎財団の新理事長……だったな」
「はい。今をときめく皆代煌士に知られているというのは、なんともいいようがないほどに素晴らしいことです」
統魔が、十四郎の笑顔に寒々《さむざむ》しいものを感じたのは、きっと彼の本心がそこにはないと感じたからだろう。眉根をわずかに寄せたが、すぐさま元の表情に戻す。相手が相手だ。あまり刺激したくはなかった。
相手は、大企業の幹部として日夜戦い続けてきた歴戦の猛者なのだ。表情ひとつで相手の心理状態を見抜くことくらい、容易くやってのけるのではないか。
そうでなくとも、用心に越したことはない。
「……それで、理事長。あなたはなぜ、こんな真似を?」
「こんな真似、とは?」
「一々説明しなくともわかると思うが……米田圭助氏と話し合いたいというのであれば、正式に要請すればいいことだ。その結果断られたのだとしても、こんな回りくどい真似をする必要はないだろう」
「本当よね」
「まどろっこしいたりゃありゃしない」
導士たちの反応は、十四郎にとっては想像通りのものだった。
想像以上の釣果ではあるものの、しかし、戦団が米田圭助の護衛にそれなりの戦力を寄越すことは考えられた。
財団があのような手段で圭助と接触を図ろうとしたのだ。
なにかしら良からぬことを企んでいるのではないかと考えるのは、当然のことだ。そして、圭助の身の安全を図り、戦力を提供した。
戦団が小隊だけを派遣してくる可能性もあったが、その場合は、その場合である。
「確かに……まどろっこしいやり方ですが、しかし、そうでもしないとこのような状況は生まれなかったでしょう。釣りには、餌が重要です。餌次第では、釣れるものも釣れなくなる。ですから、圭悟くんに送り届けてもらったというわけです」
「圭吾とわたしが釣り餌だと?」
「ええ」
臆面もなく笑みを返してきた十四郎に対し、圭助は、拳を握り締めることで感情の昂ぶりを抑え込んだ。自分が利用されるだけならばともかく、そのために圭悟を巻き込んだという事実が、彼には許せないのだ。
とはいえ、こんな場所で怒鳴り散らしたところで、どうなるものでもない。
「戦団の皆様方と話し合いたい。そのためには、どうすればいいのかと考えに考えたんですよ」
「その結果が、米田さんを利用する方法か」
「事実、釣果は上々です。皆代煌士率いる小隊の皆様方と対面することができたわけですから」
「なにが目的だ。なんのためにこんな馬鹿げたことを」
「……馬鹿げているのは、戦団でしょう」
十四郎は、統魔の目を見つめた。紅く黒く、そして透き通っているような少年の目は、真っ直ぐに十四郎を睨み付けている。
統魔が天燎財団を快く思っていないらしいということは、その眼差し一つでもわかるというものだ。
戦団の導士なのだ。
日夜、戦団と暗闘を繰り返している企業に対し、良い感情を抱かないのは当然のことだろう。皆代小隊の他の導士たちも、同じような感情を抱いているのかもしれない。
端的にいえば、敵意。
そして、警戒心となって前面に現れるそれを見て、十四郎は、小さく息を吐く。
これだから、馬鹿げている。
「龍宮戦役において、戦団はどれだけの導士を失いましたか? 歴史上初めての人類と幻魔の共同作戦にして、竜級幻魔の覚醒と暴走を防ぐための大作戦。確かに竜級幻魔とやらの恐ろしさは、あのとき、央都市民のだれもが実感として理解したでしょう。かくいうわたしもそのひとりです」
十四郎は、手のひらに冷や汗が滲むのを理解しながら、告げる。
真夜中、眠りについていたときだった。突如として央都全体が震撼し、凄まじい衝撃が人々の体を貫いていったのである。
それがなんであるのか、だれも理解できないまま、恐怖に叩き起こされた。
それは、死そのもののようであり、十四郎は、全身が凍り付くような寒気を覚えたものだった。
オロチの力が、強大な波動となって央都にまで伝播してきたのだということが明らかになったのは、戦後、戦団からの発表があってからのことだった。
「確かに、必要な処置だったのでしょう。幻魔との共闘など考えたくもないことですし、認めがたいことです。市民の誰もがそういっています。戦団には、そのような真似をして欲しくなかったと」
「そうだな。それは認めるよ」
「ちょっ、統魔!」
「隊長……」
「おれも、それだけは受け入れられなかった」
統魔は、ルナや字が慌てふためくのを感じ取りながらも、そう断言した。
「幻魔との共闘? 馬鹿げてるし、反吐が出る。どうして人間が幻魔と手を取り合って戦わなきゃならない。龍宮戦役の勝敗を決めたのは、戦団の導士たちだろう。だったら、最初から戦団だけでやれば良かった」
「……まあ、その場合は、さらに多くの戦死者を出したでしょうが」
統魔の意見の過激さには、さすがの十四郎もそのように訂正するほかなかったが。
当然、導士の中にも龍宮戦役に関して、不満を抱いているものがいることがわかって、安心もした。
導士も同じ人間だ。
ならば、わかりあえるはずではないか。
話し合えるはずではないか。