第八百十話 天燎の思惑(六)
「すみませんね。狭くて」
「仕方がないさ」
「わたしは嬉しいけど」
「なにがだよ」
「たかみーも喜べよ」
「なんでそんな命令口調なんですかねえ」
「喜べえ」
「うれしー」
「心が籠もってなーい」
「本当に……狭いな」
「ううん……」
などと、皆代小隊が口々に言い合う傍らで硬みの狭い思いをしなければならないのはどういうわけなのか、と、圭吾は、憮然とするのである。
なにせ、地下へと降りるため、昇降機に乗り込まなければならなかったからだ。
しかも全面改装工事中ということもあり、二台あるはずの昇降機のうち、一台しか使えなかったのだ。一台の昇降機に九人で乗り込むはめになれば、狭くもなる。
特に縦にも横にも大きい枝連が、幅を取っていた。体格の良さは、頼もしさにも繋がるのだが、この場合はどうか。
「れんれん、でかすぎじゃない?」
「そんなこといわれても、だな」
「小さくなろ?」
「なれるか」
枝連は、出来る限り体を小さくしようと頑張ってはいたが、しかし、魔法を使っても体積を変化させることなどできるわけもなく、途方に暮れざるを得ない。
しかも、曽根伸治の部下二人が地上に残って、この狭さだ。
「やはり、何人かは地上に残っても良かったのでは?」
「確かにな」
「わたしは嫌だよ?」
「あたしもー」
「れんれんは必要だし、じゃあ、ぼくだけでも乗らなきゃ良かったかな」
「もう遅いが」
「そうだね……」
剣は、香織に胸を押しつけられるような態勢で身動ぎすることもできず、苦笑するほかなかった。胸の柔らかさを堪能しようなどというやましい気持ちは一切なく、それどころか、どうにかして距離を取ろうとするのだが、それも叶わない。むしろ、香織は得意げに押し付けてくるのである。
困ったものだと想うのだが、それが香織という人間なのだから、どうしようもない。
そして、そんな狭苦しい空間を満喫しているのが香織以外にももう一人いた。
ルナである。
彼女は、統魔に公然と抱きつくことができて満足している様子だった。
やがて、昇降機が地下五階に到着すると、静かに扉が開いた。
真っ先に曽根伸治が降り、皆代小隊の面々が続けば、最後に米田親子が昇降機を出た。
広い空間だった。
まだ改装工事の最中と言うこともあるのだろうが、内装がところどころ剥がれていて、金属製の建材が見え隠れしている。天井照明も不安定で、明滅を繰り返していた。
そんな場所に案内される理由がわからず、圭助は圭悟と顔を見合わせ、それから導士たちに指示を仰ぐように目を向けた。
皆代小隊は、米田親子を取り囲むような陣形を取っている。
これならば、なにが起こったとしても問題はないに違いないと思えた。
市民の安全を最優先に行動するのが、導士というものだ。
「ここは?」
「そもそもこの工場は、財団が新規事業を始めるために買い取ったものです。ですから、この地下五階の設備は、財団とはほとんど関わりがありません」
「ほとんど?」
「買い取ってから時間も経過していますから、全く関わっていないというのは嘘になるでしょう?」
「そりゃそうだ」
統魔は、相変わらず軽薄そうな表情を浮かべる男の意見に頷きながら、彼がこちらに背を向けて歩き始めるのを待った。そして、そのあとに続く。
「財団の新規事業……それにわたしを関わらせるつもりだったのか?」
「そうでもありますが……まあ、ついてきてくださいよ。理事長がお待ちです」
「理事長が?」
「はい」
圭助の問いに対し、曽根伸治はにこやかな笑顔を返した。その笑顔がどうにも胡散臭く見えるのは、穿った見方をしすぎているせいなのか、どうか。
圭介には、天燎財団そのものへの不信感があり、それ故、財団関係者を信用できなかった。
「理事長って?」
「天燎十四郎。天輪スキャンダルを起こした天燎鏡磨の弟だよ」
「あー……」
「天輪スキャンダルで地の底まで評判を落とした財団にとって、起死回生の手が、財団幹部の一新だったんです。天燎鏡磨は当然として、鏡磨派と呼ばれていた幹部たちは、全員、その座から追い落とされ、十四郎派が財団を牛耳ることになった……というわけです」
「なるほど……?」
「本当に理解しているか?」
「わかってるよー!」
ルナが統魔に強く抗議する傍らで、圭悟は、父の横顔を見ていた。曽根伸治に鏡磨派と目されていた父は、実のところ、そうではなかったらしい。それなのに、ネノクニ支部の総合管理官という立場だったがために、あの事件の責任を問われた。
そればかりは致し方のないことだった、と、父はよく言っている。
圭悟も、その点については納得しているのだ。
上に立つ人間というのは、不祥事が起きたときには、その責任を取らなければならない。自分とは無関係の、全く関与していないような事件や事故であったとしても、それが、幻魔によって引き起こされたものなのだとしても、だ。
理不尽だが、それが社会というものなのだろう。
この世は、不条理でできている。
「実際、最近の財団の評判は上々でしょう。それもこれも、上層部を一新したからこそですし、理事長が陣頭指揮を執ってくれているからこそなんですよ」
曽根伸治は、圭介の説明を聞いていたのか、臆面もなくそんなことをいってみせた。
細く長い通路を進んでいる。相変わらず内装はぼろぼろだったし、天井照明も安定していない。床もそうだ。本来は真っ平らなはずの床が、素材が痛み、凸凹になっている。
その凹凸に足を引っかけ、危うく転倒しそうになったルナを統魔が支えると、彼女は心底嬉しそうに笑顔を浮かべた。
そんな有り様だからこそ、大規模な改装工事の必要に迫られたのだろうが。
そんな工場内の何処へ、彼は向かっているというのか。
やがて、通路の終端が見えてきた。厳重に閉ざされた扉であり、そのすぐ側に開閉装置と思しきものがある。
曽根伸治が開閉装置に手を翳すと、しばらくして、扉が自動的に開いた。それにより、魔紋認証だということがわかる。
一部の、限られた人間だけが入ることの許される場所だということだ。
「ここは、本当の意味で関係者以外立ち入り禁止の場所なんですよ」
「つまり、わたしたちは関係者になった、といいたいのかね」
「そう揚げ足を取らないでくださいよ。ただの会話でしょう」
「……ふむ」
圭助は、渋い顔をして、曽根伸治がひらひらと手を振る様を見届けた。そして、彼が顔面から軽薄そうな表情を掻き消す様を。
その瞬間、冷徹な一面を垣間見れば、圭助は自分の判断が間違いではなかったと思うのである。
戦団に判断を仰いだのは、正解だった。
圭悟に手渡されたあの万能演算機を起動し、地図上に記されたこの場所に、単身乗り込んでいれば、いまごろどうなっていたのか。
想像するだけで、寒気がする。
(いや……違うな)
圭助は、己の考えの浅はかさに苦笑しながら、曽根伸治、皆代統魔の後に続いて、扉の内側に踏み込んでいく。
曽根伸治、いや、天燎十四郎は、こうなることを望んでいたのではないか。
圭助が財団への警戒心と猜疑心の塊となっていることは、百も承知だったはずだ。だからこそ、あのような手間暇のかかる方法を取った。地図だけを仕込んだ万能演算機を圭悟に託し、圭助がそれを受け取りながらも起動することなく戦団に預けることも、全て承知だったのではないか。
そして、戦団が財団の真意を探るべく、圭助をも利用することを見越していたのではないのか。
「親父」
「あ、ああ」
圭悟に促され、圭助は、ようやく自分が足を止めていたことに気づいた。
統魔もこちらを見ている。心配そうな表情は、導士ならば誰もが一般市民に向ける眼差しだろう。
導士は、常に市民の安全を考えている。
だから、このような任務に市民を巻き込みたくないと思っているようだったし、本来であれば、自分たちだけで工場内に潜入するべきだ、と、力説していたのも記憶に新しい。
ただ、そうすると、財団側になんの思惑もなかった場合、大きな問題に発展しかねない。
故にこそ、慎重に慎重を期したのであり、一般市民である米田圭助に協力を要請したのである。
圭助は、二つ返事で了承した。
財団がなにを企んでいるにせよ、自分を利用しようとしていることは確かであり、その真相を知りたいと思ったこともあれば、この結果次第では、財団と二度と関わらずに済むと思えたからだ。
財団は、圭助にとっての枷となっていた。
圭助が、家族とともにこれからを歩んでいく上で、財団という存在そのものが邪魔だった。
とはいえ、ただの市民が財団という巨大勢力を相手に戦えるわけもなければ、対抗手段などあろうはずもない。
やはり、企業を越える圧倒的な勢力である戦団に頼るほかないのだ。
扉の内側は、とても広い空間だった。地下五階とは思えないほどの天井高さは、地下四階、三階くらいはぶちぬいて作られていることがわかる。上方向に広いだけでなく、横方向にも十分すぎる広さがあった。
しかし、妙な圧迫感を感じるのは、四方に分厚い幕が張り巡らされていて、移動できる空間が狭まっているからだろう。その分厚い幕の向こう側では、改装工事の準備が着々と進められているのだろうが。
そして、前方に圭助のよく知る人物が立っていた。
「ようこそ、米田圭助さん、圭悟くん。そして、導士の皆様方」
金の差し色の入った漆黒のスーツを身に纏った、小太りの男。
「御存知でしょうが、わたしは天燎十四郎。天燎財団で理事長をやらせてもらっているものです」
天燎十四郎は、柔和な笑みで以て、想定通りの客人を招き入れたのである。