第八百八話 天燎の思惑(四)
「こう見えても、魔法の腕前はそこそこあるんだぜ」
圭悟が思わずそんな風に口走ったのは、そうでもしないと場が持たないような気がしてならなかったからだ。
護衛であるはずの皆代小隊とは、予定位通り距離を取らなければならなくなった。
無論、こちらの様子は常に見守られているはずだったし、通信機越しに会話も聞こえているはずだ。
しかし、それでも、心細くなるのは、結局のところ、圭悟が一般市民に過ぎないからだ。喧嘩っ早いくせに、人に向けて魔法を使うということがない。
少なくとも、現実世界では。
沢女町の水気を多分に含んだ地形を、ひたすらに南東に向かって進んでいく。
左手に山があり、右手に川がある。
山の名前は、確か御名方山だったはずだ。水穂市有数の山は巨大で、とてつもない存在感があった。
川の名前は、なんだったか。
水穂市にはいくつもの川があり、それらの名前を覚えているのは、水穂市生まれの市民くらいのものではないかと思うくらいだ。
葦原市を流れる未来河ならばともかく、無数にある川の名前を覚えていられるほど、記憶力に自信があるわけではない。
などと、圭悟が考えていると、隣を歩いていた圭助が、ぼそりといった。
「それは……知っている」
「あん?」
「対抗戦の決勝大会でな、見た」
「え、あ……いや、あれは……その……」
「きみの機転がなければ、幻闘での勝利はなかったな」
「……おう」
「いまや輝士となった草薙くんのあの魔法から逃れ、地下深くに潜るなど、人並みどころか、かなりの魔法技量だ」
「……まあな」
小さく、頷く。
あのとき、咄嗟の判断で仲間二人を犠牲にしたことは、黙っておいた。
どうせ、それすらも見ているかもしれないのだ。わざわざ自分から掘り起こすことではない。
「期待している」
「おう、任せとけ」
圭悟は、圭助の激励に力強く頷くと、なんだか力が沸き上がってくるような気がしてならなかった。
いつでも魔法が使えるように魔力を練り上げておく。
万が一の事態に備えておく必要があった。
もちろん、皆代小隊がなんとしてでも護ってくれるということはわかりきっているのだが、それはそれとして、父の期待に応えたいという想いもあるのだ。
(それに幸多なら)
と、圭悟は考える。
幸多なら、こういうとき、どうするだろうか。
献身的で自己犠牲的な精神性の塊である彼ならば、こういう場合、どのような行動を取るのか。
圭悟なりに考えながら、歩を進める。
前方、御名方山の麓に工場があるのがはっきりとわかる。改装工事を行っている様子が遠目にも把握できるくらいだ。余程、大がかりな工事を行っているらしい。
「あれが目的地の工場か」
「確かに改装中のようだが……」
「なんでまたそんな場所に親父を呼んだんだ?」
「さあな。財団がなにを考えているのかなど、わたしにはまるでわからんよ」
圭助は、息子の疑問に首を横に振った。
いまさらどうして自分を巻き込もうとするのか。
自分だけならばまだしも、家族までも巻き添えになってしまっているという事実が、圭助には腹立たしくて堪らなかった。
圭助が標的にされるということは、つまり、そういうことだ。
財団は、この央都でも最大規模の企業になりつつある。
企業とは、勢力である。
勢力とは、権力である。
権力者たちが相争っているのが、央都の有り様であり、裏側なのだ。
表向き、戦団の絶対的な支配によって統制が取れているように見えて、実際にはそうではない。
央都の権力を巡る暗闘は、何十年にもわたって繰り返されてきた。企業連、央魔連、ネノクニビト――様々な勢力が、己が野心と欲望に駆り立てられるままに相争っている。時には足を引っ張り合い、時には面と向かって刃を突きつけ合う、それが央都の裏の顔だ。
表には出てこない、社会の影。
そうした暗闘を散々目の当たりにしてきたのは、圭助が天燎財団でもそれなりの立場にあったからだったし、勢力争いの現場にいたこともあった。
いまにして思えば、どうしてそんなことに血眼になることができたのか、と苦笑するのだが。
しかし、いまもなお天燎財団は企業連の掌握に全力を上げているのだろうし、いずれは、央都諸勢力の頂点に君臨しようと画策しているに違いない。
だからこそ、利用できるもの全てを利用するべく、圭助にその魔手を伸ばしてきたのではないか。
そんなことを考えながら、工場の門前へと至る。
「指定された時間には少し早いが」
「待ち合わせには遅れるより早く着くほうがいいって話だぜ」
「道理だな」
そんな他愛のないやり取りすら、ここ数年ろくになかったことを考えると、天輪スキャンダルの責任を問われ、失脚し、辞職へと追い遣られたことは、必ずしも悪いことではないのではないか、などと、圭助は思うようになっていた。
皮肉なことに、家族のための仕事に忙殺されていたが故に、家族のことを見てやれる時間がなかったのだろう。
仕事を辞めて、圭悟と向き合い、話し合う時間が出来た。
新たな仕事は、しっかりと家族との時間を取れる仕事にしよう――圭助がそう心がけたのは、自分があまりにも我が子のことを見てあげられていなかったという事実に気づかされたからだ。
だから、再び財団と関わりを持つなど御免被りたいところなのだが、こうして、線が交わる羽目になったのは、運命の悪戯なのか、どうか。
「入らないのか?」
「関係者以外立ち入り禁止だそうだ」
「親父、関係者だろ。呼び出されたんだしさ」
「いや、無関係だ。わたしが財団に関わることはありえない」
「むう……」
圭悟は、圭助の頑なな言い分を理解しつつも、どうするべきか迷った。
確かに関係者以外立ち入り禁止という立て札がある。その立て札は巨大な立体映像であり、遠目からでもそれとわかるようになっている。
全面的な改装工事中であり、危険だから、ということもあるだろう。
そうしていると、工場内からスーツ姿の男たちがこちらに向かって歩いてきた。工場の外へ向かっているという様子はなく、明らかに圭助目当てだった。
黒基調に金の差し色が入ったスーツは、その人物たちが天燎財団でもそれなりの立場にいることを示している。
そのうちの一人が、圭助の目の前まで来ると、にこやかに話しかけてきた。
「米田圭助さん、ですね。わたしは財団の理事長補佐を務めております、曽根伸治と申します。どうぞ、お見知りおきを」
「存じ上げている」
「曽根……」
圭悟が思わず口に出してしまった言葉を飲み込んだのは、脳裏に曽根伸也の顔が浮かんだからだ。
曽根伸也は、天燎財団でも権勢を誇る曽根家の人間だった。将来、曽根家の跡取りとして権力を振るうはずの立場の人間であり、だからこそ、財団のお膝元である天燎高校で猛威を振るっていたのだ。
曽根伸也は、いつごろからか圭悟たちの前に姿を現さなくなっていたのだが、その実、この四月、幻魔災害に遭い、死亡していたということが判明している。
しばらく前に曽根家が公表したのだが、それまで発表されなかったのは、確証が得られなかったからだというのだが、本当のところは、どうなのか。
曽根家の立場に大打撃を与えかねないから、公表を先延ばしにしていたのではないか――などと噂されているが、圭悟にはよくわからない。
ただ、曽根伸也のことを哀れに思ったりはした。
己の死すらも財団内の権力闘争に利用されるしかないのであれば、彼が荒れ狂うのも無理はなかったのではないか。
曽根家の嫡男として、跡取りとして、思うがままに生きることができないというのであれば、どこかで狂ったとしても不思議ではない。
曽根伸治は、そんな曽根伸也の血縁者であろう。
顔が、少しだけ似ていた。