第八百七話 天燎の思惑(三)
「まどろっこしいったりゃありゃしないよねえ、本当」
「まったくだ」
香織がなんともいえない顔をすれば、枝連が腕組みをして大きく頷いたのは、上からの説明を聞き終えてからのことだった。
剣も、二人に続く。
「こんな手間暇をかけるくらいなら、直接会いに行けば良かったのにね。そうすれば、少なくとも戦団に気取られることなんてなかったんじゃないかな」
「同感です」
そんな導士たちの意見に深く同意したのは、米田圭助である。
渦中の人物である彼は、事情が事情ということもあり、戦団の保護下に置かれることになった。彼の妻子も、である。
天燎財団がなにを企み、なにを目論んでいるのかがわからない以上、放置しておくわけにはいかない。
財団には、前科がある。
それが〈七悪〉の暗躍によるものだったとしても、再び〈七悪〉が財団を利用しないとも限らないのだ。
「財団がわざわざこのような手を使ってきたのは、戦団の方々に気づかれたくないからでしょう。それはつまり、それだけ後ろめたいことをしようとしているという証左にほかなりません」
「まあ……そうなるのかな」
統魔は、語気も強くいってくる圭助の様子を見ながら、周囲の注意も怠らなかった。
九月十四日。
天燎印の万能演算機にただ一つ記録されていたのが、水穂市の地図であり、そこにつけられた印に向かって、皆代小隊は移動している。
そして、印に併記されていた日時こそが、今日である。
前日まで土砂降りの大雨だったこともあり、不安がっていた小隊一同だったが、いまは天気予報通りに晴れ渡っていた。
夏の残光を思わせるほどの日の光の強さが、水浸しになった沢女町南東部の町並みを輝かせているかのようだ。
どこもかしこも水溜まりだらけで、草花からは雫がこぼれ落ちている。
雨が上がったのは、つい先頃。
まだまだ湿気が強く、故に蒸し暑く感じた。
「天輪スキャンダルでは、戦団の皆様方のみならず、双界市民にどれほどの迷惑をかけたのか。わたしひとりが謝ったところで、それで済むような話ではありません。だからこそ、財団には、二度と同じような過ちを繰り返して欲しくはないのです」
「だから、戦団に協力する、と?」
「はい。もはや財団とは関係のない身の上なれば、財団を浄化しようなどと烏滸がましいことは思いませんが。しかし、財団が道を踏み外そうというのであれば、せめてそれを止めるくらいはしなければならない。そう……思うのです」
「親父……」
圭悟は、一人、小さくつぶやいた。
父がこれほどまでに財団への想いを吐露したことは、今回が初めてだった。
圭悟は、天輪スキャンダルが起き、圭助が退職するまでの長きに渡って、あまり会話を交わしたという記憶がなかった。子供のころならともかく、成長して、定められた道を歩み始めてからというもの、父というものを真っ直ぐに見ようとしてこなかったのだ。
天輪スキャンダルを経て、関係は変わった。
圭助が総合管理官として職務を全うしようとする姿を目の当たりにすれば、自分が如何に愚かで馬鹿げたことをしていたのかがわかろうというものだったし、だからこそ、圭助の言葉を聞こうとした。
何度となく話し合って、圭助という人間を知ることができた。
圭悟のことも、多少なりとも理解してくれるようになったようだ。
そのことそのものは嬉しいことだったし、母も、笑顔を絶やさなくなった。
結局、家庭を不安定にさせていたのは、ほからなぬ自分なのではないか――などと圭悟が考えるのも無理からぬことだ。
そんな圭悟でも聞いたことのないような話を、父が口走っている。
それだけ、衝撃的な事件に直面しているのだ。
天燎財団が父を利用しようとしている。
そんな話を聞けば、いても立ってもいられないのが、圭悟という人間だったし、だからこそ、今回現場への同行を申し出たのである。
戦団は、指定地点に皆代小隊を送り込むことを決めたのだが、それだけでは財団に気取られる可能性があるため、まず圭助一人で現場に乗り込むという話になったのだ。
それも、圭助の提案だった。
戦団としては、受け入れがたい提案だったが、しかし、圭助のいうことももっともだった。
指定地点は、当然、財団の徹底的な監視下に置かれていることだろう。指定地点どころか、その周囲一帯が厳重に監視されているに違いない。
そこに圭助と戦団の小隊が向かっているのがわかれば、財団も対応するはずなのだ。
戦団を迎え撃つ、などということはあるまいが、予定を変更することは考えられた。
その予定とは、即ち、圭助との接触のことだ。
財団の当面の目標は、圭助との接触であり、その先になにが待ち受けているのかはまるで想像がつかない。
ただ転職先として財団関連企業を斡旋するというのであれば、このような手間暇をかける理由がない。そんなことが戦団に気取られたところで、なんの問題にもならないからだ。
戦団に関与されたくないからこそ、あのような真似をしたはずなのだ。
だからこそ、戦団は干渉するのであり、そのために圭助の申し出を受け入れ、圭悟がついてくるのも認めたのである。
圭助が圭悟を連れてくるというだけならば、なにも問題はないのではないか。
むしろ、財団側も安心するに違いない。
「天輪スキャンダルそのものは、財団が悪いわけじゃありません。悪いのは、そう仕向けた悪魔たちです。天燎鏡磨も神吉弘道も悪魔に操られていたに過ぎない。被害者なんですよ。とはいえ……」
統魔は、足を止め、周囲を見回した。複数のヤタガラスが皆代小隊を先行し、川沿いの道を進んでいく。
「財団も結局のところ一企業ですから、なにか戦団に対し良からぬことを企んでいたとしても不思議じゃありません。戦団と企業は、常に相争ってきた。それが央都の歴史ですから。さて、ここから先は、二人で行ってもらうほうが安全だな」
統魔が告げれば、枝連が香織の首根っこを掴み、香織が足をぶらぶらさせて抗議した。そんな香織の反応には目もくれず、字と剣に目配せする。
二人は、携帯端末でヤタガラスを操作しているのだ。
ルナは、といえば、統魔にべったりである。歩きづらいことこの上ないが、いつものことではあった。
「この先には以前、泣沢鋼業が使っていた工場があり、そこが目印の地点ですね。そしてその工場は、つい先日、天燎財団によって買い上げられたとのことで、ただいま改装中のようです」
「その工場を中心とする広範囲に監視の目が光ってるね。魔力検知器がそこら中に仕掛けられてる。とんでもなく厳重な警戒網だ」
字と剣がヤタガラスから得た情報を伝えると、統魔は、渋い顔をした。やはり、財団がなにかを企んでいるというのは、本当のことのようだ。
でなければ、剣が唸るほどの数の魔力検知器を設置したりはしないだろう。
「だ、そうです。どうしますか?」
「どうもこうもないでしょう。わたしは行きますよ。圭悟、きみはどうする?」
「は? なにいってんだよ。親父を護るためにおれがここにいるんだろうが」
「わたしを護る?」
「おうよ。任せろ」
圭悟は、安請け合いなどではないと全力で断言すると、気合いを込めて歩き出した。
そんな圭悟の予期せぬ反応を見て、圭助は、少しばかり言葉を失ってしまったが、すぐに我に返って圭悟の後に続いた。圭悟の真っ赤な髪は、燃え盛る炎のようであり、勇ましく、頼もしい。
「さて」
統魔は、米田親子を見送ると、字にヤタガラスを二人に同行させるように命じ、ついで、頭上を仰いだ。
「検知器は、上空にはないよな?」
「そりゃあ、まあ。でも、空中に魔法士を配置してるよ」
「それはまた」
厄介極まりない、と、統魔は思ったものの、そのときには法機を取り出していた。