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第八百四話 米田圭吾(四)

 央都おうとの一般市民にとって、龍宮戦役りゅうぐうせんえきの実態がどのようなものだったのかについては、戦団の公式発表とそれに基づく様々な報道から想像するしかないことだ。

 戦団が、人類史上初となる幻魔との共同戦線を張ったということに対し、非難ひなんの声を上げる有識者もいれば、反戦団を掲げる活動家たちの火を点けた。

 一方で、人類存続にとって必要不可欠であり、いたし方のないことだったと擁護ようごする声も少なくない。

 そもそも、央都を、人類生存圏を守護することが戦団の使命だというのであれば、それを成し遂げるためならば幻魔すらも利用しようという戦団の姿勢は、正しいのではないか。

 いや、しかし、幻魔と手を取り合うことなど考えられるものではないし、認めがたいものでもある――などと、龍宮戦役以来、市民の誰もが様々な意見を言い合い、戦わせたりしているのが、昨今の現状である。

 教室内ですらそうだった。

 戦団とは縁遠い道を歩むことになる天燎てんりょう高校の学生たちであっても、やはり、気になるものなのだ。

 圭悟けいごは、そんな日々のやり取りをぼんやりと考えながらも、ようやく辿り着いた我が家を前に足を止めた。

 米田よねだ家は、葦原市東街区篠原町あしはらしとうがいくしのはらちょうの南側に広がる住宅街、その真っ只中にある。

 その二階建ての一軒家は、父・圭助けいすけが母・優子ゆうことの結婚を記念して購入したものだという。ありふれた特徴のない外観は、父にこだわりがないということもあるだろうし、そんな父だからこそ、母が惚れ込んでいるということも関係しているのだろう。

 なぜ、いまさらになって自分の生まれ育った家のことを考えなければならないのか、などと、圭悟は憮然けいごとした。

 門をくぐり、玄関扉を開いて家の中へ。

「ただいま」

「おかえりなさい、圭悟さん」

 母の穏和おんわに過ぎるほどの声がすぐに返ってきたものだから、圭悟は、靴を脱ぎながらいった。

「親父、いる?」

「はい。圭助さんなら書斎にいますよ。仕事中のようですね」

「仕事? こんな時間に?」

「はい」

 母の丁寧ていねいな口調は、昔からだった。

 我が子に対しても、他人に対しても、いつだってそうだった。それが米田優子という人物であり、だから、どうして圭悟のような乱暴な子供が生まれたのかと、親戚一同首を捻ることが多かったようだ。

 そんな話を親戚から直接聞かされるのは、圭悟なのだが。

「相変わらずなんだな」

「圭助さんは、仕事が生き甲斐という人ですから」

「……まあ、いいけど。晩飯、風呂の後でいいから」

「はい。わかっていますよ」

 優子は、玄関先から廊下へと移動する圭悟の声を聞きながら、くすりと笑った。

 圭悟は、圭助の血をしっかりと受け継いでいるということは、いま、彼が熱心に一つのことに取り組んでいることからも明らかだった。

 そんなことを指摘しても、圭悟は全力で認めないだろうが。

 だから、優子は決して口に出さなかった。ただ、圭悟がなにやら圭助に用事あるらしいということが気になったが、二人がいってくるまでは聞くまいとも思ったのだった。


 圭悟がゆっくりと深呼吸をしたのは、圭助の書斎に辿り着いてからのことだ。

 圭助の書斎とは、仕事部屋のことである。

 圭助は、天燎財団ネノクニ支部の総合管理官だった時代は、月に一度帰ってくるかどうかというくらい家を空けていたが、天輪てんりんスキャンダルの責任を負わされ、辞めさせられてからというもの、月の大半を家で過ごすようになっていた。

 これまでほとんど利用されなかった書斎が、今や全力で活用されているのである。

 その事実は、母・優子にとってはこの上なく喜ばしいことであるらしく、それに伴って優子の笑顔が増えたことは、圭悟にも素直に嬉しいことではあった。

 優子が、仕方がないとはいえ、圭助と離れ離れの日々に寂しさを覚えていたということは、圭悟も子供心に理解していた。

 圭悟が、圭助に並々ならぬ反発心を抱いていた理由のひとつが、それなのだ。

 そうしたわだかまりが一つ、また一つと解消されてきたのが、この二ヶ月あまりの日々だ。

 とはいえ、父親の仕事部屋に入るとなれば、緊張するものである。

 何度目かの深呼吸の後、圭悟は、扉をノックした。特殊合成樹脂製の扉が小気味よく鳴り響く。

「……親父、入っていいか?」

「圭悟か。入りなさい」

 返事は、すぐにあった。

 圭悟は、ドアノブを握ると、覚悟を決めたようにして開き、視界に飛び込んできた父の顔を見て、一瞬足がすくんだ。

 圭助は、執務机に向かい、そこに設置された万能演算機でもってなにやら作業をしているようだった。複数の幻板げんばんがその周囲に浮かんでいるが、こちらからはそこに表示されている映像は見えない。

 鍵盤を叩く指の音だけが、室内に響いている。

「どうした? 用事があるのだろう?」

「お、おう……用事が、ある」

「なんだ?」

「いや……」

 圭悟は、書斎に足を踏み入れると、後ろ手に扉を閉めた。

 圭助の真剣そのものの表情は、彼が母の言ったとおり仕事をしていることを示しているのだろう。真剣に、真摯しんしに、そして全霊を込めて、己の仕事と向き合っている。

 そんな父の姿を直接見たのは、なにもこれが初めてなどではない。

 天輪技研の発表会の場でも、見ている。

 圭悟は、そんな父の姿が嫌いではない。

 仕事に関連するものしか置かれていない殺風景な室内を歩き、執務机に近づく。

 圭助がようやく圭悟に目を向けた。圭悟は、鞄の中からなにやら小包こづつみを取り出していた。

「なんだ? それは」

「理事長が、親父にって」

「ん?」

 圭助は、圭悟が手渡してきた小包を受け取り、その重量感と我が子の言葉の意味を考え、怪訝けげんな顔になった。

「理事長が?」

「おう。うちの新理事長・天燎十四郎だよ」

「天燎十四郎は財団の理事長でもあるが……まあいい」

「なにがだよ」

「呼び捨てにしたことがだ」

「あんたも呼び捨てにしたじゃねえか」

「そうだな」

「……へっ」

「なにがおかしい?」

「いーや、別に」

 圭悟は、圭助が今まで一切見せてこなかった素顔を当然のように覗かせてくれることが、少し、嬉しかった。 

 天燎財団に見限られ、財団における立場や権利の全てを奪われた圭助は、財団に対する態度を改めるようになっていた。

 圭悟にはなにもいわないが、天燎高校に通っていることすら、あまり快く思っていないのではないか、と思うことがある。

 これまでの人生の大半を財団に捧げてきた男が、自分のあずかり知らぬところで起きた大事件に巻き込まれた挙げ句、その責任を取らされたのだ。

蜥蜴とかげの尻尾切りだよ』

 父は、以前、ぼそりといった。

 それが圭助の本音だということはすぐに理解できたし、圭悟も心底同情したものだ。

 そして、圭助がそれによって価値観を激変させたのだとしても、なんら不思議ではないと思った。

 父は、再就職に奔走ほんそうしなければならなかった。

 本来ならば、引く手数多であるはずだ。

 天燎財団ネノクニ支部における王の如き存在だったのだ。財団を辞めたというのであれば、対抗企業などから無数に声がかかってもおかしくはなかったし、それなりの待遇が約束されても不思議ではない。

 だが、今回は、そういうわけにはいかなかった。

 天輪スキャンダルが原因で辞めさせられた人間をすぐさま雇うとなれば、世間体せけんていが気になるものだろうし、周囲の反発も少なからずあるだろう。

 故に、圭助は、新たな仕事を見つけるのにそれなりの苦労を強いられた。

「ふむ……」

 圭助は、机の上に置いた小包を開き、目を細めた。中から薄型万能演算機が出てきたのだ。

 天燎印の最新式万能演算機であることは、一目でわかるのだが、しかし、そんなものを送りつけられて、どうしようというのか。

「それは?」

「天燎の最新型だな。こんなものを手渡しで送りつけてきたと言うことは、ネットワークに繋がずに使えということだろう」

「はあ?」

「財団が、わたしになにかさせたがっているということだ」

「……するのか?」

「まさか。わたしはもう財団とは無縁の人間だ」

 圭助は、演算機を小包で包み直すと、机の片隅に置いた。

 発信機が内蔵されている可能性も考えたが、そんなものがあろうとなかろうと、圭助の居場所を特定することなど容易いはずであり、そんなことをする理由が見当たらない。

 考えるべきは、端末をこれからどうするべきか、ということだが。

 圭助は、しばし考え、我が子に目を向けた。

「……圭悟、一つ、頼まれてくれるか?」

「はあ?」

 圭悟は、きょとんとするほかなかった。


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