第八百三話 米田圭吾(三)
「理事長に呼ばれるなんて、相当悪いことしたんだなあ」
「相変わらずの厳つさが見た目だけじゃなくて安心するぜ」
「なにがだよ」
圭悟は、北浜怜治と魚住亨梧の冗談に顔をしかめながら、部室内の奥にある自分専用のロッカーに小包の入った鞄を押し込んだ。その上で魔法で厳重に封印する。簡単には突破されないだろう。
対抗戦部の部室内には、全十二名の部員で溢れかえっていた。
天燎高校は、元来、校風として対抗戦には消極的だった。天燎高校が天燎財団が運営する学校であり、財団関連企業に就職するための通過点という側面が極めて強いからだ。
その上、先の理事長・天燎鏡磨は、戦団への対抗意識を隠そうともしておらず、生徒たちもそんな理事長に感化され、戦団が主宰する対抗戦を毛嫌いしていたのである。
そんな中、今年の対抗戦決勝大会に出場する羽目になった天燎高校だったが、あろうことか優勝してしまったのだから、その熱が高校全体に広がっていったのは、いい変化というべきか。
鏡磨自身が激賞したこともあったし、鏡磨に代わって理事長になった天燎十四郎は、対抗戦をむしろ推奨した。
対抗戦決勝大会の優勝によって、天燎高校や運営母体たる財団が大きく取り上げられたことで、とてつもない宣伝効果があることが判明したからだろう。
これまで対抗戦に力を入れなかったのが間違いだったのではないか、と、財団そのものが考えを改め、力を入れることにしたのである。
そうした事情を踏まえれば、対抗戦部に入部希望者が殺到するのもまた、当たり前の結果だっただろう。
現在、対抗戦部の部員は全十二名。このうち、協議参加者は九名である。残りの三名、蘭、真弥、紗江子は、対抗戦部の雑用係を自認、自負しており、様々な面での補助を行ってくれていた。
元々の部員は、圭悟、怜治、亨梧の三名。それに退部した皆代幸多、黒木法子、我孫子雷智を含めた六名だった。
数十人もの入部希望者の中から選りすぐられた六名のうち、四人が一年生、二人が二年生で、三年生が一人もいないのは、将来を見越してのことである。
三年生ともなれば、既に就職の準備を始める頃合いといってよく、当然、戦力になどなろうはずもなかったし、そもそも、入部希望者の中にも少なかった。
対抗戦部への入部を希望した三年生は、ただの想い出作りか、天燎高校対抗戦部に所属したという事実を欲しがっただけではないか、と、圭悟たちは考えたものだった。
就職後、その事実には利用価値が生まれるはずだからだ。
そんなこんなで選び抜かれた六名の新入部員を迎えたのは、対抗戦が終わってしばらくしてからのことであり、既に二ヶ月以上、対抗戦に関する練習を行っている。
「で、なんだったの?」
「教えるわけねえだろ」
「教えられないようなことなんだ?」
「なんでそうなる」
「だって、そうじゃん」
真弥は、圭悟がロッカーの中に魔法を仕掛ける様を見ていたものだから、気になって仕方がなかった。彼が理事長に呼び出される事自体、そうあることではない。
そもそも、理事長は多忙な人だ。
前任者同様に、学校の理事長と、財団の理事長を兼任している。
故に、基本的には学校には居らず、双界全土を飛び回っているのである。
そんな理事長がわざわざ名指しして呼び出したのだ。
なにか良からぬことでもあったのではないか、と、考えてしまうのは当然の成り行きだった。
「……なんでもねえよ」
「ふうん」
「気になりますね?」
「なるけど、気にしたって仕方がなさそ」
「はい」
紗江子も圭悟の様子が気になったが、真弥のいうとおりでもあった。圭悟がなにかを隠しているのだとして、それを明らかにすることに意味があるのか、とか、明らかにする方法があるのか、とか、そんなことを考える。
そうしている間に部活動が始まり、いつもの対抗戦の激しいとしか言いようのない練習へと、状況は移行する。
対抗戦部の練習は、幻想空間で行われる。
競星、閃球、幻闘――三種競技とも呼ばれる魔法競技の練習は、毎日、二時間余り繰り返されている。
対抗戦は、毎年六月に開催される大会だけではない。
大会期間を除き、長期間に渡ってリーグ戦が行われているのである。
九月から翌年の三月まで行われる秋期リーグは、天燎高校が初めて参加するリーグ戦ということもあり、練習に熱が入っていた。
圭悟は、幸多が残したこの対抗戦部を一過性のもので終わらせるつもりはなかったし、天燎高校に存続させ続けるためにこそ、リーグ戦でもそれなり以上の結果を残す必要があると考えていた。
練習を終えると、暗紅色の夕闇が空を覆っていた。
午後七時。
下校時間はとっくに過ぎ去っていて、大半の学生が学校を去っている。部活動に熱心な学生のほうが少ないのが、天燎高校の校風という奴である。
「おれらくらいだな」
「なにが?」
「こんなに熱心なの」
「そうだね。でも、悪くないよ」
「そうだな」
「うんうん、悪くない、悪くない。むしろ、良い感じ」
「そうですねえ。本当に、変わりましたもの」
紗江子は、吹き抜ける夜風の強さに思わず足を止めたが、すぐにまた歩き出した。
校門を出れば、街灯の光がそこかしこを照らしていて、夜の闇が迫り来ていることすら忘れさせるほどの明るさが、天燎高校の周辺に満ち溢れている。
「変わった?」
「はい。特に米田くんは、変わりましたよ」
「そうかあ?」
「そうよ、変わったわよ、圭悟」
「おれには、わからん」
「そりゃあ自分のことだもの。ひとにいわれたって気づけるもんじゃないでしょ」
「ううむ」
圭悟は腕組みを仕掛けて、止めた。鞄の中には、天燎財団にとって重要な代物が入っている。その重みは、並大抵のものではなかったし、だからだろう。足取りも妙に重く感じた。
「米田くんだけじゃないと思うよ。変わったの。皆代くんに出逢って、皆、変わったんだ」
「うん」
「そうですね」
「……まあ、そうだな」
蘭の意見には、反論の余地がなかった。
圭悟は、鼻を掻いて、そのまま頭上を仰ぎ見た。紅く昏い空には、星が輝き始めている。
夏は、まだ、その余韻を残しながらも、ゆったりと秋の気配を覗かせつつあるようだ。少なくとも、夏の夜の暑さは、いまやどこ吹く風と言った有り様だったし、夜風の涼やかさは、夏にはないものだ。
「幸多は……あいつは、英雄になった」
「英雄……英雄かあ」
真弥は、幸多のどうにもあどけなさを残した表情を思い出して、胸が痛くなるのだ。
幸多が英雄と呼ばれるに相応しい活躍をしたという事実そのものは、親友としてただただ嬉しい。だが、それ以上に嬉しいのは、彼が生きているという現実である。
戦団戦務局戦闘部――実働部隊に入った以上、いつ命を落としても不思議ではなかった。
龍宮戦役では百五十五名の戦死者が出ているのだ。
その中に幸多の名前がなかったということには、真弥だけでなく、この場にいる全員が心底安堵しただろうし、すぐさま幸多と連絡を取ろうとしたに違いない。だが、衛星任務中の導士とは簡単に連絡は取れないため、やきもきする日々を送ったものである。
英雄。
ムスペルヘイムと呼ばれる超特大の〈殻〉を崩壊させたのである。
それは即ち鬼級幻魔の打倒と同意であり、彼ほどの活躍を果たした導士がどれほどのいるのかといえば、数えられるほどしかいないだろう。
もちろん、幸多一人の活躍ではないということは、理解している。
真星小隊が一丸となって任務に当たり、成し遂げた偉業。
そのことを思えば、自分のことなどちっぽけなものだ、と、圭悟は、多少軽くなった足で家に向かった。
そこでなにが待ち受けているのかなど、知る由もないままに。