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第八百二話 米田圭吾(二)

「きみのお父上、米田圭助よねだけいすけさんには、本当に悪いことをしたと想っている」

「……はあ」

 圭悟けいごが思わず生返事なまへんじを浮かべてしまったのは、その言葉を全く想定していなかったからにほかならない。

 天燎てんりょう高校の理事長執務室。

 圭悟の目の前には、天燎高校の理事長・天燎十四郎(とうしろう)がただ一人、座っている。執務室の片隅、応接用の空間である。小さなテーブルを挟んで、対座しているのだ。

 天燎十四郎は、天燎財団総帥・天燎鏡史郎(きょうしろう)の第二子であり、天燎鏡磨(きょうま)の実弟に当たる人物だ。やや太り気味なのは、それだけ贅沢ぜいたくをしていられる立場であることの証明なのか、それとも食べることがストレス解消の方法なのか。どちらにせよ、大した問題はない。

 なにせ彼は、将来、天燎財団を背負う人物なのだ。

 次期総帥の名をほしいままにしていた天燎鏡磨は、天輪てんりんスキャンダルの主犯として戦団に拘束され、天燎財団におけるあらゆる立場、権力を失った。

 その上、マモン事変においては、戦団の敵として、人類の敵として積極的に破壊活動を行ったこともあり、天燎財団は、天燎鏡磨の存在そのものを財団の歴史から消し去ろうと必死になっていた。

 無論、たかが一企業、一財団の力で歴史を修正することはできない。

 財団の記録から消すことは出来たとしても、央都市民の記憶から消えることもなければ、央都の、双界そうかいの歴史から抹消されることはないのだ。

 その汚点おてんが、天燎財団の活動をむしろ活発化させていた。

 つまり、双界の人々の中の天燎財団に関する印象を良くするべく、様々な施策を実行しているのである。

 特に先月、八月中などは、天燎財団の関連企業が様々なキャンペーンを行い、央都市民、双界住民との交流を図っていた。毎日どこかの企業、どこかの店舗がなにかしらお祭り騒ぎだったといい、それによって天燎財団に好印象を抱く市民も少なくなかったという話だ。

 圭悟が、そんな企業努力を他人事ひとごとのように感じるのは、結局、父親が人身御供ひとみごくうにされたという認識を持っているからだ。

 もちろん、父・圭助に一切の非がなかった、などとはいわない。

 父は、天燎財団ネノクニ支部の責任者だった。天輪技研が、天燎鏡磨の指示の元、なにかしら動いていたというのであれば、それをとがめる必要があったのだ。

 圭助は、適切に対処できなかった。

 その結果天輪スキャンダルが起きたのだというのであれば、処分されるのも無理からぬことだ。

 主犯格の一人として逮捕されなかっただけ遥かにマシと捉えるべきだ、とは、父の言葉だが。

 もちろん、事件そのものに関与していないのだから、当然ではあるし、父の身の潔白は戦団が証明してくれていた。

「米田さんは、ネノクニ支部の総合管理官だった。その一点だけで、財団は、彼を戦団に差し出した。そうすることで財団の傷を少しでも抑えようとした。まさに自己保身の権化だといわざるを得ないし、謝って許されることではない」

「……えーと」

 圭悟は、十四郎のふくよかな、しかし生真面目そのものといった表情を浮かべる顔を見つめながら、どういう反応をしたらいいものなのかと考えた。

 本日の全授業が終わった直後、である。

 校内放送によって理事長室に呼び出された圭悟は、級友の視線を集めた。

『なんかしたんじゃないでしょうね?』

『するかよ』

 真弥まやの心配というよりはいぶかしげなまなざしを睨み付けつつも、困惑を抱えたまま教室を飛び出してきた圭悟は、その足で理事長室までやってきたというわけだ。

 そして、理事長にうながされるまま、席に着いた。

 開口一番の謝罪と、それに続く言葉は、決して空疎くうそな響きはなかった。

 少なくとも、圭悟には、そのように感じられた。

 鏡磨の神経質そうな顔が脳裏のうりに浮かんだのは、十四郎とは、まるで人柄が違うということがはっきりと伝わってくるからだ。

 鏡磨ならば、決して謝罪することなどなかったのではないか。仮に謝罪してきたとしても、その言葉に心が籠もっていないことは、簡単に想像が付いた。

 圭吾にとって天燎鏡磨とはそのような人物だった。

「しかし、財団にほかに取れる方法がなかったことについては、理解して欲しい。米田さんを始め、ネノクニ支部の優秀な人材を生けにえとして捧げなければ、財団そのものの存続が危うかったんだ」

「……そんな話、おれなんかにして大丈夫なんですか? 言いふらすかもしれませんよ」

「きみは、そんなことはしないよ」

「なんでそういえるです?」

「きみは、皆代輝士みなしろきしの親友だろう」

「……ええと、はい」

 うなずいてから、急激に気恥きはずかしくなってきて、圭悟は鼻を掻いた。体温の高まりを感じる。

 周囲に幸多の親友と見られているという事実が嬉しくもあったが、そうした質問を瞬時に肯定してしまった自分にある種の傲慢さを覚えて、苦笑してしまうのだ。

「皆代輝士は、我が校が誇るべき偉大なる人物となった。彼に恥ずべき行いをするようなものが、親友などと名乗れるはずもない……と、わたしは思うんだ」

 十四郎は、米田圭悟のひととなりを調べられるだけ調べた結果、そのように述べている。

 米田圭悟という一見すると不良学生のような出で立ちの彼は、実際、粗暴そぼうなところもなくはないが、根は真面目で、特に友達想いだという評価だった。そして、父親とは険悪な関係だったというのだが、それもこの二ヶ月ほどで修復し、改善の傾向が見られているというのである。

 それもこれも、米田圭助が退職に追い込まれた結果なのだとすれば、圭悟は、どのような感情を天燎財団に抱いているのだろうか。

 その点については、やはり、想像するほかない。

 そして、十四郎が想像した通りの状況になりつつあることに、彼は、心底安堵していた。

「まあ、そうですね。おれは、幸多が親友と胸を張って認めてくれるような人間でいたいと思っています」

「……とても素晴らしい心構えだ。だれもがきみのようにいられるのであれば、世の中は、もう少し良くなるだろう」

「褒めすぎですよ」

「本心だよ」

「はあ……」

 圭悟は、話がどこへ向かっているのかがわからず、ただ困惑するばかりだった。幸多の親友として恥じない自分であろうという想いを抱いているのは、事実だ。

 だが、だからなんだというのか。

 確かに、今日ここで聞いたことを言いふらすようなことはないだろうが、だとしても、だ。

 十四郎は、圭悟に財団の内情をつまびらかにすることになんの利があるというのだろうか。

 圭悟には、彼の目論見がまるで想像できなかった。

 父・圭助は、天燎財団にとって重役だった。ネノクニ支部の頂点に君臨していたといっても過言ではない。圭悟がなに不自由なく暮らせていたのも、圭助の立場があればこそだった。

 それほどの立場の人間が、一瞬にして犯罪者呼ばわりされるようになってしまった。

 もちろん、天輪スキャンダルに一切関わっていない圭助は、なんの罪に問われることもなかったし、釈放された後は自由に生活することが許されていた。それでも後ろ指を指されることは少なくなかったし、陰口や噂話も絶えることがなかった。

 とはいえ、天燎財団としては、責任者である圭助を処断せずにはいられなかっただろうし、そのことで財団に対する印象が悪化する、ということもなかった。

 致し方のないことだ。

 悪いのは、結局、天燎鏡磨と彼を操っていた幻魔なのであり、圭助や多くの関係者は巻き込まれた被害者に他ならない。

「……話を戻そう。財団は、表向き、米田さんとの連絡を取るわけにはいかない。秘密裏にに連絡を取った挙げ句、露見ろけんするようなことがあれば、余計な憶測を生むし、ようやく回復し始めた財団の印象を悪化させかねないからね。そこで、圭悟くん。きみに米田さんとの連絡係になって貰えないか、という話なんだ」

「連絡係? 親父との?」

 なんでまた、と、圭悟は身を乗り出した。すると、十四郎は、テーブルの下から小包こづつみを取り出し、圭悟の目の前に置いてみせた。

「これを、米田さんに届けてくれるかな。極めてアナログな方法だが、だからこそ捕捉ほそくされ、露見することもない」

「そりゃあ……そうでしょうが」

「この中には、米田さんへの謝罪と、天燎財団のこれからに関する重要な書類が入っている。米田さんが引き受けてくれればそれでいいし、そうでないというのであれば、処分してくれればいい」

「天燎財団のこれから……」

 圭悟は、綺麗な小包を手に取ると、その重量感に顔をしかめた。

 ただの書類などではないことは明らかだった。

 十四郎が、天燎財団が、父・圭助を利用してなにかを企んでいるのは明らかだったが、だからといってここで突き返すという選択肢などあろうはずもなく。

「これを父に渡せばいいんですね?」

「そうしてくれると、助かる」

「もし紛失したら?」

「そのときは、財団が終わるよ」

「……おそろしいことを」

「事実だよ」

 十四郎のふくよかな顔は笑っていたが、しかし、その声音は底冷えがするくらいに凍てついていた。


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