第八百一話 米田圭吾(一)
「今朝のアサスパ見た!?」
「見たよー! 見た見た! 真星小隊の大特集でしょ!」
「もうすっかり時の人だねえ、皆代くん!」
「こんなことになるのがわかってりゃ、少しでも仲良くしておくべきだったぜ」
「現金な奴ー」
「そうよ、あれだけ魔法不能者って見下しておいてさ。その点あたしは最初から――」
特に意識していないというのに周囲の声が聞こえてくるというのは、結局のところ、多少なりとも意識を割いているという以外にはない。
そのような結論に至って、圭悟は、小さく息を吐いた。
九月九日、月曜日。
天燎高校は、八月一杯の夏期休養期間を経て、新学期に突入したばかりだ。
天燎高校の運営母体である天燎財団、その関連企業が引き起こした大事件、天輪スキャンダルは、学校全体に昏い影を落とした。
生徒たちの中には、このまま天燎高校に通っていても問題ないのか、と不安がったものもいただろうし、財団関連企業への就職が将来を安定させる方法ではないのではないか、などと考えるようになるものもいただろう。
それほどまでの不信感を募らせたのは、結局、天燎財団が適切な対応を取れなかったからにほかならないが、とはいえ、大半の生徒は、その進路を変える様子もなく、相も変わらずこの学校に通い続けている。
天輪スキャンダルの影響が薄れつつあるのもあるだろう。
天輪スキャンダル以降にも立て続けに大規模幻魔災害が起きたことが大きい。天輪スキャンダルという事件そのものが、遠い過去の出来事のようになってしまっていた。
天燎高校の生徒だからと指を指されるようなことは、もはやなくなっていたのだ。
それは、いい。
教室内はもちろんのこと、央都四市、いや、双界全土が龍宮戦役の話で持ちきりだった。
龍宮戦役で戦死した百五十五名にも及ぶ導士の話題も少なくないが、やはり、活躍し、生き残った導士に関連する話のほうが取り上げられやすいのは、気分として当然のことだ。
人は、明るい話題を好む。
特に央都市民ならば、あまりに近しい死よりも、未来に向かう生に纏わる話のほうが喜ばしいのだ。
そんなことを考えるのは、自分もまた、生存者のことばかり考えているからにほかならない。
「どったの? 難しい顔してさ」
「別に、なんでもねえよ」
圭悟は、真弥のからかい半分といった表情にこそ、苛立ちを覚えた。この幼馴染みは、平然と圭悟の心に踏み込んでくる。そこに遠慮もなにもあったものではなかった。
「今朝のアサスパは?」
「見たよ。途中までな」
「なんでよ。時間なんて余裕だったでしょ」
「余裕だけどよ」
そういう話ではないのだ、と、圭悟は、この話題を強引に打ち切ろうとしたが、そういうわけにはいかなかった。
「なになに、なんの話?」
「皆代くんの、真星小隊の話題のようですわ」
蘭と紗江子が口を突っ込んできたからだ。二人は、席に着くと、圭悟と真弥の会話に加わろうとする姿勢を隠さなかった。
いつものことだ。
「あー、アサスパの気になる小隊ショータイム!」
「コーナー名でいうかね」
「はは、オタクなところが出ちゃったな」
「出したんだろ」
「ふふ」
「真星小隊、大活躍だったんだってねえ」
「〈殻〉を崩壊させたんだ。大活躍なんてもんじゃねえ。龍宮戦役勝利の立役者だってもっぱらの噂だが、本当のところはどうなんだろうな」
「皆代くんに聞けばわかるんじゃないの?」
「あのなあ、いくらおれらが親友たって、なんでもかんでも教えてくれるわけねえだろ。守秘義務ってもんがあるんだぜ。戦団の活動の全容を一市民に明らかにするはずがねえ」
「皆代くん、そういうところはしっかりしてるよね」
「ほかは抜けてんのにな」
「いつだって真面目で真っ直ぐなだけでしょ。あんたと違ってさ」
「おれのどこが不真面目なんだよ」
「そーいうとこ」
真弥が指摘したのは、机の上に放り出された圭悟の両足であり、彼は、しばし虚空を見遣り、頭の後ろに組んだ手を解き、姿勢を正した。
「なんで?」
「……なんとなく」
友人たちがきょとんとする様を見て、圭悟は、憮然とするほかなかった。姿勢を正せばそのような反応をされるのは、どうしたものか。
「最近よく聞かれるのよね。皆代くんのこと」
「だれにだよ」
「学校の皆とか、周りの人とかにさ。今朝だって教室に入るまで大人気だったんだから」
「幸多がな」
「そういってるでしょ!」
真弥が憤然と言い返せば、圭悟がにやりとする。
そんな二人のやり取りを見て、蘭と紗江子も朗らかに笑うのだ。
「アサスパの特集にさ、わたしたちの顔まではっきりと出ちゃってたし」
「対抗戦で一緒でしたし、それ以外でもよく一緒にいましたものね」
「龍宮戦役の英雄の親友……かあ」
「まあ、英雄っちゃ、英雄か」
「戦団の広報がそう明言してるからね。それで、皆代くんは、輝光級二位。ついこの間輝光級三位に上がったばかりなのに、もう昇格だよ。本当に凄いと思わない?」
「すげえと思う。本当に」
圭悟は、本心で告げると、脳裏に幸多のことを思い浮かべるのだ。
皆代幸多は、どこにでもいるような少年だった。少なくとも、見た目にはそう思えた。魔法不能者という一点が、ありふれた少年ではないことを示していたが、しかし、それもまた、この魔法社会、央都社会には少なくない種類の人間ではあった。
そんな彼が、いまや飛ぶ鳥を落とす勢いでその才能を開花させ、成果を上げ、武功を立て続けている。
特に龍宮戦役での真星小隊の活躍は、目を見張るものだったし、戦団史に、いや、人類史に刻まれるほどのものなのではないかと持ちきりだった。
そんな彼はこの九月、第九衛星拠点にいて、圭悟たちと遊べるような機会は一切なかった。当然、学校に顔を見せられるわけもない。
それは十月になって任地が変わったとしても、同じなのではないか。
彼と過ごした何気ない日常は、もう戻ってこないのではないか、と、思えてならない。
真星小隊の特集を見て思うのは、そんなことばかりで、だから圭悟は早々に家を出て、まだほとんど誰もいない教室でぼんやりと過ごしていたのだった。
そんな心境を幼馴染みたちに伝えられるわけもないから、彼は、教室内に蔓延る真星小隊や戦団に纏わる話題を聞いては、眉間に皺を寄せ、顔を険しくしていくのだ。
他愛のないどうでもいい会話が、圭吾にはどうにも煩わしく思えてならなかった。
「――企業が国家に成り代わり、秩序の構築、維持に乗り出したのは、二度に渡る世界規模の魔法戦争の結果、世界全土のありとあらゆる国家が壊滅状態に陥り、混沌に飲まれていったからだといわれています。いわゆる混沌時代の始まりですね」
小沢星奈が大型の幻板《げんばn》に表示しているのは、混沌時代と呼ばれる頃、地上で撮影されたとされる記録映像の中から選りすぐられたものばかりだ。
およそ二百年前、魔法の発明によって始まった魔法時代は、二度に渡る魔法大戦で幕を閉じた。
魔法によって人類は栄華を極め、万物の頂点に君臨していたのだが、その時代も長くは続かなかった。
人の欲望は果てしないものであり、故に、箍が外れ、制御を失えば、破滅的な大戦争が勃発してもおかしくはなかったのだろう。
その結果がこのザマなのだとすれば、如何ともしがたいとしか言い様がないのだが。
「この央都が存在するのは、かつて日本と呼ばれた島国だということは、皆さんも御存知ですね。日本は、魔法大戦において中立を主張しましたが、しかし、大戦を主導した国々は、日本をこそ自勢力に引き入れることに躍起になっていたと言われています」
それはなぜか。
考えれば、すぐに答えの出ることだ。
圭悟は、教師の背後に展開する大型幻板に映し出された歴史上の人物の顔を見つめながら、その名を胸中に思い浮かべた。
(御昴直久……魔人か)
後に魔人と呼ばれるようになる御昴直久と、始祖魔導師・御昴直次の兄弟によって魔法が発明されたことは、魔法時代において大いに喧伝され、日本こそが魔法の源流であり、魔法士にとっての聖地とされたことはよく知られている。
日本は、優秀な魔法士の産地であり、魔法教育における最前線であるとされた。
故に魔法大戦において、日本という国そのもの争奪戦が繰り広げられたのだと良い、その結果、日本が滅び去ったのだ、という。
そして、大量の幻魔がこの島国を覆い尽くした。
遠い昔、混沌時代が始まる目前の話だ。