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第七十九話 最幸にして多望なる刻(三)

「へえ、存外やるじゃあないか」

 などと、わかりきったことをつぶやきながら、彼は、人間たちの戦いぶりを見届けた。

 ガルム、ケットシー、カーシー、そしてカラドリウスという獣級じゅうきゅう下位に類別される幻魔げんまたち、総勢百二十体を送り込んだのだ。それなりに損害が出るものと想像していたのだが、実際の所、負傷者一人すら出なかった。

 しかも、その大半が、たった一人の人間に殲滅せんめつされてしまっている。

 それは、多少なりとも驚くべきことかもしれない。

「さすがは、かの魔妃まきリリスを討ち取った勇者とその末裔たち、とでもいうべきかな」

 ついでに拍手をして、彼らの健闘をたたえてみせる。

 賞賛に値する働きとはいえないが、最期の舞台ならば、それくらい優しくしてやってもいいだろう。

 どうせ、全てが終わるのだ。

「だが、その快進撃もここまでにしよう。これより先に待つは、地獄。この最幸さいこうにして多望たぼうなるときに死ねることをこそ、至福と思い知るが良い」

 彼は、空中に複雑な姿勢で浮かんだまま、右手を掲げた。指先に魔力を集中させ、球体を構築する。巨大な魔力体。その大きさは、彼が見下ろす競技場の球体と同じだ。

 競技場を破壊し、人工島を粉砕するだけならばこれほどの魔法は必要ないだろう。が、あの場には、複数名の導士どうしがいた。彼らを皆殺しにするには、これくらいの力がいるかもしれないと彼は考えたのだ。

 彼が指先を傾ければ、それだけで、暗黒の球体が地上へと向かった。それは、周囲の空間を歪めるほどの力を発生させながら、ゆっくりと落ちていく。

 海上の人工島、その真ん中にそびえる競技場へと、吸い込まれるように。

 そして、虚空こくうで弾けた。

 莫大な魔力が拡散し、四方八方に破壊の力を飛ばしていく。空間に巨大な歪が生じた。

「どうして邪魔をするかな」

 彼は、眼下に現れたそれを見遣みやり、口の端を歪めた。

「きみらが天使などと名乗ろうと、本質的におれたちとなんら変わらないというのに……なあ、メタロトン」

 白銀の大天使が、三対六枚の翼を大きく広げ、彼の前方、地上との間に立ちはだかっていた。銀色の頭髪が逆立つように揺らめき、青く輝く双眸そうぼうが、燃え盛るように輝いている。

 その名をメタトロンという。

 彼は、そのとき、メタトロンが地上を一瞥するのを見逃さなかったし、その視線の先になにがあるのかも理解した。理解できないわけがなかった。

「ああ、なるほど。そういうことか。けど、知っているかい。そういうのを”とらわれている“っていうんだぜ」

 彼がメタトロンを嘲笑えば、メタトロンは彼をにらみ据えた。そこには強い意志があった。揺るぎない力があった。限りない義憤ぎふんに燃えているのだ。

 それが、彼にはこの上なく馬鹿馬鹿しいものに見えて仕方がない。

「アザゼル!」

 別の方向から聞こえてきたのは、全く耳慣れない声だった。見れば、新参者と思しき天使が飛びかかってきた所だった。

「初めて見る顔だ」

 彼は、すさまじい速度で飛来した天使をたいさばいてかわし、そのついでに左腕をもぎ取って見せた。天使は、即座に彼に向き直ったが、左腕を失ったことに気づき、絶句したようだった。

 彼は、ただただ冷笑した。あまりにも弱すぎて、話にならない。

「ああ、思い出した。きみ、おれが丹念に育てたリヴァイアちゃんをたおそうとした奴だろ」

 彼の脳裏に英霊祭えいれいさいの夜の光景が浮かんだ。未来河みらいがわに送り込んだ獣級幻魔リヴァイアサンが、戦団の導士に斃されていく中、天使らしきものが手を貸していたこをと思い出したのだ。

「下がれ、ドミニオン」

 メタトロンが命じれば、ドミニオンと呼ばれた天使は素直に従った。メタトロンの後ろに下がったのだ。

 彼は、侮蔑ぶべつの目を天使たちに向ける。

「ドミニオン。主天使しゅてんしか。まったく、きみたちのそういう頭の悪さには反吐へどが出るな。おれたちは幻魔だ。悪魔なんだよ。どう足掻いても、神の使いになんてなれやしない。ましてや人間の味方など」

「わかっているさ、アザゼル」

 メタトロンが彼の名を口にした。彼は、目を細めた。

「なら、邪魔をするなよ。これはおれなりの慈悲なんだ。救いなんだよ」

「救いだと?」

「そうさ。救いだ。知っているか。昔から天使は情け容赦なく、悪魔は情け深いものなんだ。だからおれも、悪魔のように情け深く、あの場所にいる人たちを救いたいという一心で、だな」

「……そうか」

 メタトロンは、アザゼルを見据みすえた。アザゼルの軽薄で上辺だけの言葉には、膨大極まりない虚偽きょぎ欺瞞ぎまんに満ちている。

 白銀の天使は、満ちた月のように輝きを増し、夜の闇を染め上げていく。

 その膨大な輝きを認め、アザゼルはお手上げの仕草をして見せた。付き合いきれない。

「……わかったよ。今日はここらへんでおいとまさせてもらうとしよう。ここできみとやり合うのも面白いが、アーリマンの野郎が口うるさくてね」

「サタンが怖いのだろう」

「ああ、そうさ」

 アザゼルは、軽薄けいはくに表情を歪ませると、闇の翼を最大限に広げた。暗黒の闇が彼の全身を包み込み、彼の暗紅色の体が闇の中に解けていく。

「ルシフェルなんかとは違ってね、サタン様は怒らせると怖いんだよ」

 アザゼルの姿が闇とともに消えたとき、酷薄な笑みが虚空に残ったのは、それだけの魔力が存在していたからだ。

 メタトロンは、しばし虚空を見据え、その後にドミニオンに目を向けた。

「ドミニオン、きみの腕は戻らない。回復できない。わかっていると思うが」

「……わかっている」

 ドミニオンが反応が遅れたのは、極めて理性的なメタトロンの対応に面食らったからだ。

 そして、悪魔によって受けた傷を回復することができないという事実は、天使たちの共通認識であり、絶対的な掟といってよかった。

 それは逆もまた然りであり、だからこそ、アザゼルはメタトロンとの激突を避けたに違いなかった。

 アザゼルがメタトロンとぶつかれば、どちらも負傷は免れない。

 それは、彼らの計画にとって不要なことなのだ。

 ドミニオンならば、いい。

 ドミニオンは、影のような傷口を見つめながら、認識する。本来頭数に入っていない自分ならば、どれだけ損耗しようとも、天使たちの大いなる計画に支障はないはずだった。

 だからこそアザゼルに突撃したのだが、甘かった。

 最高位の悪魔の一人であるアザゼルには、やはり最高位の天使たちでなければ太刀打ちできないのだ。



「あれは幻魔だったのでしょうか」

「ええ。そこに疑問を持つ理由がありません」

 伊佐那義一いざなぎいちと伊佐那麒麟(きりん)だけが、央都の遙か高空で繰り広げられた攻防をわずかにも見ることができた。ただし、全容はわからない。

 極めて高密度の魔素まそが、夜空を歪めるほどに満ちていた。それらがぶつかり合い、激しく火花を散らせたのは、なんらかの意思の衝突と考えるよりほかになかった。

 そして、そこから考えられることといえば、幻魔同士の争いであり、戦闘だ。

 そんなものは、幻魔の出現から現在に至るまで、数え切れないほどに行われてきたことだ。その戦いに人類が巻き込まれたという事件も、歴史上に無数に存在する。

 今回、競技場を襲った幻魔の群れも、その戦いと関連しているのか、どうか。

 気にはなったが、考え込んでいる場合ではなかった。

「……いまはそれよりもこちらのほうが重要でしょう」

 麒麟は、地上に視線を戻し、告げた。

 義一にも否やはなかった。

 競技場では、幻魔災害特別対応部隊が大量の幻魔の死骸をどう処理するべきか、話し合っていた。ほとんど全てが粉々に砕け散っているのだが、その数があまりにも多すぎて、どのような順番で処理していくべきか、しっかりと考える必要があるからだ。

 通常の幻魔災害では、これだけの数の幻魔が一カ所に出現することはない。多くても十数体というのが、通例だった。

 それでも多すぎるといわれるほどだ。

 同じ場所に百体以上の幻魔が出現するなど、異常事態としか言い様がない。

 負傷者は一人として出ず、故に大きな混乱も起きなかった。

 それは間違いなく戦団の対応が早かったからだ。

 もし、幻魔災害に対する反応が遅れていれば、何十人、何百人もの重軽傷者が出ただろうし、最悪の場合、死者が出ていたとしてもなんら不思議ではない。

 そうならなかったのは、万一の場合に備え、多数の導士を配備していた戦団の想像力と対応力、そして幻魔の出現を見抜いた麒麟の眼力のおかげといってよかった。

 麒麟の持つ金色の目は、特別製なのだ。

 そして、伊佐那美由理(みゆり)の圧倒的魔法技量だ。一撃の下に幻魔の群れを氷漬けにし、撃滅げきめつせしめたのは、やはり美由理の戦団最高峰と謳われる魔法士としての実力があればこそだろう。

「これだけの数の幻魔が、なぜ、どうやってここに現れたのか、そのことのほうが問題です」

「その通りですね」

 義一にとっても、そこに異論を挟む余地はなかった。

 幻魔が突如、どこからともなく現れるという事象は、ほとんど記録されていない。大抵の場合、幻魔災害の発生は、幻魔の発生と同義だからだ。

 人が死に、その死を苗床として幻魔が発生する。そして、その幻魔が災害と認定されるような暴れ方をするのだ。

 それが幻魔災害。

 では、この競技場に起きたことはなんなのか。

 突如、競技場の地下から大量の幻魔が出現するなど、考えられないことだった。競技場の地面、その真下に空洞があるわけもなければ、幻魔の巣窟となっていたわけもない。もしそんなことになっていたのであれば、麒麟が競技場に足を踏み入れたときにわかったはずだ。

 だが、麒麟の目には、競技場の地下に魔素の流れの異変を見て取ることができなかった。

 それはつまり、決勝大会開始前には、幻魔の一体もいなかったということにほかならない。

 あのときと同じだ。

 英霊祭の大巡邏の真っ只中、未来河の中からリヴァイアサンが現れたときと、同じ。

 何者かが――とてつもなく強大な力を持った幻魔が、幻魔を央都に送り込んできているのではないか。

 麒麟はそこまで考えて、静かに解除されていく魔法壁の様子を見ていた。

 競技場は、誰一人被害に遭うことのなかった事実に歓喜し、麒麟たち導士の戦いぶりを目の当たりにした興奮と熱狂に包まれている。

 恐怖は、とっくに消え去っていた。


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