第七百九十四話 英霊儀式(六)
「英霊ってなんだよ?」
「また、その質問か」
神威は、欠けた視界に明日良の顔を収めながら、いった。
大斎場を出た神威は、仕方なく、明日良と明日花の二人を伴い、戦団本部へと戻ってくると、明日良にいわれるまま総合訓練所へと足を運んだのである。
訓練所内には、非番の導士たちが訓練を再開しようとしている最中であり、総長と軍団長が現れたことで大騒ぎになった。
これからなにが起こるのかと誰もが驚き、あるいは興味津々と言った様子で二人に注目したのだ。もし万が一、総長と軍団長の訓練模様が視られるというのであれば、自分たちの訓練を中止にしてでも観戦するべきである。
戦団最高峰の導士たちの訓練から得られるものは、大きい。
見て学ぶこともまた、極めて重要な修練である――とは、戦団の教えでもあった。
明日花は、そんな注目の嵐の中にあって、どうにか自分のことは気にしないで欲しい、と思わずにはいられなかった。
アイドル小隊の隊長として注目を浴びることには慣れているが、今回のそれはアイドルとしてのそれとは全く異なる類のものだということもあり、顔を隠したい気分だった。
もっとも、注目を集めているのは、神威と明日良であり、明日花に視線を送るような導士は極端に少なかったが。
そして、神威が訓練室を確保すると、神威と明日良、そして明日花の三人で入室した。もちろん、明日花は、二人の幻想訓練に付き合うつもりはなく、ただ、見届けるためについてきただけだ。
兄の暴走が良からぬ事態に発展しないことを祈るほかなかった。
神威と明日良が幻想空間へ、幻想体へとその意識を同期させると、二人の周囲には、荒れ果てた大地が広がった。
空白地帯を模した戦場であるそこは、禍々《まがまが》しくも赤黒い大地がその広大さを見せつけるように横たわり、寒々《さむざむ》しい青空とわずかばかりの雲が頭上にあった。太陽の輝きは遥か遠くにある。
神威も明日良も導衣を身にまとっている。
互いに黒を基調とする一般的な導衣だが、神威の導衣はより厳かであり、明日良の導衣はどことなく攻撃的な印象を受けた。動きやすいように工夫されているからだろう。
「導士は星であり、導士が死ねば、天へと昇り英霊となって地上を見守る――そういう」
「言い訳だろ」
「……魂の存在を疑っているか」
「魂が実在していようといなかろうと、導士が星だの死ねば英霊になれるだの、そんなのただのまやかし以外のなにものでもねえだろ」
「意見の相違だな」
「ちげえよ」
明日良は、荒ぶる魔力を速やかに星神力へと昇華し、律像を構築する。ひたすらに破壊的だが、しかし、極めて精密な魔法の設計図。
その猛々《たけだけ》しさは、彼の精神状態を反映しているに違いなく、故に、神威は目を細めるのだ。
明日良とは、長い付き合いだ。
天空地家は、古くより優秀な魔法士を輩出している家系ということもあり、地上奪還作戦の折には、その一員として彼の祖父が参加していた。
天空地明日希の名も顔も活躍も、神威はよく覚えている。
そして、天空地明日希の長男である、天空地明日馬の名も。
明日良の父、明日馬は、良き導士だった。
優れた魔法士というだけでなく、導士として立派な人物だったのだ。多くの導士の模範となるような、まさに導士の中の導士というべき人材だった。
それ故に、彼の死は、戦団にとって大いなる損失と考えられたし、神威自身、期待していた導士の死に直面し、深く傷ついたものだ。
しかし、総長として彼だけを特別扱いするわけにもいかず、合同葬儀の場では、ありふれた弔辞を述べることしか出来なかった。
つまりは、導士は星であり、死後、英霊となって天から人々を見守ってくれるだろうということを述べたのである。
明日馬の子、明日良が神威に敵意を剥き出しにするのも、わからなくはない。
神威は、明日良が星象現界を発動する瞬間を見ていた。幻想空間上の大気が震え、魔素が熱を帯び、電流を帯びるかのようだった。
莫大な星神力の発露、その結果。
明日良の星象現界・阿修羅は、武装顕現型であり、その名の通り、まさに阿修羅の如き姿となるのが最大の特徴といえるだろう。本来の二本の腕を含め、全部で六本の腕を持っているかのような明日良の姿は、まさに神話の阿修羅そのものだ。凄まじい圧力を持っていると言っていい。
「ジジイ、てめえも力を出せよ」
「冗談だろう」
「はっ」
明日良は、唾棄し、地を蹴った。彼の足元で暴風が逆巻き、その姿が神威の視界から消える。大地が大きく抉れていた。凄まじい魔素質量が発揮されたのだ。
神威は、後頭部に痛打を受けて、脳が激しく揺れるのを認めた。星神力を帯びた打撃は、ただそれだけで魔晶体を粉砕し、神威の敗北を告げる。
だが、訓練設定のおかげもあって、彼の幻想体は瞬時に再構成されており、神威は瞬時にその場を離れた。
「逃げられるかよ」
明日良の腕の一本から放たれる竜巻が、神威の足元を掬った。転倒し、視界が変転すると、視界を明日良の巨体が覆う。踏み潰された神威の幻想体が崩壊し、再構成されれば、別の場所から再戦となる。
だが、再構成された瞬間、またしても暴風が襲いかかってくるものだから、神威に逃げ場はなかった。
三度、破壊される。
「ジジイ!」
阿修羅の如く荒ぶる怒りが、明日良の全身から星神力となって満ち溢れている。
「なにしてんだよっ!」
その怒りの矛先がどこに向かっているのか、神威には、手に取るようにわかる。
彼の怒り、彼の哀しみ、彼の痛み、彼の憎しみ、彼の望み、彼の願い、彼の――。
四度、五度、同じような展開を繰り返しながら、神威は、明日良の激情を受け止める。それくらいしか、彼にしてやれることはない。
神威には、結局、明日良になにもしてやれなかったという想いがある。
天空地家とは、付き合いが長く、深い。
明日良の祖父、明日希は神威の部下だったし、あの死線を潜り抜けた戦友だった。飲み明かした夜もあれば、語り明かした夜もある。
明日希が結婚し、子を成せば、我が事のように喜んだものだった。物心つく前の明日馬を可愛がったものだったし、そんな明日馬が戦団に入ってきたときには、色々と声をかけたものだ。直接手ほどきをしたことも鮮明に覚えている。
そして、明日馬に子供が出来て、明日良と名付けたと聞けば、良い名前だと褒め称えた。
『ぼくは明日を駆ける馬になる。ならば、明日は良い日になるでしょう。だから、明日良』
そんな風に自慢げに我が子の写真を見せつけてきた明日馬のことは、いまも忘れようがない。
忘れられない。
どれだけ想い出が膨大に増えていっても、一つとして、記憶から消えていかない、脳に深々と刻まれ、決して忘れ去ることの出来ないようにされているかのようだ。
不確かな記憶など、なにひとつない。
なにもかもが鮮明で、手に取るように思い出せる。
あの雨の日の出来事だって、そうだ。
父が英霊になったと告げてきた幼い明日良の顔も、はっきりと、思い出せる。
神威には、なにもいえなかった。
なにもしてやることができなかった。
それが戦団の総長の役割であり、使命なのだとすれば、どれほど罪深いのか、と考えざるを得ない。
いままさに何十度目かの崩壊を始めたこの手で救えたものが、どれだけあったのか。
幻想体を貫く痛みと、崩壊の混乱の中で、考える。
再構成とともに訪れる破壊。
破綻。
星象現界を使う相手に対し、魔法も使わずに無事でいられるわけもない。
とはいえ、神威は、彼の怒りを甘んじて受け入れる以外に道はないように思えた。
明日良が今まさに怒り狂っているのは、過去の己を思い出したからというのもあるだろうし、百五十五名もの死者を出したということもあるのだろう。
戦団の戦いに死は付きものだ。
特に実働部隊たる戦闘部の導士は、常に死と隣り合わせの中にいる。
死は、隣人。
いつだって導士たちの影に忍び寄り、その命を蹂躙する瞬間を待ち侘びている。
神威は、幻想空間がもたらす生と死の激しい振幅の中で、考え込むのだ。
彼を。
彼らを。
この世界の有り様を。