第七百九十三話 英霊儀式(五)
合同葬儀が、終わった。
地上の星たる導士たちが、その役目を終えて天に還り、英霊となるための儀式。
その模様を披露するための式典。
哀しく、寂しく、痛ましく、けれども、この社会構造を維持する上で必要な祭典。
「素晴らしいシステムだとは思うがね」
などと、小さくつぶやいたのは、王塚カイリだった。
彼は、手元の端末を操作しながら、眼の前の幻板に流れる膨大な情報と格闘している一方、室内に流されている中継映像の音声を聞いていたのだ。
つまりは、神威の演説を初めとする合同葬儀の全容である。
「システム」
イリアは、カイリの言葉を反芻しつつも、端末との睨み合いを続ける。
「そう、システムだ。この央都社会を構成し、維持し続けるために必要なシステム」
カイリは、イリアに反応しながら、鍵盤を叩く。無数の文字列が幻板を流れていくのは、彼の十本の指が鍵盤を叩く速度によるものだ。そして、その軽快で小気味よい音色は、ある種の旋律となってこの空間に響き渡っている。
空間は、広大だ。
でなければ、それを受け入れることは出来なかっただろう。
それとは、巨大な機械仕掛けの大樹のことだ。
ユグドラシル・ユニット。
龍宮防衛戦は、戦団に多大な被害をもたらしたが、同時に莫大な恩恵をももたらしている。
それこそが、ユグドラシル・ユニットである。
かつて、ネノクニを管理運営していた統合情報管理機構ユグドラシル・システムの根本にして根幹であり、主機たる演算機構。
ネノクニと地上の狭間、地中に隔離されながらもネノクニの人々の手中にあったはずのその機構は、地球全土を襲った天変地異たる魔天創世以降、その存在を確認できなくなっていたという。
そして、戦団がどれだけ血眼になって探し続けても、決して見つかることはなかった。
それもそのはずだ、と、いまならばだれもが思うだろう。
竜級幻魔オロチの喉に支えていたというのだ。
それもオロチの魔力に破壊されることなく原型を留めていただけでなく、なにひとつ損なわれることなく存在し続けていたというのだから、驚きを通り越して、唖然とするしかなかったものだ。
ノルン・シスターズが確認したことによって、この機械仕掛けの大樹がユグドラシル・ユニットであることが確定すると、戦団技術局のみならず、情報局を含む、様々な部署が大騒ぎになったことはいうまでもない。
ユグドラシル・ユニットは、ユグドラシル・システムの根幹にして主機である。
いま現在、戦団および央都の情報を総合的に管理し、制御しているノルン・システムは、不完全極まりない代物であり、ところどころに不備が認められていた。現状の央都を管理運営するくらいならば十分過ぎるくらいの性能を発揮し、その恩恵たるや、素晴らしいものではあるのだが、しかし、本来のユグドラシル・システムと比較した場合、大きく見劣りするものだと考えられたのだ。
故に、戦団は長らくユグドラシル・システムの完成を夢見てきた。
ユグドラシル・エミュレーション・デバイスなるものの研究開発が行われていたほどである。YEDとも呼ばれるそれは、度重なる実験に失敗し、護法院によって封印指定とされていたのだが、昨今、央都及び戦団が直面している事態を重くみた上層部は、YEDの完成をこそ目指すべきではないかと議論しているところだった。
そんな最中、本物のユグドラシル・ユニットが手に入ったとあれば、戦団上層部のみならず、関係する部署の導士たちが大興奮に包まれるのも無理のない話だった。
とはいえ、ユグドラシル・ユニットは、すぐさま戦団本部に運び込むというわけにはいかなかった。なにせ百年もの間オロチの体内にあったのだ。なにか問題が生じていないか、機能不全に陥ったりしていないか、まともに動かせるのか、懸念点を確認し、安全の保証が必要だった。
そのために、まず、大和市の技術創造センターに運び込まれた。
そこは、戦団技術局の出先の機関であり、様々な新技術の研究、開発が行われる施設だ。
最先端の技術が集まっている上、優秀な技術者、研究者が集まっている場所である。
ユグドラシル・ユニットの点検に相応しい場所だということだ。
そして、技術創造センターには、技術局の技師のうち、手が空いているものが総動員され、いままさにユグドラシル・ユニットの調査が行われていた。
ユグドラシル・ユニットは、魔法金属製の大樹としか言いようのない構造をしていた。
なぜ北欧神話の大樹ユグドラシルの名をつけられたのか、その姿形を見れば一目瞭然だった。
機械仕掛けの大樹と形容する以外にない外見をしたそれは、おそらくは当時最先端だったのだろう魔法金属製の代物である。
そして、その補機たるノルン・ユニットが、北欧神話の女神からその名を取られた理由も、想像が付く。
北欧神話の女神ノルンは、ユグドラシルと深い関わりを持つからに違いない。
「央都を、人類生存圏を護るため、あるいは拡大するために戦団は戦力を必要とする。戦力とは導士だ。導士は央都市民の中から選ばれるのではなく、自らの意志でなろうとしたものだけがなれる。そのように説明し、実際にそのように運営する一方、央都の社会は、導士をこの世で最も尊く、素晴らしい仕事であり、誰もが目指すべきだと主張する。市民の誰もが導士を賞賛し、尊敬し、感謝し、時には信仰対象することもあるほどだ」
「なにがいいたいんです?」
「システムだよ。わたしはシステムを愛する。完成されたシステムほど、素晴らしいものはない。ユグドラシル・システムがそうであるように、完成されたシステムは、人の手を必要としない。ユグドラシル・システムは、ただそれだけで完結し、ネノクニを完璧に管理していたのだから」
カイリがユグドラシル・ユニットを見る目は、普段の彼からは想像も出来ないほどの昂揚感に満ちているものだったし、そこに信仰心さえ見いだせるのではないかと思えるほどの熱量が込められていた。
ただし、イリアにも、彼の興奮が理解できないわけではない。
長年戦団が求め続けてきたシステムの根幹が見つかり、いままさにその封印が解かれるかもしれないのだ。
ノルン・システムは、ついに完全体となる。
ただでさえ優秀な演算機だったノルン・システムが、さらに強大な、絶大な力を得るのだ。
戦団にとっても、人類にとっても喜ばしいことこの上なかった。
「戦団も、央都社会を完全無欠に管理しようと思えばできるはずだが、そうしてこなかった。市民にある程度の自由意志を与え……されど、どこかに導士になることが素晴らしく、魔法士としての実力を持つものは、導士になるべきだと考えるように仕向けていた。思想教育、洗脳教育に近いことが行われていることは、きみも知っているだろう」
「それは……まあ」
イリアは言葉を濁した。が、否定の出来ない事実である。
そしてそれは、決して悪いことではない。
この余りにも数の少ない人類が、この地獄のような世界を生き抜くためには、多少なりとも強引な手段を取らざるを得ないのだ。
「市民が率先して導士となり、幻魔と戦い、死ぬこと。そして、英霊となった導士たちは市民に褒めそやされ、市民の勇気となり、また、導士を目指す市民が誕生する――市民の感情すらもシステムとしてこの社会の根幹に組み込んでいるのが、戦団なのだ。それは、素晴らしいことだ。この地獄のような世界に相応しい」
「それ、褒めてます?」
「褒めているとも」
「そうですか」
とてもそうは聞こえなかったが、カイリの言を否定する気にもなれず、イリアは、世界樹に視線を向けた。
ユグドラシル・ユニットが、技術創造センターに運び込まれてから三日、イリアが合流してから二日が経過している。
動員された技師は五十人を越え、全員が、毎日長時間に渡ってユグドラシル・ユニットに施された暗号防壁を突破しようと試みているのだが、失敗ばかりが続いている。
もちろん、ノルン・システムを用いている。
ユグドラシル・ユニットは、システムの根幹だけあって、複雑怪奇としか言いようのない暗号防壁が幾重にも展開されており、それらを突破するのは簡単なことではなさそうだった。
だが、ユグドラシル・ユニットの暗号防壁の突破が技術局にとっての最優先事項であることに疑いの余地はない。
イリアは、暗号突破に熱中するあまり、カイリのシステム論などあっという間に忘れてしまった。
ユグドラシル・システムが完成すれば、窮極幻想計画もさらなる段階へと進めるのではないかと思えてならなかったということもあるのだが。
合同葬儀は、しめやかに終わった。
大斎場を満たした参列者たちが、神威の演説や英霊となった導士たちへの様々な意見、感想を述べながら去って行く後ろ姿を遠目に見遣り、彼は、小さく息を吐く。
導士の葬儀とは、そのようなものだ。
なにも合同葬儀に限った話ではない。
家族、親族以外には他人事であり続ける。
導士が死に、英霊となった。
ただ、それだけのことだ。
それだけのことでこれだけの大騒ぎをする必要があるのかといえば、あるのだろう。
明日良は、考え込まざるを得ない。
それがこの央都社会の基本構造なのだ、と。
戦団が根幹にあり、その上に社会が乗っかっている。戦団が全ての根本にあるのであれば、戦団を構成する導士たちは細胞というべきか。細胞は常に新陳代謝を起こしている。導士たちの死も、新陳代謝の過程にすぎない。
戦団という肉体を保つための細胞の新陳代謝。
そんな考えを明日良に述べたのは、妻鹿愛だったか。
「じじい……」
「お兄ちゃん……!」
明日良が思わず漏らした言葉の強さに、明日花は、全身の神経が張り詰めるような感覚を抱いた。
明日良が睨み据えたのは、会場を後にしようという神木神威の後ろ姿であり、神威の隻眼が、彼を振り返った。
「なんだ? 天空地軍団長」
「……面、貸せや」
明日良は、無意識にそういってしまったが、発した言葉を取り消す方法などあるわけもなく、故に、彼はそのまま神威に歩み寄った。
神威が、困ったように明日花を見てきたが、明日花にはどうしようもなかった。慌てふためいても、どうにもならない。
明日良が神威に対してなにか思うところがあると言うことは理解していたし、それがどこかで爆発する可能性についても考慮していた。だからこそ、明日花は片時も明日良の側を離れずにいたのだ。
しかし、そんな彼女の想いは、一瞬にして踏みにじられた。
明日花は、途方に暮れるほかなかった。