第七百九十二話 英霊儀式(四)
『央都の、人類生存圏の守護。それこそが我々の使命であり、全てである。そのために命を懸け、戦い続けて五十年以上――半世紀が過ぎた。これまでに大量の血が流れ続け、これからもさらに多くの血を流すことになるだろう。こればかりは致し方のないことだ。我々は、この身を、この命を、央都がため、人類の未来がために捧げると約束したのだ』
合同葬儀における神木神威の演説は、第九衛星拠点のどこにいても聞くことができたし、拠点に待機中の導士たちの誰もがそれを見て、聞いていた。
合同葬儀がネットを通して中継配信されることは、然程、珍しいことではない。
一般市民にまで開放されることは少ないとしても、導士たちならばどこにいても見られるようにしているのが普通だった。
同僚を見送るための儀式だ。
衛星拠点にいて、現地に参加できないものも少なくないのだ。
故に、ネット中継される合同葬儀を見て、参列した気分になるのである。
九十九兄弟も、日課の訓練を終えるなり、合同葬儀を見るようにしていた。
戦死者百五十五名の内訳は、第七軍団が百四名、第二軍団二十一名、第四軍団が三十名だという。
当然のことだが、これまで第八軍団に所属していて第七軍団に移ったばかりの九十九兄弟にとって、名前すら知らない導士が大半だった。
だからといって、なにも感じないというわけでもない。
「ぼくたちも、あそこに並んでいた可能性があるもんね」
「そうだな」
真白は、黒乃の言葉に小さく頷いた。
幻板の向こう側の合同葬儀会場には、戦死者たちの写真が並んでいる。無数の、そして色とりどりの弔花が導士たちの死を悼み、慰めるように飾り付けられており、彼らが確かに死んだのだと宣言するかのようだった。
黒乃の言うとおりだ。
彼らの多くは、スルトが前線に出現したときに、命を落とした。予期せぬ、想像だに出来なかった一撃によって、陣形もろともに吹き飛ばされ、死んでいった。
九十九兄弟は愚か、真星小隊そのものが壊滅したとしても、なんらおかしくはなかったのだ。
幸運にも、生き残った。
その事実を、彼らは、ただ、再確認するのである。
『我々は、導士である。人類を、市民を、栄光に満ちた未来へと導くためにこそ、その全てを捧ぐ。この力も、この意志も、この命も、全身全霊を。彼らもまた、そうであった。全身全霊で戦い、尊い命を散らせていったのだ。そしてそれは決して無駄ではなかった。無駄な死など、一つとしてない。全ての命に意味があり、全ての死に意義があった』
神威の演説を聞きながらだと、鍵盤を叩く指先にいつも以上の力が籠もるような気がしてならなかったが、葬儀に参加できないとなれば、そうせざるを得ない。
右腕を失い、生体義肢を施術したことが原因などではあるまい。
先の戦いのことを思うが故に、力が入ってしまう、ただそれだけのことだ。
美由理は、第九衛星拠点の執務室にあって、書類と対峙していた。
ふと、扉を叩く音があった。
「だれか」
「義一です」
「……開いている」
「失礼します」
目を向けると、前方の扉が開いて、制服姿の義一が姿を見せた。執務室に入り、後ろ手に扉を閉める。
「なにか問題でもあったのか?」
「はい」
「なんだと?」
美由理は、幻板に視線を戻そうとしたが、すぐさま義一に視線を定めた。義一は、静かに彼女の目の前まで歩いてきていた。
彼の金色の目が、いつものように穏やかに輝いている。だが、表情そのものは、普段のそれとは違う。どこか思い詰めているような、そんな気配があった。
「どんな問題だ?」
「大問題です」
義一は、美由理の目を見つめ、間髪を入れずにいった。
「龍宮防衛戦の折、美零が暴走したことは、大問題でしょう」
「……しかし、スルト討滅の直接的な理由がそこにあったし、こちらは窮地だった。正しい判断だといわざるを得まい」
美由理は、義一の顔を見て、その表情がわずかに歪んでいるのを認識する。
美零の暴走。
義一の心の内側、意識の深奥に住む別の人格、いや、魂の持ち主というべき少女、伊佐那美零。その発現によって義一の肉体そのものが変容するのだから、特別な存在であることは疑いようもない。
魔素配列そのものが激変し、故に肉体そのものが男性から女性のそれへと変わるのだ、という。
美零と義一は、肉体を共有する別個の人格であり、別個の魂だ。
全く異なる性格、全く異なる考え方、全く異なる在り様――二人は、なにもかもが違った。
共通しているのは、伊佐那麒麟の後継者として立場であり、覚悟だ。
そして、美零があのとき、ムスペルヘイムへと突貫したのは、その使命を果たすためにほかならない。
「義一。きみも美零も、麒麟様の後継者だ。その使命は、わたしも良く理解しているつもりだ。使命を果たすために行動した結果があの暴走だということも、よくわかっている。そして、それによってあの戦いを勝利に導くことができたのであれば、なにもいうことはない」
「真星小隊が壊滅する可能性だって、ありましたよ」
「そうだな。可能性ならば、いくらでもあった」
義一の目を真っ直ぐに見つめ返しながら、美由理は、いう。
確かに、そうだ。
義一の言うとおりだろう。
美零が飛び出したが故に幸多は彼女を追いかけた。隊長の使命として、隊員を、部下を護るために動いたのだ、と、彼は後に語っている。
さらに九十九兄弟がイリアによって二人を救援するために送り込まれ、真星小隊で行動することになった。
ムスペルヘイムのど真ん中へ。
上位妖級幻魔すらも大量に蠢く領域だ。真星小隊が全滅する可能性は、低くなかった。
真星小隊が一人として欠けることなく、目的を果たすことができたのは、幸運以外のなにものでもあるまい。
「だが、それをいえば、美零が殻石破壊に乗り出さなければ、二個大隊そのものが壊滅していた可能性も大いにあった。それだけは間違いではない」
アグニ撃破に時間と力を消耗しすぎたこともあり、スルトとホオリを相手に戦い続けることはできても、どちらかを斃しきり、スルト軍の戦力を削り取り、スルトに諦めさせることは不可能に近かった。
あの場でホオリを滅ぼすことができれば、さすがのスルトも引き下がっただろうが、二体の鬼級が相手となれば、アグニを斃す以上の困難が待ち受けていたのである。
あのまま戦い続けるということは、ただ消耗し続けるということであり、連合軍側が不利なのはいうまでもない。
「美零の機転には、感謝こそすれ、非難するようなことはなにひとつないさ」
「……しかし」
「義一。きみは少々考えすぎだな。殻石を破壊するという大役を果たすことができたのだ。胸を張って良いのだぞ」
「いえ……そういうことではないんです」
「ふむ?」
義一が困ったような顔で訂正してくるものだから、美由理も小首を傾げた。長い黒髪が、わずかに揺れる。
「美零が、謝りたがっているんです」
「美零が?」
「だって、わたしのせいで死んだ人がいるかもしれないでしょ?」
義一の口から漏れ出してきたのは、美零の声であり、そのときには彼の体も美零のそれへと変容していた。
美由理は、義一の体が美零の体へと変化する一部始終を見ていたはずだが、それは一瞬のことであって、美由理ですら気づきようのないくらいの出来事だった。
「わたしは、使命を果たそうとしたの。伊佐那麒麟複製体としての使命を。でも、出来なかった」
美零は、いった。
伊佐那麒麟複製体としての使命。
それは、殻石を発見し、破壊することではない。
殻石を発見し、殻石の律像を解析、反転構成によって霊石へと作り替えることこそが、伊佐那麒麟の、その複製体の使命なのだ。
それが出来なかったものは、それを果たせなかったものは、果たして、伊佐那麒麟の後継者といえるのか。
複製体としての使命を果たせたなどとは、口が裂けても言えまい。
そのことを美零は言いつのるのだ。
美由理は、そんな妹の苦悶に満ちた表情を見つめながら、合同葬儀の演説が流れるのを聞いていた。




