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第七百八十七話 死の果てに至る

 震源地しんげんちを見下ろせば、この上もなく深い穴が開いていることがわかる。

「まるで墓穴ぼけつの底だねえ」

 アザゼルは、眼下に穿うがたれた巨大な穴の深さを想像しながら、そんなことを言って見せた。だれとはなしに。しかし、必ず誰かが聞いていることを理解してもいる。

 大きな戦いが、起きた。

 この地を巡る幻魔同士の戦争である。

 鬼級幻魔スルトが、〈クリファ〉を拡大するべく、鬼級幻魔オトヒメの〈殻〉龍宮りゅうぐうへと攻め込もうとしたことに端を発する戦いは、アザゼルの誕生以来、最大規模の戦いといっていい。

 スルト軍総勢一千万に対し、オトヒメ軍の総戦力は二百万程度。

 しかし、こういう場合、もっとも重要なのは鬼級の数であることは自明の理だ。

 そして鬼級の数でも、スルト軍のほうが上だった。

 勝敗は、戦う前から決まっていたようなものだった。

「だのに、どういうわけなのか」

「スルトがドジを踏んだだけじゃないの?」

 マモンは、そういって、地上に向かって降りていく。

 大穴には目もくれず、戦場跡にこそ、彼の興味はあるようだった。

 戦場跡には、様々な機械の残骸が散乱しており、それこそがマモンの好奇心を駆り立てている。だが、今回彼がここにいるのは、それが理由ではない。

「まあ、そうだね。どのみち、スルトに勝ち目はなかった。そして。戦団が関与しなければ、こっちも結構危うかった……っていうか」

 戦場跡には、既に戦団の姿はない。

 昨夜から今朝方にけて行われた戦闘である。勝利したとはいえ、戦団は消耗し尽くしたのだ。

 そして、ここは空白地帯のど真ん中。

 導士の回復を待つためだけに留まる理由はなく、速やかに撤収したのは、適切な判断と言わざるを得まい。

 万が一にでもアザゼルたちと出くわすようなことがあれば、戦団はとんでもない損害を負うことになっただろう。

 さすがにそこまで想定してのことではないだろうが。

 アザゼルも地上に降り立つと、大穴周辺から捜索そうさくを始めた。

「バアルくん、バアル・ゼブルくん、聞こえているのなら返事をしなさい。皆、あなたのことが心配なんですよ」

「嘘くさいなあ」

「と、マモンくんもいっています」

「えーと……」

 マモンは、アザゼルのノリについていけなくなりながら、周囲を見回した。

 今回、二人がこの戦場跡に派遣されたのは、バアル・ゼブルの反応が途絶えたからだ。

 サタンによって完全に管理されているはずの悪魔の気配が途絶えることなど、通常、ありえることではない。

 たとえバアル・ゼブルお得意の亜空間に姿を隠したところで、サタンには全てお見通しなのだ。

 だから、そういう事情ではないということだ。

 なんらかの異常事態が起きている。

「どこもかしこも死骸しがいだらけだなあ」

 マモンは、広大な戦場跡を埋め尽くす空っぽになった魔晶体の数に、なんともいえない顔になった。

 スルト軍一千万、オトヒメ軍二百万のうち、どれだけの幻魔が戦場に投入されたのかは、わからない。

 だが、スルトが龍宮制圧を本気で考えていたのであれば、動員された兵力は数百万はくだらないだろうし、オトヒメ側も全力を出さなければならなかっただろう。

 それらが衝突したのが、この空白地帯だ。

 龍宮北東、ムスペルヘイム南西。

 昨夜までムスペルヘイムと呼ばれる〈殻〉が存在した領域は、いまやまっさらな空白地帯となっており、その真っ只中にホオリの〈殻〉が新たに作り上げられたばかりだった。

 そのホオリの〈殻〉は、ムスペルヘイムと同等の広さを持っているわけではない。

 ホオリも身の程を知っているということだ。

 スルトと同じだけの領土を作ったところで、たちまち周囲から攻め立てられて滅ぼされるだけだと理解しているのである。

 もっとも、たとえ身の程を理解したとして、ホオリの〈殻〉が長持ちするとは思えないのだが。

 ともかく、死骸である。

 大量の魔晶体が、だだっ広い荒野を埋め尽くさんばかりに横たわっているのだ。魔素の抜けきった、ただの抜け殻たち。

 実験材料にもならなければ、研究素材にもならない、利用価値のない塵屑ごみくずばかりだ。

 そんな塵芥《ちりあkた》が山のように積み上がっていたり、散らばっていたり、とにかく、この戦場跡を塗り潰すようにして埋め尽くしているのである。

「鬼級幻魔って、どうして領土を欲するんだろう」

「鬼級のきみがいうかな」

「ぼくにはわからないから」

「だれよりも欲深いきみがわからないことが、おれにわかるわけないだろう」

「ぼくの〈強欲〉は、そこにはないからね」

 空白地帯を死の一色に染め上げる死骸の数々を踏み越えながら、マモンはいった。アザゼルが苦笑する声を聞きつつも、彼の目は、バアル・ゼブルの捜索に費やされている。

「ふと、思ったんだけど」

「はて?」

「アザゼルの〈嫉妬〉は、どこにあるのかな?」

「さて……」

 アザゼルは、考え込む素振りをしながら、周囲に魔力を行き渡らせ、死骸の山を吹き飛ばした。もはや命の欠片も宿っていない魔晶体の数々が空高く浮き上がり、粉々に砕け散っていく様は、見ようによっては儚いものなのかもしれない。

 マモンには全く理解できない感情だったし、無関係な幻魔たちの死骸がどうなろうと知ったことではないが。

「どこにあるんだろうね」

「知らないの?」

「知らないなあ」

「ふうん……」

「あら、興味なさそうだな」

「まだ、バアルのほうが興味あるかな」

「うん、まあ、そういうと思ったよ」

「だろうね」

 適当に相槌あいづちを打ちながら、マモンもアザゼルの真似をした。機械の触手を伸ばし、死骸の山を吹き飛ばしたのである。

 もしかすると、バアル・ゼブルの残骸が埋まっている可能性があると考えたのだ。

 バアル・ゼブルの信号が感知できなくなったのは、オロチが覚醒した直後からだという。オロチの暴走とも取れる大魔法の炸裂が、バアル・ゼブルの信号を掻き消したのだ、と。

 そして、そのまま感知できなくなってしまったのは、竜級の絶大な魔力の影響下にあるからではないか、というのが、サタンの推察すいさつであり、その事実を確認するためにこそ、マモンたちがここにいるのだが。

「きみってさ」

「うん?」

「おれのこと嫌いでしょ」

「うん」

「はっきりいうなあ。傷ついちゃうよ、おれ」

「勝手に傷ついていなよ……っと」

 マモンが、アザゼルの空疎くうそな言葉に反応するのも面倒になっていたちょうどそのときだった。

 左前方の死骸の山がわずかに動いたのを彼は見逃さなかった。

 ガルムやカソの死骸が無数に折り重なったその隙間からなにやら細長いものが突き出してきたかと思えば、それはガルムの頭を握り潰した。細くしなやかな灰色の腕。

 バアル・ゼブルの右腕。

 次に左腕がカソの胴体をぐしゃぐしゃにし、周囲の全ての死骸に赤黒い亀裂が走った。縦横無尽に走り回る無数の亀裂が、大口を開けるように拡大し、なにもかもを飲み込んでいく。

 死骸という死骸を、魔素という魔素を。

 この地に満ちた死そのものを呑み喰らうかのように。

 そして、戦場跡から全ての幻魔の死骸が消え去り、魔素異常地帯すらも消え失せると、一体の悪魔がそこに現れたのである。

「やっぱり、死んでなかったね」

「そりゃそうだ」

 アザゼルがマモンの発言に呆れつつも、それが出現する光景を目に焼き付けていた。

 それは、以前のバアル・ゼブルとは、まるで異なる印象を与えるものだった。

 人間でいえば、少年のような姿をしたままであることに違いはない。だが、頭上の黒環は、ついに完成したかのようであり、まるで王冠のようだった。黒く禍々しい王冠。 さらに六つの目を持っている。虚空に刻まれた赤黒い亀裂。それが彼の複眼なのだ。

 その上で本体の頭部に二つの目を持ち、それもまた、赤黒く輝いている。

 灰色の魔晶体を覆うのは、黒と金が入り交じった衣であり、背中からは四枚の透明なはねが生えていた。翅の表面に巨大な髑髏どくろの模様が浮かんでいるのは、変わらない。

 彼は、マモンたちを一瞥いちべつすると、静かに告げた。

「ベルゼブブ」

 それが彼の、バアル、バアル・ゼブルに続く、新たな――そして最後の名。


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