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第七百八十三話 竜は眠る

 オロチは、眠っている。

 この大きく深い穴の底の底に長大な巨躯きょくを、幾重いくえもの輪を描くようにして横たえている。それがさながらこの領域の外壁のように聳えており、〈クリファ〉の結界を護るようですらあった。

 そのこの上なく巨大な頭部の鼻先に、二体の鬼級幻魔がいる。

 オトヒメとマルファスである。

 幻魔たちは、神威かむいたちが降りてくるのを待っていた。

 マルファスは、いままでとなにひとつ変わらない仏頂面ぶっちょうづらだが、オトヒメの顔には、神威たちに対する特別な感情が現れているように見受けられた。

 とても幻魔が人間に向けるような眼差しではなかったし、表情ではないように思われた。

 少なくとも、神威たちは、そのように感じたのだ。

「戦いが終わったばかりだというに、ここまで御足労ごそくろういただいたこと、誠に申し訳なく思います。しかし、事情が事情でございますので、何分、早いほうがよろしいかと」

「いや、大したことではない。我々としても、オロチの様子をこの目で確認したかったというのもあるしな」

 神威は、うやうやしくも丁重に頭を下げてきたオトヒメに対し、どのような態度で接するべきなのかと考えつつ、いった。

 立場としては対等だが、しかし、力の上では、鬼級のほうが人間を遥かに陵駕りょうがしている。

 オトヒメが突如として怒り狂うようなことはないだろうが、しかし、慎重に期してしかるべきだろう。

 神威が、鬼級幻魔に殺されることなどないのだとしても、だ。

 神威は、安易あんいに力を使えない。わずかでも力を発揮すれば、それだけで壊滅的な災害の呼び水となりかねないのだ。

 ブルードラゴンの。

 だから、神威は、率先して戦うことができないまま、この数十年を過ごしてきた、というわけである。

 これだけの力を内に秘めながら、隠し続けてこなければならなかった。

 幻想空間ならばまだしも、現実世界では発揮できないのが、神威の力なのだ。

 今、神威に飛行魔法を使わうことができているのは、竜の力がわずかにも残っているからであり、これが尽きれば、彼が自発的に魔法を使うことはなくなるだろう。

「事情とは?」

「見てのとおり、以前の龍宮りゅうぐうはオロチ様の御力おちからの前に滅び去ってしまいました。しかし、オロチ様は、ここに眠られている。であれば、もう一度龍宮を作るのがわたくしの役目であり、使命です」

「オトヒメの〈殻〉そのものは今もこうして存在しているが、都市としての龍宮は一から作り直しとなる。この深さを利用するのだ。なにものも簡単には近づけないほどの鉄壁の要塞をな」

「今度こそ、オロチ様の安らかな眠りを護るためには、以前にも増して堅牢な〈殻〉を、強固な龍宮を作りたいのです」

「ふむ……」

 神威は、オトヒメたちの事情を理解して、オロチに目を遣った。

 蛇とも鰐とも付かない異形の頭部は、確かに安らかな寝顔をしている。

 ただ眠っているだけではない。

 いわゆる休眠状態なのは、誰の目にも明らかだ。活性化した際のオロチが放出した莫大な星神力を目の当たりにしたものたちからすれば、その違いも一目でわかるというものだ。

 いまもなお、オロチの残留魔素がこの龍宮上空に渦を巻き、魔素異常地帯を形成している。

 竜級幻魔は、ただ活動するだけで周囲に害をもたらす。

 故にこそ、多くの竜は眠りにつくのではないか。みずからの意志で力を封じ込め、休眠状態となって、動態魔素を静態魔素へと変容させることができるのは、それだけの力を持つ存在だからだ。

 まさに神の如き力であり、奇跡のような事象じしょうなのである。

 いままさに大地の魔素と溶け合っているのであろうオロチの眠り顔は、穏やかだ。眉間が大きく陥没しているのが、少し不格好だが、こればかりはどうしようもない。

 神威が殴りつけた痕であり、それもまた、竜気によるものだからこそだ。そして、治さないまま、休眠状態に入ってしまったから、自然治癒すら起こらない。

「まあ……そうだな。我々としても、龍宮との交流をしようなどとは思わない。人間と幻魔は、相容れない存在だ。そのことは、この戦いを経て、さらに深く理解できた」

「そうですか。わたくしとしては、皆様方との結びつきを深め、手を取り合いたいのですが」

「それは不可能だな」

「……仕方がありませんね。神威様の仰られる通り、幻魔と人間は、根本からして異なる生き物です。根本が異なるということは、その考え方、生き方、在り方、その全てが異なるということ。幻魔が人間を理解しがたいように、人間もまた、幻魔を理解することはできないのでしょう」

 実に残念そうな表情のオトヒメだったが、神威には、その断絶を埋めようという気分にはならかった。

 オトヒメとは、話し合うことができるだろう。オトヒメならば、神威たちの言葉に耳を傾けてくれるかもしれない。しかし、それ以外の幻魔は、どうか。オトヒメ配下の幻魔たちも、人間との共同戦線を快く想っていなかったのは確かだ。それでもオトヒメの、殻主の命令だから仕方なく従っていただけのことなのだ。

 この戦いで龍宮に属する幻魔が大量に命を落とした。

 その結果によって、龍宮の幻魔たちが、人間に対する敵愾心をさらに深めたとしてもおかしくはない。

「今回協力したのは、オロチの目覚めが、央都にとって、人類にとって最悪の結果になる可能性があったからだ。それ以上でもそれ以下でもない。我々としては、これから先、このようなことが二度と起きないことを望むだけだ」

「それは、わたくしたちも同じ気持ちです。オロチ様の安眠を妨害されるようなことは、あってはならないのです。オロチ様は、ただ、眠られているだけではありません。その絶大な力がこの地球を破壊しかねないからこそ、眠っておられるのですから」

 オトヒメは、オロチの顔を仰ぎ見て、目を細めた。健やかな眠りについたオロチの表情は、穏和そのものであり、怒り狂って暴れ回っていたときとは全く異なるものだ。

 そして、それでこそ、オロチなのだ、と彼女は思う。

 それから、神威たちに視線を戻す。

「本当に……感謝しているのですよ、神威様、皆様。あなた方の御助力があればこそ、スルトの脅威は去り、オロチ様も再び眠りにつくことができました。マルファスに聞きましたが、スルトは滅び去ったとのこと。これでしばらくは、龍宮が脅威に曝されることはないでしょうし、皆様方もまた、オロチ様の目覚めに怯えることもありませんね」

「そうだ。スルトは滅び去った。ホオリは取り逃したが……問題はあるまい」

「ああ」

 マルファスが、神威の言に小さくうなずいた。

 ホオリは、スルトがその勢力を急激に拡大させることになった最大の要因だが、スルトが滅び去り、その後ろ盾を失ったとあれば、新たに作った己の〈殻〉に籠もるのが精一杯ではないだろうか。

 そして、ホオリの〈殻〉は、元スルト軍の幻魔たちの受け入れ先として機能するだろうが、だからといって、大勢力には至るまい。

 元スルト軍の幻魔たちが、スルトとともに敗れ去ったホオリよりも別の鬼級幻魔を頼みにするとしても、なんら不思議ではない。

 一つ確かなことは、龍宮近隣の勢力図が大きく動くだろうということであり、その争いには龍宮が巻き込まれることはないだろう、ということだ。

 オロチの暴走は、近隣の〈殻〉にも、鬼級幻魔たちにも衝撃を与えたはずである。

 龍宮に攻め込めば、仮にオトヒメを斃せたとしても、オロチによって討ち滅ぼされるのである。

 そのような最悪の事態だけは避けようとするはずだ。

 オロチの存在が、近隣の〈殻〉への圧力として、防壁として、抑止力として機能するようになったのは、結局、オロチが暴れ回り、その絶大な力を披露したからにほかならない。

 もし、スルトが滅び去っただけで戦いが終わったのであれば、龍宮は今後も脅威に曝され続けることになっただろう。

 マルファスは、傷ひとつないオトヒメの背中を見て、神威を見た。

 オトヒメが、口を開く。

「神威様は何者なのです?」

「おれはただの人間だ――と、いいたいところだが、まあ、色々あってな。ただの人間ではない。竜級幻魔に寄生された、半人半魔の怪物だよ」

 神威がそのように告げると、星将たちが彼を見て、オトヒメも半開きの口に手を当てた。

「まあ……」

「竜級幻魔に寄生された人間……だと」

 マルファスも驚愕するしかなかったが、しかし、現実に神威がオロチを殴り飛ばす瞬間を目の当たりにしたのだから、疑問にはならない。

 神威が、竜級幻魔と同等の力を持った、いわば竜級魔法士だということは、確かな事実なのだ。


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