第七十七話 最幸にして多望なる刻(一)
対抗戦決勝大会の最優秀選手賞は、例年一人だけしか選ばれないものだ。
それも、優勝校から一人、というのがお決まりだった。
だれかが決めたわけでもなく、自然とそういう形になっていったことであり、明確な規準があるわけでもないという話だった。
二日間に及ぶ決勝大会の全日程を終えた後、運営委員会によって全ての競技、全ての試合を振り返り、選手たちの活躍を見返した上で決定されるのだが、大抵は、優勝校の選手たちの活躍に焦点が当てられ、選出されてきていた。
それはそうだろう。
優勝校が最も優秀だったからこそ、決勝大会の頂点に立ったのだ。だからこそ、優勝校の選手の中から、最優秀選手が選ばれるという暗黙の了解が生まれたのだとしても、なんら不思議なことではない。
そのことを疑問視する声などどこにもなかった。
優勝校以外の学校から余程大活躍した選手が出なければ、疑念を持たれることも、反感を買うこともないのだ。
そして、これまでの対抗戦の歴史の中で、そうした事例は起きなかった。
ただ、優勝校の中から選ぶとすれば誰が最も優秀なのか、ということに関しては、様々な話題となり、論争となったこともあった。
だからといって、そんなことで大きな問題が起こるはずもなかったのだが。
さて、今大会の最優秀選手賞である。
対抗戦運営委員長の伊佐那麒麟が突如として二名の選出を表明したことにより、会場中が沸きに沸いた。
「一人目は、天燎高校から、皆代幸多くん」
麒麟の凜とした声が、競技場中に響き渡る。一瞬、静まり返った場内は、数秒の後、その沈黙が幻覚だったかのように沸き上がった。どよめきが歓声に変わり、喝采の拍手が響き渡る。
「へ? ぼく?」
幸多は、混乱した。法子が想定していたとはいえ、幸多にとってはまったくもって予期せぬ事態だったからだ。
「おう、いってこい!」
圭悟に背中を叩かれて、幸多は、数歩前に出た。運営委員が、幸多を表彰台に招いている。背後から法子が声を変えてきた。
「胸を張りたまえ、皆代幸多。天燎高校対抗戦部の主将にして、最優秀選手なのだ。格好悪い姿を見せるなよ」
「そうそう、いつも通り、格好良い姿を見せて頂戴」
「うんうん、幸多くんはいつも格好いいんだからさ」
法子の他、雷智や真弥が励ましてくれたので、幸多は、多少、混乱から立ち直ることができた。顔を上げ、背筋を伸ばし、前を見る。
緊張感が凄まじかったし、全身汗だくだったが、しかし、想像していた以上に真っ直ぐに歩くことができた。
幸多が表彰台に向かっていると、麒麟がさらなる発表を行った。
「二人目は、叢雲高校、草薙真くん」
これには、会場にさらなるどよめきが広がった。
予期せぬ発表だったことは疑いようがなかったが、同時に、草薙真がそれに値する選手であり、活躍を果たしたということは誰の目にも明らかだった。
驚いているのは、なにも観客ばかりではない。
叢雲高校対抗戦部の先頭に立つ草薙真も、麒麟の発表を聞いた瞬間、頭の中が真っ白になった。
彼は、麒麟が、運営委員長が、いったいなにをいったのか、一瞬、わからなくなった。自分の名前が呼ばれた気がしたが、そんなことがあるわけがないと一蹴する。ありえないことだ。あるはずがない。
なぜならば、対抗戦の歴史上、最優秀選手賞は、優勝校の選手からしか選ばれなかったからだ。
叢雲高校は、惜しくも敗れ去った。が、二位は二位だ。一位とは、優勝とは、なにもかもがまるで違う。
優勝校は、決勝大会から半年以上はなにかと話題になる。二位以下の高校が、そうした話題に出ることは、ほとんどない。どれだけ活躍しても、優勝と二位ではわけが違うのだ。
あらゆる面で。
だから、二人目とはいえ、最優秀選手賞に自分が選ばれるなどありえない、と、草薙真は断じるのだが、しかし、周囲の目線が己に集中しているという事実に気づかされる。
「兄さん」
真後ろに並んでいた草薙実が、微動だにしない兄を心配して、声を掛けた。実の目には、兄がふて腐れているように見えて仕方がなかったからだ。
「あ、ああ……」
「呼ばれてるよ、最優秀選手賞だって」
実の声がいつになく弾んでいることで、真は、自分が幻聴を聞いたわけではないと知った。実は、いつだって現実的だ。幻想に溺れそうになる真を、現実に引き戻してくれるのが、実という存在なのだ。
だから、真は、実の言葉だけは聞くことができた。
見れば、運営員の女性が困ったような顔で真を見ていた。
真は、運営員に従い、表彰台に向かった。
そのときになって初めて、凄まじい熱量の拍手が自分に向けられていることに気づいた。会場に向けられた無数の携帯端末が、つぎつぎと閃光を発する。写真を撮影しているのだろうし、動画を撮っているのかもしれない。
表彰台に向かう草薙真の姿を、記録しているのだ。
真は、なんともいえない浮遊感を覚えていた。地に足がついていないとでもいうような、不思議な感覚。
こんな感覚は、生まれて初めてだった。
真が表彰台を登りきると、まず、皆代幸多と目が合った。
そういえば、と、真は思う。
幸多も最優秀選手賞に選ばれていた。
そしてそれは、真にとってはごくごく当たり前の、必然的な帰結だと思えていたし、だからこそ、一瞬にして過去のものになっていたのだ。
「今回、最優秀選手賞を二名、選出させて頂いたのは、運営委員長であるわたし自身の強い意志によるところです」
麒麟が、騒然とする会場に向かって、穏やかに説明していく。
「元来、対抗戦の最優秀選手賞は、優勝校の中から一人、最も優れた選手を選出し、表彰するというものでした。それは、最初からそう決まっていたことではありません。いつ頃からか、そのような形に定まっていったものなのです。規定などはなく、故に、全ての選手の中から選出することになんの問題もありません。とはいえ、今大会全競技全試合を通してみれば、最優秀選手賞に相応しい選手が複数名いることに気づかされます。誰もが優れた能力を持ち、傑出した実力と判断力、身体能力を持ち合わせていたのですから、当然でしょう。わたしたちは、頭を悩ませた末に、彼ら二名をこそ、最優秀選手として選出させて頂きました」
麒麟の極めて理性的な説明には、人々は感嘆の息を漏らした。そもそも麒麟や運営委員会の判断に疑問を持っているようなものはいなかったが、こうまで真摯に説明されれば、返す言葉もなかったのだ。
「優勝した天燎高校からは、主将である皆代幸多くんを選出させて頂きました」
麒麟が、運営員に手渡された表彰状と賞杯を幸多に授与する。幸多は、それらを受け取りながら、現実感のあまりのなさに茫然とする想いだった。
優勝は、目指していた。
優勝しなければならないという強迫観念もあれば、それが動力源だったし、全ての根源だった。それだけが唯一の希望といっても過言ではなかった。
だからこそ、幸多は、二ヶ月間の猛練習を戦い抜いてこられたのだ。
優勝したことそのものに疑問はないし、そのことで混乱するようなことはありえない。が、最優秀選手に自分が選ばれるなど、万に一つもあり得ないことだった。
魔法不能者だったし、なにより、自分が活躍したという感覚がなかったからだ。
「競星における逆転の一手は見事でしたし、閃球では守備において多大な活躍を果たされましたね。そして、幻闘における最後の死闘は、誰もが度肝を抜かれるものでした。わたしも見ていてはらはらしましたよ。本当に素晴らしかった。最優秀選手に相応しい活躍ぶりでした」
「あ、ありがとうございます」
幸多は、微笑する麒麟に対し、ただ見惚れることしか出来なかった。女神のように慈愛に満ちた笑顔だった。頭の中がぼうっとしていくような、そんな感覚に包まれていく。
「もう一名は、叢雲高校の草薙真くん。叢雲高校は、今大会、惜しくも二位となってしまいましたが、草薙真くんの奮闘ぶりは、目を見張るものがありました。よって、二人目の最優秀選手賞に選ばせて頂きました」
麒麟は、運営員から表彰状と賞杯を受け取ると、草薙真に向き直った。銀鼠色の髪の少年は、まっすぐに麒麟を見つめていた。群青の瞳が輝いている。
「主将として叢雲高校を牽引してきただけでなく、閃球での大活躍ぶりは、歴史に名を刻むほどのものでしたね。全ての試合で得点を上げただけでなく、決勝大会の史上最多得点を更新しました。これは本当にとてつもないことです」
真は、麒麟の賞賛を聞きながら、まさに夢心地という気分だった。興奮とか昂揚感とか、とにかく、そういった言葉では言い表せられないような感覚が、真の意識を塗り潰していた。
幻闘で皆代幸多に敗れて以来、自分の中でなにかが起きていて、それがどうやら不快なものではないらしいということが、不思議だった。
「そして、幻闘。きみが見せた擬似召喚魔法は、誰もが簡単に使えるものではありません。ましてや、訓練したからといって一朝一夕で身につくものでもない。きみの類い希な才能と、その才能にあぐらをかかず、日夜鍛錬と研鑽を怠らなかったからこそ、あれだけ高度な魔法を使うことができたのでしょう。きみほどの才能を持つ魔法士はそうはいません。ですから、わたしはきみを最優秀選手に選出したのですよ」
「麒麟様が……?」
真は、思わず麒麟の名を口にしたが、その声は大袈裟ではなく震えていた。麒麟から手渡された表彰状と賞杯を受け取る手も、震えが止まらなかった。その震える手を麒麟が包み込むように触れる。
「だいじょうぶですか?」
「だ、だいじょうぶ、です……!」
真は、そんなありふれた返事をすることしかできなかった。
歓喜が、あった。
それは、真のこれまでの人生の中で一番の喜びだったかもしれない。
あの伊佐那麒麟が、戦団の女神が、草薙真にとっての原点が、自分を認め、選んでくれたのだ。これほどの喜びが今までの人生にあるはずもなければ、これからの人生にも存在しないのではないか、と思えてならなかった。
しかも、麒麟は、昔と変わらなかった。我が儘な子供に過ぎない自分に寄り添うようにして、手を取り、包み込んでくれたのだ。
まるで女神そのものだ。
だから、真は、戦団に入りたかった。
あの日、十年以上の昔、まだまだ幼かった真を幻魔災害から救ってくれたただ一人の英雄、それがいま目の前にいる伊佐那麒麟なのだ。
禍々しくも圧倒的な妖級幻魔を一蹴する麒麟の姿は、戦乙女のそれであり、傷だらけの手を包み込んでくれたときの表情は、女神のそれだった。
それが、真にとっての原風景だ。
「こちらへ」
運営員の案内の声によって、はっと我に返った真は、既に伊佐那麒麟が別の方向を向いていることに気づいて、少しばかり無念だった。
だが、もはや昂揚しきった気分が落ちることはない。
不意に幸多と目が合った。どうやら彼は、真のことが気にかかっていたようであり、真は、そんな彼のお人好しぶりに苦笑したくなった。
(おれはきみを、きみの兄弟を悪くいっていたんだぞ)
声に出していいたかったが、さすがに場所を弁え、なにもいわなかった。
真と幸多が表彰台を降りれば、優秀選手賞の発表が行われた。
優秀選手賞は、複数名選出された。
天燎高校の黒木法子、星桜高校の菖蒲坂隆司、天神高校の金田朝子、御影高校の金田友美の四名であり、それぞれ伊佐那麒麟から表彰状と賞杯が手渡された。
表彰式が終われば、閉会式だ。
閉会の挨拶は、そのまま、運営委員長である伊佐那麒麟が行うことになっていた。
「うちから最優秀選手と優秀選手が出るなんてなあ」
圭悟が幸多にもたれかかるようにしながらいってきたものだから、幸多は、その上半身を押し退けながら言い返す。
「優勝校から最優秀選手が出るのは当たり前でしょ」
「まあな」
「そして、わたしが優秀選手に選ばれるのは、道理だ」
「最優秀選手でもおかしくありませんでしたが」
「そこは時の運だ。たとえば、幻闘でわたしが勝利を決めていたのであれば、紛れもなくわたしが最優秀選手だったはずだよ」
「そうよねえ。幻闘での幸多くんの活躍、凄かったもの」
「皆代様々ですもんね」
「まったくだ、よくやったよ、皆代はさ」
だれもが幸多を褒める中、圭悟は居心地が悪そうな顔をした。
「誰か一人大事な人を忘れちゃあいませんかねえ」
「人を盾にする人でなしは人じゃあねえなあ」
「まったくだ」
「てめえらのおかげで勝てたんだから、感謝してるってんだろーが」
「どこに感謝のかの字があるんだ? ああ?」
「ああん? やるかおらあ」
「やってやろうじゃあねえか」
「こんなときに止めなさいよ、まったくもう!」
「冗談に決まってんだろ、いくらなんでもこんなときにだな」
「ん?」
「どうかしたんですか?」
圭悟たちがじゃれ合っている中、不意に法子が怪訝な顔を見せたものだから、幸多は不思議に思った。それまで部員たちの会話を快く聞いていたのだが。
「なんだ?」
「地鳴り?」
法子に続き、雷智までもが訝しげな顔をした。幸多には、地鳴りなど聞こえなかったし、圭悟たちも同様だ。
二人にしかわからないなにか。
そのときだった。
「会場にいる皆さん、どうか、慌てず、騒がず、その場を動かないようにしてください。これから幻魔災害が発生致しますが、なんの心配もいりません」
伊佐那麒麟の厳粛な声が、競技場の異常事態を可及的速やかに報せるようにして、響き渡った。。
「素晴らしい。素晴らしいねえ。まったくもって、素晴らしい」
彼は、遥か眼下の広大な海の片隅に浮かぶ列島、その一点を見下ろしながら、拍手していた。
満天の星空の下、彼の姿は闇に解けるようだ。暗紅色の肌に闇色の翼が、それを成す。真っ白な髪だけが星明かりを反射しているが、地上には見えまい。
遙か高空。
「アーリマンの野郎も、サタン様も、なぜにこのような状況に手を拱いているのか、おれにはまったく理解が出来ない」
彼が見ているのは、人類が再興のために作り上げた都市、その南の海上に浮かぶ人工島であり、そこに建造された競技場である。本来は銀色の球体のような形状をしているそれは、いま現在、天井部が開放されていることもあって、白銀の盃のように見えなくもなかった。
人間という種で満たされた銀の盃。
そこには六万人以上の人間が集まっていて、いまもなお熱狂の渦中にあった。
六万人の凄まじい熱狂が、魔素の奔流を生み、それらが圧倒的な熱量を帯びた意志の力によって、膨大な魔力へと変容していく光景は、彼をもってしてもうっとりするくらいに強烈なものだった。
少なくとも、彼が生まれ落ちてから、一度だって見たことのない情景だったのだ。
莫大な魔力が、人々の意思とは無関係に生み出されていく。
それは要するに、それだけの感情が渦巻いているということである。
それも正の感情が、だ。
死によって生じる負の感情、負の熱量ではない。
正の熱量。
つまり、そこには膨大な幸福があるということにほかならない。
「最幸にして多望なる刻に死ねるんだ、本望だろう」
彼は、魔力が生まれようとする渦の中心を見据えながら、囁くようにいった。
多量なる幸福に莫大なる死を。




