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第七百七十三話 目覚める

「なんだと?」

 美由理みゆりが思わず聞き返したのは、聞き間違えたのではないかと考えたからだ。

 龍宮りゅうぐうから鬼級幻魔おにきゅうげんまが二体、出てきたというのだ。

 現在、龍宮にいる鬼級幻魔は、オトヒメ一体だけだったはずだ。

 それなのに、二体、である。

 疑問が生じるのは、当然だった。

 マルファスが星将せいしょうたちの反応に怪訝けげんな顔をする。機械嫌いの幻魔には、通信機が渡されていない。

「どうした?」

「鬼級が二体、龍宮から出てきたそうだが」

「鬼級が二体?」

 マルファスは、きょを突かれたような顔をした。

 彼にとっても予期せぬ事態だった。

『一体はオトヒメですが、もう一体は……これは……』

『なんだ? いったいなんだというんだ?』

『バアル・ゼブルです!』

 情報官が告げれば、凄まじい緊張が導士たちに走った。

「バアル・ゼブルだと?」

「そんな……どうして……?」

「……ありえないことじゃなかったわ。〈七悪しちあく〉はいつだってわたしたちの邪魔をしてきたもの。こういうことが起こる可能性だって、考えておくべきだった」

 瑞葉みずはが苦虫を噛み潰したような顔でいうのだが、しかし、なにをどうしておくべきだったというのか。

 美由理たちは、南方を見遣みやった。

 戦場からは、既に大半の幻魔が姿を消している。

 霊級も獣級も、鬼級幻魔マルファスがその力を披露したことによって逃散したのである。人間相手には強気になる幻魔も、己より遥かに強大な力を持つ幻魔には立ち向かおうとはしないものだ。

 それによって、戦団の導士たちも、オトヒメ軍の生き残りたちも、ようやく戦いから解放されていた。

 それぞれが疲労困憊ひろうこんぱいといった様子でその場に座り込んだり、負傷者の救助や治療に走り回ったりしている。

 そんな中、オトヒメが姿を見せたのは、龍宮の北東部に設営された戦団本陣にである。

 神威かむいは、速やかに指揮所を出ると、オトヒメと対面した。相変わらず、おとぎ話の登場人物のような出で立ちをした女幻魔は、幻想的としか言いようがなかった。

「状況は理解しております、神威様。戦団の皆様方の御助力のおかげで、スルトの脅威が取り除かれたようで。これでオロチ様も安心して眠り続けられるのですね」

「……そうなる」

「なんとお礼を申し上げたらよいものかと、ここに来るまでの間ずっと考えていたのですが、しかし、わたくしどもは幻魔。人間の皆様方に相応しいお礼が全く思いつきませぬ。故に、こうして直接うかがうことにしたのでございます」

「なるほど」

 神威は、オトヒメのうやうやしくも丁重な言葉遣いや立ち居振る舞いに幻魔らしからぬ気遣いを感じていた。オトヒメは、人間だからといってこちらを見下すこともなければ、否定することもない。それどころか、同じ生き物であると見ている節がある。

 竜級りゅうきゅう幻魔オロチを頂点とする生態系せいたいけいに組み込まれた、同じ生物。

 故に、平等びょうどうであり、分け隔てがない。

 それは、いい。

「お気遣いは感謝するが、礼など必要はない。我々は、人類の存続にとって必要なことをしたまでだ。龍宮との、あなたとの協力も、全ては人類の未来のため。それ以上でもそれ以下でもない」

「ですが……それではわたくしの気持ちが収まりませぬ。オロチ様の安眠を護ってくださったのは、事実でございましょう?」

「……結果的には、そうなるというだけのことだ」

「しかし……」

 くまで食い下がるオトヒメに対し、神威は、首を横に振った。

 彼女の気遣いぶりには頭が下がる思いだが、しかし、幻魔になにかを求めようなどとは全く思わないというのが神威だった。

 人間と幻魔の間には、断絶だんぜつがある。

 今回は、利害が一致しただけのことだ。そのために互いを利用し合っただけなのだ。

 オトヒメはオロチの安眠を護るために、戦団は、人類の安寧を護るために。

 そして、それだけで十分だった。

 そのために数多くの命が失われたが、それもいつものことではある。

 犠牲を払わなければ、前進することはできない。

「かったりーなあ、おい」

 などと、本陣内を見回しながらいってきたのは、灰色の少年だった。

 十代前半から半ばくらいの少年の姿こそしているものの、それが鬼級幻魔であり、〈七悪〉の一体であるバアル・ゼブルであることは、一目瞭然いちもくりょうぜんである。全身灰色で、ぼさぼさの頭髪、頭上にひび割れた黒い輪があり、額の上辺りに赤黒い亀裂を四つ走らせている。一方で長い前髪に隠れがちの両目には、赤黒い虹彩が禍々しく輝いており、顔つきは皮肉げに歪んでいた。

 背には、透明なはねが四枚生えていて、それらには髑髏の模様があった。

 神威は、バアル・ゼブルを睨み据える。

「……貴様」

「やあ、総長閣下。初めまして、かな。あんたは、おれ様のことを多少なりとも知ってくれているようだが、おれ様は、あんたのことを人並みにしか知らないんだよな。それって不公平だと思わないか?」

「よくいえたものだ」

 神威は、敵意に満ちた鬼級幻魔の眼差しを受け止めて、苦い顔をした。オトヒメはともかく、バアル・ゼブルは、危険だ。危険極まりない。

 故に神威は、本陣の部下たちには退避を命じており、星将たちには本陣に来るように指示を飛ばしていた。

「あら、御存知ごぞんじでしたの?」

「御存知もなにも。彼はバアル・ゼブル。人類の敵だ」

「敵?」

 きょとん、と、オトヒメ。彼女には、バアル・ゼブルの瞳に浮かぶ敵意が理解できないのかもしれない。

 同じ幻魔だ。

 幻魔には幻魔の、人間には人間の倫理があり、道徳があり、価値観がある。

 故に、断絶がある。

 その断絶こそが、いままさに神威の眼前に具体的な形となって現れていた。

 バアル・ゼブル。

「なぜ、ここにいる?」

「あー……話せば長くなるんだが、おれ様はさ、強くならないといけないと思ったわけだ。あんたらがいうマモン事変のおかげでこんな姿にされちまってよ」

「マモン事変に関わっていたというのか?」

「関わっちゃいねえ。いねえけど、なんか巻き添えを食らっちまったのさ」

 バアル・ゼブルは、あっけらかんとした調子でいってきたが、神威にはなんのことだかさっぱりわからない。

 ただ、マモン事変となにかしら関連があって、サタンに大目玉を食らったらしいということはわかる。

 それがなにを意味するのかはまるで理解できないが。

「で、アーサーに喧嘩を売りに行った」

「アーサー?」

「話ぐらいは聞いたことがあるんじゃないか? 幻魔大帝エベルの腹心だった騎士王アーサーだよ。けどまあ、こてんぱんにやられちまったってわけだ。その部下に、な」

 バアル・ゼブルは、首筋を撫でるようにした。

 アーサー配下の鬼級幻魔クー・フーリンの槍に切り取られたあとが、いまも疼くような気がした。そんなことはありえないのだが。

「その部下がクー・フーリンっていう幻魔なんだが、そいつがおれ様たちの様子を探りに南下してきたわけだ。そんで、この戦場を目の当たりにした。人間と幻魔の混成軍が、幻魔の大軍勢と激突する様を見て、なにか感じるものでもあったらしい。おれ様を放り捨てて、どっかに行っちまったよ。報告に戻ったのか、はたまた、央都おうとに向かったのかは知らねえが」

「なんだと?」

「そして、おれ様はオトヒメ様に助けて頂いたわけで、そのお礼をしようと、ここに来るまで考えていたんだ」

「まあ、お礼だなんて、そんな――」

 オトヒメは、バアル・ゼブルがそのような気遣いをしてくれるとは想像していなかったこともあり、彼を見て、微笑みかけた。同時に衝撃が、胸を貫く。

「これが、おれ様なりのお礼ってわけ」

「そ、んな――」

 オトヒメが愕然と目を見開いたときには、その視界は闇に飲まれていた。

 オトヒメの胸を貫いたバアル・ゼブルの右手は、紫黒に輝く結晶体――魔晶核ましょうかくを握り締めていた。そして、そのまま握り潰して見せると、オトヒメの魔晶体から魔素が流出していく。その膨大な魔素は、突如虚空に穿たれた穴に吸い込まれていった。

 バアル・ゼブルの空間魔法。

「バアル・ゼブル!」

「鬼級を一体殺してやったんだぜ。素直に喜べよ、人類!」

 バアル・ゼブルが嘲笑ちょうしょうした瞬間、神威は、眼帯に触れた。眼帯の奥に物凄まじい激痛が生じたのだ。その痛みは一瞬にして全身をさいなみ、全神経をむしばんだ。肉体そのものが崩壊するのではないかと思うほどの痛みに立っていられなくなって膝を突くと、大地が揺れるのを感じた。

 目眩めまいなどではない。

 世界が揺れている。

「馬鹿なことを……」

 神威は、バアル・ゼブルがオトヒメの魔晶体すらも喰らう瞬間を目の当たりにして、その遥か後方に巨大な光が立ち昇るのを見た。

「ああ……!」

「はっははっはははっ……!」

 失意の声を上げる神威の目の前で、バアル・ゼブルは、歓声を上げていた。

 竜が目覚め、天地を震撼しんかんさせるほどの咆哮を発したのだ。


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