第七百六十七話 命が燃える(六)
「どいつもこいつも遠慮ってもんを知らねえのかよ!」
真白が怒鳴り散らしたが、当然、幻魔たちが怯んだりするはずもない。
獣級幻魔ガルム、オルトロス、ケルベロスが地上を追いかけてきており、空中には霊級幻魔オニビとサラマンダーが群れをなしていた。妖級幻魔イフリートの姿も、後方に見受けられる。
いや、前方にも、だ。
多数の幻魔たちが、真星小隊に向かって移動し始めている。
「そりゃ幻魔だもん、人間なんて放っておくわけないよ……」
黒乃は、幻魔の群れにびくびくとしながらも、しかし、不安が形となって現れている現状にこそ、安心していた。本当に恐ろしいのは目に見えない脅威であり、目に見えている以上、多少なりとも落ち着けるというものだ。
幸多は、止まらない。
美零に指示されるまま、蒼焔原野を駆け抜けていく。
幻魔たちの咆哮が魔法となって降り注ぐが、真白が鉄壁の防型魔法を維持している限りは、なんの心配もいらない。そして、真白が防型魔法に集中できるようにこそ、幸多は、このような移動方法を取ったのだ。
美零には目的地への誘導を、真白には防御を、黒乃には攻撃を、と、それぞれの役割に全神経を集中させるには、幸多が移動手段になるのが一番だった。
美零と真白の飛行魔法に分乗するという方法もあったが、それでは、美零はともかく、真白が防御に集中できないという問題がある。
しかも四人一カ所に纏まっているほうが、真白としてもやりやすいに違いなかった。
事実、真白の魔法壁は、より強固で堅牢なものとなり、妖級幻魔の攻撃魔法すらも弾き返していた。
幸多の考えは、見事に的中したのだ。
そうするうちに、風景が変わった。
蒼く燃え盛る大地から、紫色の炎に包まれた領域へと、真星小隊一同は突っ込んでいったのだ。
「ここが紫焔回廊か」
「本当、なにもかも紫色だ……」
「もう少し、もう少しだよ、隊長」
「うん、任せて」
幸多は、三人を振り落とさないように千手でしっかりと掴みながら、まさに回廊というべき構造物の中へと足を踏み入れた。
紫焔回廊は、緋焔峡谷、蒼焔原野とは大きく雰囲気の異なる領域だった。回廊と名付けられた通りに幻魔建築の廊下のような道が続いており、それが複雑に入り組み、迷宮染みた構造をしているようだった。
そして、回廊の様々な箇所から紫色の炎が噴き出し、火柱となって聳えている様は、これまでの領域とほとんど同じだ。
炎の色が変わっているだけでなく、魔素の濃度も上がっているということだが、幸多には、ほとんど理解できなかったし、どうでもいいことだった。
竜級幻魔ほどの魔素質量でもなければ、致命的な状態にはならないということがわかったのだ。
安心して、〈殻〉の中心地を駆け抜けていくことができる。
「まるで迷路だな、こりゃ」
「追いかけてくる連中はともかく、前を塞がれたら厄介だな」
「だってさ。黒乃、前方に集中しとけよ」
「う、うん……!」
「そこを右!」
「わかった!」
美零に指示されるまま、幸多は、前方の十字路を右に折れ曲がった。
紫焔回廊は、複雑に入り組んだ通路である。道幅は幻魔に合わせてだろう、極めて広く、戦闘が繰り広げられることになったとしても問題はなさそうだった。
そうはいっても、後方からの追っ手を躱し続けている現状、前方に立ちはだかられるようなことがあれば、問題なのは間違いない。
そして、右に折れ曲がった瞬間だった。
「うおっ!?」
「大破壊!」
眼前にイフリートの巨躯が立ちはだかったものだから、真白が思わず声を上げた瞬間、黒乃が最大威力の攻型魔法を発動させると、暗黒の破壊の渦が炎魔人の巨体を飲み込んだ。
凄まじいとしかいいようのない破壊の渦が猛威を振るう中、幸多は、イフリートの足の間を駆け抜けて見せると、前方にガルムの群れを確認し、千手が手にした飛電改を連射した。
弾丸の炸裂とともに拡散する煙幕が、ガルムの群れを一時的に混乱させる。まさに一時凌ぎに過ぎないのだが、いまはそれで十分だった。
幻魔の群れの真っ只中を通り抜ければ、追っ手も煙に巻くことに成功する。
「ひゅー」
真白が口笛を吹きながら、煙幕の中で敵を見失った幻魔たちを見ていた。
幸多の判断が、冴えまくっている。
さすがは隊長に仰いだ導士だ、と、真白はその後ろ姿を一瞥した。頼もしいことこの上ない。
またしても頭上から火の雨が降ってきたかと思うと、それらは火の玉となって落下してきたオンモラキの群れであった。オンモラキは、下位獣級幻魔だ。まるで羽毛をむしり取られた鶏のような姿をしていることから、同様の姿で伝えられる妖怪の名がつけられている。
オンモラキは、真星小隊を取り囲もうとしたが、幸多は有無を言わさずに駆け抜けることで突破すると、後方に向けて銃撃を乱射した。そこへ黒乃の攻型魔法が叩き込まれたため、何体ものオンモラキが絶命したことだろう。
美零は、そんな仲間たちの活躍ぶりに興奮しつつも、その真眼だけは光らせている。
「次は左……そこを真っ直ぐ、そう、その道だよ」
「地下か?」
「ぽいね」
「そりゃあまあ、そうか。殻石って心臓だもんな」
「でも、だとしたら、こんなわかりやすい通路を作るものなのかな?」
「スルトの本来の〈殻〉は、いまは黒焔の玉座と呼ばれている一帯だけだった。そうよね?」
「マルファスの話じゃな」
「それが急速に拡大したのが近年という話だったし、それまでは龍宮にとっては、脅威どころか、眼中にすらなかった」
美零が語っているのは、マルファスから教えられたスルトに関する情報である。
スルトは、本当に小さな〈殻〉の殻主に過ぎなかったという。龍宮よりも遥かに小さな〈殻〉は、龍宮にとって脅威になどなりようがなかったし、そもそも、戦端が開かれる可能性すらなかったという。
ムスペルヘイムが他の〈殻〉に攻め滅ぼされる可能性のほうが、遥かに高かったのだ、と。
しかし、そうはならなかった。
スルトは、その圧倒的な力で近隣の〈殻〉を攻め滅ぼし、漆黒の猛火で飲み込んでいった。大地を薙ぎ払い、天空を灼き尽くし――全てを炎で包み込んでいったのだ。
スルトに敗れた鬼級幻魔の大半が、臣従を拒否し、絶命した。
スルトに降ったのは、ホオリが最初であるという。そして、それによって圧倒的な戦力を得たスルトは、瞬く間に〈殻〉の拡大に成功する。
やがてアグニをも従えると、ムスペルヘイムは、当初の十倍以上の領土を持つ大規模な〈殻〉へと変貌を遂げたのだ。
「〈殻〉の急速な拡大に従い、戦力も増大した。一千万もの幻魔がスルトに支配されているっていう話だったしね。殻印付きの幻魔たちは、殻主に絶対の忠誠を誓うというけれど、それでも警戒せずにはいられなかったんじゃないかな」
「つまり、スルトは殻石の位置を転々とさせている?」
「たぶん、そうだと思う。じゃなかったら、黒焔の玉座にあると思うもの」
「鬼級が二体、配下にいるもんな。いくら殻印つきとはいっても、完全に信用できるかは怪しいぜ」
「鬼級は領土的野心の塊だって話だもんね……」
そして、領土的野心を持たない鬼級幻魔オトヒメは、極めて稀有な存在である、とは、マルファスの言であり、実際にその通りなのだろうが。
だとすれば、スルトがホオリやアグニを配下に置きながら、決して信用せず、殻石の安置所を〈殻〉の各所に転々とさせているのだとしても、納得が行くというものだ。
前方に見えてきた通路を降り、地下へと降りていく。
地下への坂道は、暗くはなかった。
壁に灯された紫の炎が、ほのかに闇を照らしていたからだ。
 




