第七百六十六話 命が燃える(五)
『真眼は、魔素の実体を捉えることのできる第三因子です。伊佐那美咲に発現したこの異能は、魔法の発展にも大きく寄与しました。魔素が静態魔素と動態魔素に分類できることが判明したのも、真眼があればこそです』
麒麟が、深く静かに説明するのは、そうでもしなければやっていられなかったからではないか。
義一は、麒麟に誘われて戦団本部中枢最深区画へと足を踏み入れたのは、そのときが初めてだった。
中枢深層区画の存在はとっくに知っていて、三女神とも直接対面し、会話もしている。女神たちの個性的な様子には、義一は無論のこと、美零も度肝を抜かれたものだったし、美零の存在を見抜かれたことにも驚愕したものだ。
中枢最深区画は、中枢深層区画のさらに地下深くに存在する。
まさに戦団本部の最深部というべき領域であり、当然ながら特別な許可なく立ち入ることのできない場所だ。
存在自体知っているもののほうが少ない。
戦団における最重要機密が、そこにあった。
『そして、真眼があればこそ、わたしたちはリリスを打倒することができた。央都の、人類生存圏の礎を築き上げることができた』
中枢最深区画の広大な空間は、神々《こうごう》しくも青白い光に満たされていた。
光の中心には、巨大な結晶体が浮かんでおり、その結晶体こそが莫大な光を発生させていることは一目でわかった。そして、その巨大な結晶体こそが、麒麟が義一に見せようとしたものであることも、だ。
『これが霊石ですよ』
麒麟は、告げた。
『義一。あなたには、視てわかるでしょう。あれがなんであるか。霊石がなにを以て構成されているのか、その実像が、あなたの眼にも視えるはずです。あなたは真眼の持ち主であり、わたしの後継者なのですから』
『はい』
霊石が発する光が一体なんであり、なぜ常にこれほどの光を放っているのか、そして、その光がこの閉鎖された地下空間だけでなく、地上へと至っているのか。
義一には、全てが理解できていたし、彼の意識の内側から視ていた彼女にも、手に取るようにわかったものである――。
「ひゅー」
真白が思わず口笛を鳴らしたのは、視界を流れゆく蒼焔原野の景色に対してであり、追い縋ろうとする幻魔の群れに対してであった。
獣級幻魔ガルムの群れが、真星小隊を追いかけてきているのだ。
「最初からこうすりゃ良かったんじゃねえの」
「潜入任務だよ。見つかるわけにはいかないってなったら、慎重になるでしょ」
「でもよお」
真白は幸多の反論に食い下がりつつ、飛電改の銃撃がガルムの群れを蹴散らす様を見ていた。真白は、防型魔法の維持に全力を注いでおり、美零は、目的地への進路を示す必要がある以上、幻魔を攻撃する役割は、攻手の二人が担わなければならない。
だが、幸多は、移動手段でもあった。
故に黒乃こそが主力であり、黒乃の破壊力抜群の攻型魔法こそ頼りなのだが、やはり、魔法の発動にはそれなりの時間が必要だ。
こういう状況では、撃式武器が役に立った。
後ろに目を付けることなどできるわけもなく、でたらめに撃ちまくっているだけだが、しかし、牽制としては十二分に役に立っている。
何発かはガルムに直撃し、魔炎狼が怒号を発した。
幻魔の周囲に律像が展開し、火球となって飛来するも、それは真白の魔法壁が防いで見せた。そして、
「破流旋!」
黒乃の魔法が完成し、破壊的な魔力の奔流がいまにも真星小隊に追い縋ろうとしたガルムの集団を薙ぎ払って見せた。
超強力な攻型魔法だ。ガルムたちの魔晶体は粉々に破壊され、大半が復元までに多少の時間を必要とし、何体かは魔晶核に致命傷を受けて絶命したようだった。
ガルムの群れとの距離が、あっという間に開いていく。
「このまま真っ直ぐだよ」
美零は、蒼く燃え盛る大地のただ中を疾走する幸多の腕にしがみつくようにしながら、前方を視ている。真眼が視るのは、虚空を駆けるスルトの膨大な魔素であり、その源にこそ、殻石があるのだ。
そして、真星小隊は、いま、まさに一丸となって蒼焔原野を駆け抜けていた。
「今度は上からだぜ」
「そりゃ目立つよねえ」
幸多は、苦笑とともに真白からの警告を聞き、さらに加速した。
幸多はいま、完全武装中である。
もはや魔法士の集団となったということもあり、幸多が幻魔にとって透明な存在で在り続ける必要がなくなってしまった。隠し通すことに意味がなくなったのだ。故に闘衣・天流と鎧套・銃王弐式を装備している。
開戦時に装備した銃王弐式は、スルトの降臨によって破壊されたが、もう一着、予備の銃王弐式があったのだ。予備がなければ、武神なり護将なり別の鎧套を装備しただろうが。
その上で、脚部には全地形適応型滑走機構・縮地改を装着し、背部装甲に多目的機巧腕・千手を装備しているのである。
多目的機巧腕・千手とは、縮地改と同じく鎧套の機能拡張装備の一つだ。
その名の通り、様々な用途を想定して作られた機械の腕であり、幸多の頭脳と神経接続を行っているため、思うまま、自由に動かすことができるようになっている。
超技術の塊である四本の腕は、人間の腕を模してこそいるものの、人間のそれよりも関節が多く、そのため、かなり自由に動かすことができた。
千手というよりは阿修羅ではないか、という幸多の疑問に対し、イリアは笑ったものである。
『明日良くんの阿修羅から着想を得たのよね』
天空地明日良の星象現界・阿修羅については、幸多も記録映像を見て知っている。
確かに、千手を展開中の鎧套は、星象現界・阿修羅のようだ。
四本の腕のうち、三本は、美零、真白、黒乃を抱えるために使っており、残り一本が飛電改を構えているのである。
そして、幸多自身の日本の腕は自由に使えるのだから、便利極まりない。
いまは、一本しかないが。
(とはいえ……)
千手の実戦への投入は、今回が初めてということもあって、脳にかかる負荷の大きさを改めて理解した。本来持ち得ない四本の腕が、神経接続によって脳と繋がっているのだ。四本中三本は動かす必要がないとはいっても、だ。
負荷は、増える。
こればかりは、致し方のないことだ。
幸多は、美零の指し示す方向へと全力で滑走しながら、頭上を仰いだ。
火の鳥としかいいようのない獣級幻魔が、幸多たちの遥か頭上を飛行している。スザクだ。そして、その羽撃きとともに火の雨が降ってきたが、これには真白の魔法壁が対応した。
さらに黒乃の攻型魔法が、幻魔の翼を貫き、その巨躯をあらぬ方向へと落下させていく。
目的地は、遠い。
大量の幻魔が徘徊し、警戒の目を光らせている中、慎重に移動するというのは、困難だ。どれだけ慎重を期しても、見つかるときは見つかるものだったし、実際ガルムの群れに見つかったのも、それだった。
幸多たちには一切の非がなかった。
そして、発見された以上、開き直るしかない。
そこで幸多は一計を案じた。つまりそれがこれだ。千手で三人を抱え、縮地改で大地を駆け抜ける。
そうすれば、目的地までより早く辿り着けるのではないか。
幻魔に発見される可能性は限りなく増大するが、それはもはや確定された事態といっても過言ではない。
既にガルムの群れに見つかり、獣たちの咆哮が、蒼焔原野を響き渡っていた。
こうなった以上は、全力疾走以外に道はない。
幸多の判断に、美零たちも異論はなかった。
妖級幻魔イフリートが数体、遥か前方を横切っていく、その真後ろを滑走すると、イフリートの一体がこちらを見た。大音声が響き渡り、呼応するように無数の幻魔の叫び声が聞こえた。
「隊長、豪快だねえ!」
「でも、こうするのが一番だよ」
幸多は、飛電改に煙幕弾を装弾すると、四方八方に撃ちまくった。
銃弾が地面や幻魔に直撃し、炸裂するたびに濃密な魔素が振り撒かれ、幻魔たちの意識を逸らした。
それでも、全ての幻魔を振り切ることは出来ない。
大量の幻魔が、真星小隊を追いかけていた。