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第七百六十五話 命が燃える(四)

 ムスペルヘイムは、マルファスに教えられた通りの構造をしていた。

 つまり、緋焔峡谷ひえんきょうこくを越えれば、蒼焔原野そうえんげんやへ至り、その先に紫焔回廊しえんかいろうが横たわっているという三層構造である。

「ここが蒼焔原野ってところか?」

「たぶん、そうだと思うけど……」

 真白ましろ黒乃くろのは、周囲を警戒しつつ、空白地帯とさして変わらないような広大な原野の有り様と、そこに組み込まれた異物感とでもいうべき蒼い炎の柱の数々を見ていた。

 緋焔峡谷が、谷間から紅蓮の火柱を乱立させているのならば、蒼焔原野は、大地に穿たれた様々な大きさの穴の中から炎を噴出ふんしゅつさせていた。

 まるで、この大地の下に大量の炎が渦巻いているのではないかと思うほどの熱量だ。

 物凄ものすさまじい熱気が、ムスペルヘイム全体の気温を常に高めていて、常人には耐えられないに違いないと確信させる。

 真白が耐熱防壁を張り巡らせてくれたおかげでどうにか切り抜けられそうだったが、幸多こうただけでは美零みれいの足手纏いになったのではないかと思わずにはいられないほどだ。

 が、いまは、そんなことを考えている場合でもなかった。

「さて……ここをどう切り抜けようか」

 幸多は、岩陰からわずかに身を乗り出して、蒼焔原野を闊歩かっぽする幻魔の群れを確認した。

 緋焔門に向かって移動していないところを見れば、今回の戦争には動員されなかった幻魔たちに違いない。

 マルファス曰く、スルトが全戦力を動員する可能性は限りなく低いという話だった。

 いくらスルトが龍宮りゅうぐう制圧に躍起やっきになっていようとも、全戦力を投入し、ムスペルヘイムをがらきにすることは考えにくいのだ、と。

 この魔界において、幻魔戦国時代において、近隣の〈クリファ〉の動向ほど重要な情報はなく、故に鬼級おにきゅう幻魔たちは常に周囲の〈殻〉の様子を注視しているのだ。

 もしも〈殻〉に付け入る隙が出来たとあれば、その瞬間、戦力を投入し、〈殻〉を制圧しようとするはずである。

 それにスルトほどの兵力を保有していれば、龍宮を圧倒的に上回る戦力を動員しても、〈殻〉の防衛戦力を確保することは容易たやすい。

 故に、ムスペルヘイムには、これほどまでに幻魔が残っているのであり、幸多たちがここまで辿り着くのにも時間を要したのだ。

 もし、スルトに報告されるようなことがあれば、こちらの目論見が看破されかねない。そしてそうなれば、せっかくの好機を失うことになる。

「見つかったらやばいもんな」

 真白が大量のイフリートを目の当たりにして、うんざりするようにつぶやいた。炎を纏う巨人が群れをなして歩き回っている。巡回しているのか、それとも、全く別の意図があってのことなのかはわからないが。

 幻魔が、あまりにも多すぎる。

「それはそれでいいんだけどね」

「え?」

「どういうこと?」

「もしわたしたたちが見つかって、それでスルトが〈殻〉に戻ってくれるというのなら、結果として悪くはないでしょ?」

「うん?」

「スルトは斃せないし、スルト軍の脅威は残り続けるけど、スルトも少しは冷静になるかもしれないわ。今回は、龍宮への侵攻を諦めてくれるくらいには、ね」

「……なるほど」

 幸多は、美零の想像図に大きく頷いた。

 既にスルトは痛手を負っている。

 龍宮を落とせるだけの戦力を投入しながら、多数の兵隊を失い、鬼級幻魔アグニをもたおされてしまった。

 これでは予定していたであろう完全勝利は到底不可能となり、龍宮への侵攻も、戦力が整ってから再度行うようになるのではないか。

 それがどれほどの時間稼ぎになるのかはわからないが、それによって龍宮が置かれている状況が変わるのは間違いない。

 戦団も、いつでも龍宮防衛に動けるように準備を進めることができる。

 今回以上の戦力が提供できるように。

 龍宮は、護らなければならない。

 少なくとも、オロチという爆弾を抱えている以上は、人類にとっても放っておくことの出来ない存在なのだ。

「……それだけで済むのか?」

「もちろん、わたしたちは、ただじゃ済まないと思うけどね」

「おい」

「ええ……」

「だったら、なおさら見つからないようにしないと」

「そうね」

 美零は、幸多に促されるまま、小隊を先導した。

 殻石クリファイトの所在地への経路は、美零の真眼しんがんが頼りだった。

 美零の目だけが、スルトの幻躰げんたいに送り込まれる魔素を認識できる。その膨大極まりない魔素こそ、殻石の存在を確かなものとしているのだが、しかし、常人には見ることも感じることも出来ない。

 だからこそ、自分は存在するのだ、と、彼女は確かに実感する。

 生まれ落ちた、その理由を。

 

 白い部屋の中で、目を覚ます。

 それが最初の記憶。

 まぶたを開いたとき、歓声が聞こえた気がした。喜びに満ちた人々の声は、誕生の祝福なのだと思った。

 確かに、そうだった。

 けれども、違った。

 それは呪詛じゅそに似ていた。

 この身に刻まれた呪いの形が、まさに目に見えるかのようだったけれど、生まれたばかりの彼女には、そんなことが認識できるわけもなかった。

 生まれ落ちて、けれども、すぐに命を落とした。

 死は、永遠だ。

 永遠の断絶。

 決して覆ることのない結末。

 全てが無にかえるだけの――。

 しかし、彼女の意識は、途絶えなかった。

 いや、確かに一度途絶えたのだが、再び、接続された。

 気がつくと、白い部屋にいた。

 それは、彼女が目覚めた部屋とは全く異なる場所であり、そこがどこなのかを理解するまで、随分と時間を要した。

 自分以外の誰かの意識の中なのだと気がついたのは、意識の持ち主の成長に伴って、だ。

 彼女の知識も、自我も、個性も、彼が知識を獲得し、自我を得、個性を為していく過程で成立していったものだ。

 彼。

 義一ぎいち

 彼女の後に作り出されたもの。

 彼女の後継者であり、彼女の完成品。

 だから、彼女は彼をうらやみ、ねたみ、にくしみ、荒れ狂った。

 義一には全てがあり、彼女には、なにもなかったからだ。

 体も、家族も、名前も、すべて。

 あるのは、心だけだ。

 そしてその心も、彼が育まれていく過程で得られたものだ。

 だから、本当になにもない。

 空っぽでうつろな存在。

 それが自分なのだと認識したとき、気が狂いそうになった。いや、実際に狂っていたのかもしれない。狂いすぎて、なにもかもを壊そうとした。

 壊さずに済んだのは、義一が彼女を見てくれたからだ。

 彼女と向き合ってくれたからだ。

 心の中で、何度となく対話を繰り返した。

 義一は、自分が得られたものを全て分け与えてくれた。

 何もかも全てを、等分してくれた。

『ぼくたちは二人で一人だから』

 彼はそういって、彼女に名前を与えてくれた。

 伊佐那いざなの女の名には最初にをつけるということと、一の前だからということを含め、美零と名付けてくれたのだ。

 美零は、その時初めて、自分の存在が認められた気がした。

 自分が生きているのだと、生きていていいのだと、思った。

 そして、自分の使命を全うするためにはどうすればいいのかと考えるようになった。

 自分と義一の使命。

 伊佐那麒麟(きりん)複製体としての、使命。

『義一。あなたはわたしの複製体であり、第三因子・真眼の持ち主です。その使命は、わかっていますね』

『はい』

 義一が静かにうなずいたとき、麒麟の瞳の奥に苦汁くじゅうに満ちた複雑な感情が動く様を、美零は見ていた。義一の目を通して。

 心の窓を通して。

『戦団がわたしの複製体をどれだけの犠牲を払ってでも欲したのは、わたしが子を成さなかったためでもありますが、子や孫に必ずしも受け継がれるわけではないという事実もあります。わたくしの父も真眼の持ち主ではありませんしね』

 伊佐那家の祖である伊佐那美咲(みさき)に発現した第三因子・真眼は、代々、伊佐那家に受け継がれてきたといわれているが、実際には伊佐那家の誰もが真眼に目覚めていたわけではない。遺伝してこそいたようだが、第三因子が発現し、自由自在に扱えるようになった伊佐那の数は少なかった。

 だからこそ、戦団は、伊佐那麒麟複製計画を立案し、実行に移した。

 麒麟は、その計画をこころよしとはしなかった。当然だろう。それは生命倫理を蹂躙じゅうりんするに違いない計画であり、数多の犠牲を払う覚悟を必要としたからだ。

 だが、麒麟には罪悪感があった。

 自分が結婚し、子を成していれば、そのような計画を発動せずに済んだのではないかという後ろめたさが、彼女から計画に対する発言権を奪ったのだとすれば、護法院ごほういん悪辣あくらつ極まりないというほかない。

 無論、麒麟がそのように語った訳ではないが、彼女は、そう想うようになっていった。


 美零は、虚空こくうを走る魔素の帯を目で追い、その進路上に幻魔がいないことを確認すると、幸多たちに頷き、駆け抜けた。

 蒼焔原野の蒼く燃え盛る炎の中を、ただひたすらに突っ切っていく。

 命が燃えるのを実感するように。


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