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第七百六十三話 命が燃える(二)

「マルファス……」

 美由理みゆりは、スルトの右手に生じた虚空を見上げたまま、つぶやいた。

 マルファスもまた、鬼級幻魔おにきゅうげんまだ。人間とは比較にならない魔素質量まそしつりょうの持ち主であり、生命力もまた圧倒的だ。

 そんな怪物が、スルトの前では赤子の手を捻るようにたおされてしまったのだ。

 絶望的なまでの力の差を実感する。

 アグニやホオリといった鬼級がなぜスルトに付き従っているのか、その理由がはっきりとわかった。

 力の差だ。

 この魔界は、力こそが全てだという。

 力の掟に逆らえるものはおらず、故に鬼級もまた力を振るい、より大きな力に従うのだ。

 竜級りゅうきゅう幻魔という最大の力の前では、鬼級幻魔すらも無力であるように、だ。

 スルトの力は、鬼級の中でも突出している可能性が高い。

 そして、だからこそ、マルファスは助力を求め、東奔西走とうほんせいそうしていたのではないか。

 そんな彼の助力を求める声に何者も耳を貸さなかったのは、スルトには敵わないという認識があったからなのではなかろうか。

 その結果として人類に、戦団に協力を求めることになったのは、幻魔としての尊厳に関わることなのだろうが、それすらも飲み下すのは、龍宮りゅうぐうを思えばこそだろう。

 龍宮を、オトヒメを。

 マルファスは、最後までオトヒメのために戦い、オトヒメのために散った。

 その事実は、否定できない。

「あれがスルトの本当の姿のようだな」

「おそらく。そして、本気を出した、ということでしょうね」

「いまのいままで本気じゃなかったっていうのかしら」

「そういうことだ」

「冗談じゃないわよ、まったく」

 憤懣ふんまんやるかたないといった様子の瑞葉みずはの反応には納得するところだが、ふと、美由理は違和感を覚えずにはいられなかった。

 振り向くと、そこには、当然のような様子でスルトを睨む幻魔の姿があった。

「マルファス?」

「なんだ? 雑談している余裕はないぞ」

 マルファスにいわれるまでもなく、美由理たちは、その場を飛び離れた。散開し、頭上から降ってきた黒い熱光線を回避する。超高熱の光線は、一瞬にして大地を融解させたかと思えば、大爆発を起こした。天を衝くほどに巨大な火球が生じる。

 直撃すれば、ただでは済むまい。

 たとえ大地護神グレートハートマザーに護られているとしても、だ。

「生きていたのか?」

魔晶体ましょうたいは、破壊された」

「む?」

「わたしの魔晶核しんぞうは、きみたちが持っているだろう」

「……なるほど」

 美由理は、マルファスの微苦笑を見て、納得するよりほかないという気分だった。

 確かに、マルファスの魔晶体は、破壊された。粉々に。木っ端微塵(みじん)に消し飛ばされ、き尽くされた。が、魔晶核については確認できていなかったのだ。

 魔晶核こそ幻魔の心臓であり、命の源そのものだ。

 そしてそれは、人間や他の動物における心臓とは、似て非なるものでもあった。

 幻魔は、魔晶核さえ無事ならば、どれだけ肉体を、魔晶体を損壊されても復活可能なのだ。

 いままさにマルファスが容易く復活を遂げているように、魔晶核さえ無事ならば、完全無欠に魔晶体を復元することができてしまう。

 故に、幻魔との戦いにおいて、魔晶核の破壊こそ優先するべきである、とは、星央魔導院せいおうまどういんにおいて真っ先に学ぶことだった。魔導院を経ずに入団した導士たちにまず最初に叩き込まれる重大事項でもある。

 そして、マルファスの魔晶核は、戦団本陣に確保されている。

 もし万が一、マルファスが戦団にとって、人類にとって不利益をもたらすような真似をした場合、その瞬間、神威が粉微塵に打ち砕くだろう。

 そういう契約だ。

 それがあればこそ、美由理たちもマルファスを辛くも信用できている。

 利害の一致だけでなく、マルファス自らが心臓を差し出してきたからこそ、なのだ。

「きみたちに差し出しておいて良かった」

「皮肉か」

「本心を述べたまでだ」

 マルファスは人間たちに取り合わず、翼を広げた。魔晶体の復活こそなったものの、痛撃を受けたことに違いはない。

 魔力を大幅に削り取られてしまった。

 殻石クリファイトが生み出す幻躰げんたいと、魔晶核によって構築される魔晶体は、同じようでいて、全く異なるものなのだ。

 マルファスは、黒焔こくえんの熱線をかわしながら上空へと至ると、変貌を遂げたスルトを睨んだ。異形の巨人から、極めて人間に酷似した姿になった鬼級幻魔は、先程以上に凶悪な魔力を帯びている。

 幻躰とは思えないほどの魔素質量。

「マルファスよ。殻主かくしゅにでもなったか」

「であれば、このように前線には出ぬさ」

「我は、ここにいるぞ?」

「殻主に相応しくないということだ」

 マルファスが一笑に付すと、傲然ごうぜんたる炎の奔流が彼の浮かんでいた空間を灼き尽くした。その場に滞留していた魔素があっという間に燃えて尽きる。

 マルファスは、右の翼をわずかに焼かれたものの、その程度で済んだのだから、いうことはなかった。飛び回り、魔法を想像する。

 すると、ホオリが、辺り一帯に火の雨を降らせた。が、凄まじい激流が莫大な冷気を運び、戦場全体を覆い尽くしたものだから、熱気もなにも消し飛ばされてしまう。

 瑞葉の海神三叉トリアイナと美由理の氷魔法が猛威を振るったのだ。

 ホオリが、吼えるように告げた。

「スルト様こそ、この魔界の王に相応しい御方ぞ」

「ならば、エベルにこうべを垂れている場合などではなかったな」

「なにを……!」

幻魔大帝げんまたいていエベルは、もはや神話の存在となった。この魔界のことわりを紡いだ神の如き存在に。スルトがどれほどのことを成し遂げようとも、エベルの影を消すことはできない。エベルの黒き光こそが、この世の原理原則であり、我らが栄華を極めた最大の要因なのだからな」

 直後、マルファスの嘲笑ちょうしょうを消し飛ばすようにして吹き荒れたのは、漆黒の猛火だ。

 スルトの双眸そうぼうが燃え滾る太陽のように輝きを帯びると、その全身からは黒い炎が噴き出し、無数の刃を形成していく。一本一本があの大剣に匹敵する魔素質量を内包した、黒き炎の刃。

 それはさながら黒炎の結界であり、殺到するあらゆる攻撃魔法の接近を許さなかった。魔力体のことごとくを灼き尽くし、融解させていくのだ。

「エベルは、自滅しただろう。我は違うぞ。我は決して滅びぬ。そして、この炎で天地を灼き尽くし、魔界を焔獄えんごくへと作り替えよう。エベルが魔界の祖ならば、幻魔の神ならば、我はこの宇宙全ての神となろう」

「貴様が神など、反吐へどが出る」

 唾棄だきするように告げたのは、美由理だ。

 スルトが彼女を睨んだ瞬間、美由理の背後に白銀の月が出現した。いまや満月には程遠く、三日月とすらいえなくなったそれは、しかし、確かに時間を止めた。

 星象現界・月黄泉つくよみ、五度目の発動。

 美由理の心身への負荷と消耗たるや凄まじいものだったが、幸いにも、めぐみの星象現界の影響下だ。多少なりとも回復し、故に五度、時間静止に成功したのである。

 美由理は、スルトを取り囲む黒焔の刃の数々を見遣り、頭上のホオリを見た。ホオリもまた、大魔法を発動しようとしている最中であり、数多の火球が、さながら流星群のように上空に在った。

 それらが降り注げば、さすがの大地護神でも耐えきれるものではないだろうし、それどころか、広範囲に渡る破壊が、前線そのものを崩壊させかねない。

 前線。

 ムスペルヘイムの緋焔門ひえんもん前面に展開される戦場には、スルト軍の数十万の幻魔と、戦団・オトヒメ連合軍の十数万の戦力が、辛くも拮抗きっこうしていた。

 緋焔門を氷魔法で閉ざした結果、スルト軍の戦力の供給が追い着かなくなっているからこそ、なんとか拮抗状態に持ち込めているというわけだ。

 戦団が動員した二個大隊五百名のうち、百名あまりが戦死し、多数の負傷者が出ている。半壊状態の小隊も少なくない。

 しかし、重傷者を含めた負傷者は、速やかに治療され、戦線へと送り返されており、地獄のような光景が展開されている。

 誰もが、命を賭して、戦っている。

 数多の幻魔と、少数の導士たち。

 無数の命が、いままさに燃え尽きようとしているのが、手に取るようにわかる。

 そして、美由理にできることは、一つしかない。

 彼女は、全身全霊の力を込めて、魔法を想像する。

 時間を稼ぐ。

 ただ、それだけのために。


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