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第七百六十一話 伊佐那美零(二)

義一ぎいち……おまえ、女だったのか」

「そんなわけないでしょ……」

 黒乃くろのは、真白ましろ愕然がくぜんとした反応にこそ、慄然りつぜんとする想いだった。

 二人は、ようやく美零みれいの魔法の手から解放され、地上を走っていた。黒乃としては、美零に掴まれたままの方が楽ではあったのだが、魔法を使いながら走り続けるのは負担が大きい。

「義一くんとは一緒にお風呂に入ったりしたでしょ」

「おう……そういや、そうだったな。あいつは男だった。立派に! でも、こいつは女だぜ?」

「そう……なんだよね」

 それには、黒乃も混乱するしかない。

 美零は、見る限り女の子だった。

 年の頃は、義一と変わらない。というより、容貌そのものに変化はないのだ。義一が元々中性的だということも関係しているのか、どうか。

 しかし、体つきは、義一のそれとは大きく変わっていた。身に纏う導衣の上からでもわかるくらいにはっきりと女性的な体型なのだ。豊かな胸の膨らみから腰のくびれ、そして太腿へと至る曲線の女性らしさは、誰の目にも明らかだ。

 義一のそれとは、明確に違う。

 顔さえ見なければ、別人と思うだろう。

 しかし、顔は、義一とほとんど変わらない。

 ただし、黒乃が感じる印象は、義一と彼女では大きく異なるのだが。

「わたしは女だよ。おっぱい、触ってみる?」

「は!? いや!? そんな!? なにを!?」

「冗談よ」

「わ、わかってるっての!?」

「兄さん……」

 黒乃は、美零に翻弄ほんろうされる真白の反応になんともいえない顔をした。

 美零は、そんな真白の言動を面白がっているようであり、そういう面でも義一とは大きく違った。義一は、一言で言えば真面目なのだ。面白みがない、ともいわれるくらいには。

 一方の美零は、なにかこの状況すらも楽しんでいる節がある。

「わたしは……なんていえばいいのかな。普段は義一の心の中で眠っているんだけどね、時々、こうして体を借りて外に出てくるの。そうすると、あら不思議。体の作りそのものが変化して、わたしになるのよ」

「どういうこったよ……」

「本当、不思議だね……」

 驚愕するほかないといった様子の九十九つくも兄弟の反応には、美零はなんとも思わなかった。義一と美零の在り様を知れば、だれだってそんな感想を持つはずだ。

 それから、美零は幸多こうたに目を向けた。幸多は、考え込むような表情をしている。

「隊長は、あんまり驚かなかったね?」

「ん……あー……なんていうか、なんとなくわかるっていうかさ。もちろん、性別そのものが変化するなんて想像もつかないんだけど、でも、わかる気がする」

「うん?」

 美零には、幸多のいいたいことがいまいち伝わってこない。

 そして、そのことに拘泥こうでいしている場合ではないということもまた、わかっている。

 まだ、緋焔峡谷ひえんきょうこくのただ中だ。

 ヴィーヴルのいた地点からは多少前進したものの、目的地はまだまだ遠い。

「それにしたって、むちゃくちゃだな」

「うん。むちゃくちゃでしょ、わたしと義一」

「いや、そうじゃなくてだな」

「うん?」

「いくらなんでも、単身〈クリファ〉に突っ込むなんて、無茶だろ」

 真白は、美零が岩壁に身をひそませるのにならいつつも、口先を尖らせた。彼女の行動は、勇敢でもなんでもない。

 ただの無謀だ。

 戦団の導士としてやっていいことではない。

 それが上からの指示で、作戦ならばまだいい。

 しかし、美零が独断で行動したことはわかっているのだ。

 それに結果が伴ったのだとしても、褒められたことではない。

 幸多が独断専行どくだんせんこう叱責しっせきを受けたのと同じなのだ。

 幸多は、戦場を縦横無尽に駆け回りながら多数の幻魔を撃破しているが、持ち場を離れ、小隊を置き去りにしたがために杖長じょうちょうに大目玉を食らっていた。

 美零も、大いに怒られるべきだ、と、真白は想うのである。

 とはいえ、真白と黒乃がここにいるのは、上からの指示以外のなにものでもない。

 つまりは、義一と合流し、使命を全うせよ、ということだが。

「……そうだね。でも、そうしないと駄目だって思ったから。そうしたら、止まらなくなっちゃった」

「その気持ち、わかるよ」

 幸多は、美零の隣に身を隠し、イフリートの巨躯きょくが火柱の向こう側を通り抜けていくのを待ちながら、いった。

「駆けだしたら、止まれないんだ」

「隊長、そういうところあるもんね。そのせいで大怪我ばかりして、義一に心配かけてさ」

「心配? 義一くんが?」

「マモン事変のときとか、大変だったんだよ。幸多くん幸多くんってさ。ちょっと、けちゃった」

「え?」

「ふふ、冗談だよ」

 美零は、幸多に笑いかけて、頭上を仰いだ。上位獣級幻魔スザクの巨体が、四人の遥か頭上を飛んでいく。深紅の羽毛に覆われた異形にして大型の猛禽もうきんであるそれは、まさに猛火そのものを纏っているかのようだ。そして、その広い背には、多数の獣級幻魔を乗せているのがわかる。

 美由理が生み出した大氷壁を乗り越え、戦力を前線に運び込むために違いない。

「スルト軍もまだまだ諦めていないって感じね」

「軍団長たちがアグニをたおしたっていうのに……」

「マルファスの野郎の読みが甘かったんじゃねえのか」

「スルト本人が出てきて、ホオリまで前線に出したんだ。もう、止まれないんだろう」

「美零みたいにか」

「そうなのかもね。でも、だから、好機なんだ」

 美零は、周囲を見回して幻魔のいない経路を見出すと、幸多たちを先導した。

「好機?」

「そう、好機。ムスペルヘイムの殻石クリファイトまもられていないってこと」

「護られていない? そんなこと、あるのか? 殻石っていや、殻主かくしゅの、スルトの心臓だろ。護らない理由なんてねえんじゃ……?」

「殻主はね、そりゃあ護りたいでしょう。でも、幻魔は幻魔よ。己の魔晶核しんぞうたる殻石を任せられると思う?」

「うーん?」

「幻魔を支配するのは、力。力こそが全て。それがこの魔界の掟だっていう話よ。でも、もし万が一にでも、目の前に千載一遇せんざいいちぐうの好機が巡ってきたのであれば、力の掟をも越えられるかもしれない」

 美零は、南方を見遣った。緋焔門を覆った美由理みゆりの大氷壁は、もはや見えなくなるほどに遠ざかっている。

 無数の山々が峰を連ね、その谷間から噴き出す火柱の数々や炎の壁、それらが生み出す猛然たる熱気が、視界を覆い隠すようだった。頭上の夜空も、それら炎のせいで薄れているようですらあった。

 魔素の実体をこそ捉える真眼でもってすれば、その向こう側に確かに鬼級幻魔が三体、激しい戦闘を繰り広げていることはわかるのだが。

「だから、殻主たちは、殻石を、己の心臓を部下の誰にも教えずに隠してきた。リリスしかり、アルゴスしかり、タロスしかり、イブリースしかり……戦団が制圧してきた全ての〈殻〉がそうだったの」

「ここもそうだと?」

「たぶんね。スルトが配下の幻魔に全幅の信頼を寄せているならまだしも、そうとは思えないし」

「確かに」

 幸多たちは、美零のその意見には頷かざるを得なかった。

 スルトは、配下の幻魔たちを信頼しているどころか、兵隊とも思っていないのではないか、という疑惑があった。

 殻印かくいん爆弾である。

 幻魔たちの体に刻まれたムスペルヘイムの殻印は、魔力に反応し、魔晶核を爆発させるというとんでもない代物だった。スルト軍の幻魔たちは、まさに特攻兵器そのものであり、スルトがその領土を加速度的に拡大できた一因である可能性が高い。

 そのことからわかるのは、スルトは、配下の幻魔たちを一切信用していないのではないかということだ。

 一切、全く、微塵みじんも。

 役に立つなどと思ってもいないのではないか。

 だが、それは、鬼級と妖級以下の幻魔の力の差を考えれば、当たり前の帰結なのかもしれない。

 そして、だからこそ、美零は、単身ムスペルヘイムに乗り込んだのだ。

 美零ただ一人であっても、使命を果たすことができるのではないか、と彼女は考えた。

 この命が帯びた、伊佐那麒麟いざなきりんの後継者としての使命を。

殻石しんぞうを破壊すれば、スルトは死ぬ……か」

「ええ、そういうことよ」

 美零は小さく頷くと、幸多たちを振り返った。幸多、真白、黒乃のことは、あの窓を通して、義一の目を通して、よく見ていたし、よく知っている。

 義一からも直接何度も聞いたものだったし、いつかは言葉を交わす機会が訪れないものかと思ったものだ。

 まさか、このような緊急事態がその機会になるなどとは、想定外も甚だしいが、悪くはない。

「……でも、そうだね。皆が来てくれて助かったのも事実。だから、いわせてもらうね。ありがとう、みんな。大好きだよ」

 それはきっと、義一の想いでもあるはずだ。


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