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第七百五十九話 焔の大地

 ムスペルヘイムは、どこもかしこも燃え盛っている。

 鬼級幻魔おにきゅうげんまスルトを殻主かくしゅとする〈クリファ〉であり、スルトが火を得意属性とする幻魔だからに違いない。

 〈殻〉は、殻主の魂を映す鏡だという。

 魔法がそうであるように、〈殻〉もまた、想像力の産物なのだ。

 故に、ムスペルヘイムは、焦熱地獄のように燃え続けている。

 とはいえ、立ち並ぶ建造物のほとんどは、住民たる幻魔たちが作り上げたものであるだろうし、それら幻魔造りの建物群を見れば、その異形さと充ち満ちた魔素の質量に吐き気すら覚えるざるを得ない。

 この地には、魔素が満ちている。

(……この魔界全土に、か)

 彼女は、紅蓮ぐれんの火柱が無数に並び立つ、緋焔峡谷ひえんきょうこくと名付けられた領域を駆け抜けながら、全身に絡みつくような濃密な魔素とその熱量に表情を歪めた。

 峡谷と名付けられた地帯だけあって、山々が峰を連ね、そこかしこに谷が見受けられた。そして、谷間からは紅蓮の炎が噴き上がれば、柱のように聳え立った。

 噴き上がる炎によってもたらされる熱気が、ムスペルヘイムの気温を常に高めているようであり、ただ歩くだけで全身から大量の汗が流れた。

 魔法士だからなんとかなっているものの、そうでなければ、全身の水分という水分が絞り出されて、枯れ果ててしまうのではないかと思えた。

 彼女が無事なのは、魔法でもって周囲の気温を軽減しているからであり、体内の水分を補給しているからだ。

 もし、この高温を直接浴びたならば、早々に気を失っていたのではないかとすら思えた。

 異界環境に適応した新世代の人類であっても、これほどの熱気には耐えられないのではないか。

 そして彼女は、熱を帯び、赤々と輝く岩塊の影に身をひそめながら、緋焔門へと流れていく幻魔の群れを見遣る。

 スルト軍の幻魔たちは、今もなお緋焔門へと、門の向こう側へと向かっているようであり、その数たるや膨大極まりなかった。

 総勢一千万もの大軍勢だ。

 動員するとしてもその三分の一程度が関の山だろうと予想されていたが、既に投入された幻魔の数から考えれば、まだまだ、動員可能な兵力が存在するはずだった。

 持久戦となれば、こちらが不利だということは、最初からわかっている。

 オトヒメ軍の動員可能な戦力は、大半が失われてしまった。

 スルトの一撃によって半壊したも同然であり、頼りにならない。

 かくいう戦団も、多数の導士が命を落とし、重傷者も多数、出ている。

 部隊を再編制し、陣形を整え、なんとか態勢たいせいを立て直そうとしているようだが、しかし、圧倒的な戦力差を覆すことは出来そうにない。

 だから、彼女は行く。

 振り返れば、緋焔門が巨大な氷壁に覆われていることがわかる。

 鬼級幻魔アグニが撃滅げきめつされたという通信も聞いた。

 情報官の興奮に満ちた声を聞いて彼女は狂喜したが、しかし、声にも出さず、拳を握り締める程度に留めた。

 これで、美由理みゆりたちは、スルト、ホオリに向かうことができるはずだ。

 鬼級幻魔が二体。それも、巨大な〈殻〉の王たるスルトと、その腹心たるホオリを相手にするというのだから、アグニ一体とは比べものにならない戦いになるだろう。

 対する、連合軍側の戦力は、星将三名、杖長じょうちょう六名、鬼級幻魔一体。

 勝てる見込みは、ない。

 彼女には、そう思えた。

 だが、勝つ。

 そのためにこそ、彼女は、駆け抜ける。

 岩塊の影から建物の影へ、そして結晶樹が並び立つ一帯へと飛び移るように移動し、周囲を見回す。

 真眼しんがんが、静態魔素に満ちた〈殻〉の内部にあっても、極めて有効的に機能している。

 幻魔は、生物であり、動態魔素の塊である。

 静態魔素と動態魔素の差違を見抜くことができるのが真眼の能力だ。

 物陰から幻魔の動きを把握できるのも、そのためだった。

 その分、眼に負荷がかかるが、今ばかりは仕方がない。

 目をらし、幻魔の軍勢の動きを確認しながら、流れを追う。

 膨大な動態魔素の奔流ほんりゅうが、虚空こくうを駆け抜けている。

 それこそ、殻石クリファイトからスルトの幻躰げんたいへと送り込まれる魔力である。それを辿るのだ。

 不意に。

「人間?」

 背後から声が聞こえて、彼女はぎょっとした。

 結晶樹の木陰に身を潜め、さらなる遮蔽物を探していたのだが、振り向くと、女が立っていた。怪訝けげんな表情を浮かべた女の、幻魔。

「なぜ、人間がここに?」

 人間めいた女の顔をした怪物が妖級幻魔ヴィーヴルであることは、彼女には一目瞭然いちもくりょうぜんだった。美女に見まごう容貌を持ちながら、体の一部が竜のような異形であり、両手からは鋭利な爪が、背中からは一対の翼を生やしている。長い尾を持ち、足もまた、異形だった。赤熱した鱗に覆われた異形の肢体。

 幻魔特有の赤黒い右眼と、ガーネットのような左眼を持ち、その目が、彼女を睨んでいた。

 彼女は、咄嗟とっさにその場を飛び離れると、ヴィーヴルの尾が結晶樹を打ち砕く様を見た。爆炎が吹き上がり、熱風が彼女の背中を押す。

「こんなところで……!」

「それはこちらの台詞」

 ヴィーヴルは、極めて理性的な口調で、彼女を追った。ガーネットの眼に光が灯り、周囲に律像りつぞうが展開する。高密度の律像は、魔法技量の高さを窺わせるものであり、彼女もまた、即座に律像を構築した。

 さらに飛び退いて距離を離すと、ヴィーヴルの周囲に無数の火の玉が生じた。

「ここはムスペルヘイム。スルト様の〈殻〉。人間風情が迷い込んで良い場所ではないのよ。ちりと化しなさい」

「いきなり物騒過ぎない?」

「人様の土地に土足で踏み込んできたあなたが悪いのよ」

「ぐうの音も出ない正論だけどさ」

 彼女は、次々と飛来する火球を結晶樹を盾にして回避しながら、連続的に巻き起こる爆砕音を聞いた。爆風にあおられながら、ヴィーヴルを睨む。律像はさらに幾重にも展開しており、魔法が完成を急ぐ。

「こっちだって、理由があるのよ!」

 叫び声を真言しんごんとすると、彼女が掲げた右手の先から雷光の帯が迸った。激しくうねり、唸りを上げる雷光の帯は、縦横無尽に虚空を駆け抜けてヴィーヴルに殺到したが、しかし、敢えなく空を切る。

 伍百弐壱改ごひゃくにしきかい雷神鞭らいじんべん

 義一ぎいちが改良した伊佐那流魔導戦技いざなりゅうまどうせんぎは、当然のように彼女にも使える。

「弱い。弱いわね、あなた。生きていても辛いでしょう。せめて燃えかすにしてあげる」

「なにがせめてなのかしら」

 嗜虐心しぎゃくしんに火でも点けられたかのようなヴィーヴルの口振りに、彼女は、むしろ冷静さを取り戻した。そして、ヴィーヴルが頭上に掲げた手の上に巨大な火球が生じる。とてつもない魔素質量だということは、真眼で見ずとも理解できる。

 あんなものを叩きつけられれば、魔法壁でも防げるものかどうか。

真白ましろくんでもいたら)

 いるはずもない義一の小隊仲間を脳裏ましろに浮かべたのは、真白の防型ぼうけい魔法の練度、精度が頭抜けているからにほかならない。

 スルト降臨時、彼女が辛くも肉体を無事に保つことができたのは、紛れもなく、真白が構築していた魔法壁のおかげだった。

 義一は、意識を失ったが。

「さようなら、人間」

 ヴィーヴルがほくそ笑んだそのとき、発砲音が聞こえた。

「え?」

 きょとんとしたのは、彼女だけではなかった。ヴィーヴルも右手首を貫通したなにかを目の当たりにして、呆然としたようだった。

 さらに数発、銃弾が立て続けにヴィーヴルを貫通していく。

 妖級幻魔の魔晶体を、だ。

 やがて右手首が吹き飛んだのは、そこに弾丸が集中したからだろうし、それによって魔法の制御が失われたのは、ヴィーヴルの意識がわずかでも乱れたからにほかならない。

 大火球があらぬ方向に飛んでいったかと思うと、谷間から噴き上がる火柱に激突して、大爆発を起こした。

 爆光が吹き荒れる中、さらにヴィーヴルの魔晶体に撃ち込まれ続ける弾丸に対し、女幻魔は、怒りに満ちた形相を浮かべた。

「なんだ! なにをした!」

 ヴィーヴルは、物凄ものすさまじい形相ぎょうそうでもって彼女を睨んできたのだが、彼女は、黙殺し、視線を巡らせていた。

 ヴィーヴルの右手首を撃ち抜いたのは、紛れもなく銃弾だった。

 超周波振動弾。

 イリア博士が開発した、対幻魔兵装。

 それを用いることができるのは、ただ一人だけだ。

「だ、大丈夫? 義一くん!」

 拳銃を掲げ、引き金を引きながら駆け寄ってきたのは、やはり、皆代幸多みなしろこうただった。

 彼女は、いった。

「わたしは、美零みれいだよ」

「へ?」

 今度は、幸多が困惑する番だった。


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