第七百五十五話 星将の戦い(二)
「無駄だ……! この程度の力で、このおれが、このアグニが斃せるものか……!」
アグニが吼え、炎の槍が爆発的にその勢いを増していく。穂部から膨れ上がった爆炎が、逆巻く冷気を蒸発させ、砲撃の嵐をも吹き飛ばして見せたのである。
アグニは、ずたずたに破壊された魔晶体を瞬く間に復元するとともに、周囲に火球をばら撒いた。無数の火球が美由理たちに殺到する。
「さすがに手強いが、だが……!」
美由理は、再び月黄泉を発動すると同時に全ての火球を氷漬けにし、アグニの全身を氷塊の中に閉じ込めた。時間静止を解除し、火球が爆散した瞬間には、神流と瑞葉が動いている。
「これ以上、あなたに費やしている時間も力もありませんわ!」
「さっさと潰れなさい!」
神流の集中砲火が氷塊ごとアグニの魔晶体を貫通し、そのただ中へと物凄まじい激流が流れ込んでいく。瑞葉の海神三叉が生み出した膨大な水圧の奔流。破壊的な洪水そのものたるそれは、氷の檻を徹底的に打ち砕きながら、アグニの全身から熱をも奪い去る。
だが、アグニはまだ倒れない。
魔晶核が無事だからだ。
魔晶核が無傷である以上、幻魔は死なないし、鬼級ともなれば、無尽蔵に等しい魔力でもって魔晶体を復元し、力を漲らせるのだ。双眸から紅い光が迸り、頭髪が烈火の如く燃え盛る。
アグニの怒号が、紅蓮の猛火となってその全身から噴き上がれば、炎の槍が無数の軌跡を描いた。超高熱の斬撃が空間を歪ませながら、なにもかもを切り刻み、星将たちの肉体をずたずたに引き裂き、灼いていく。
美由理は右腕が吹き飛ばされるのを認め、神流は左眼と腹部に重傷を負った。瑞葉は、胸を貫かれ、口から血を吐き出した。
さらにそれぞれの傷口から体内へと破壊的な熱が侵攻し、体細胞を灼き尽くしてくかのようだった。その速度たるや尋常ではなかったし、圧倒的としか言い様がないほどの破壊力でもって、血肉を焼き焦がしていく。
「燃えろ! 燃えて尽きろ! それが貴様らの、塵のようなる人間の行き着く先だ! 塵は、灰となって燃え尽きるのが定めなのだっ!」
アグニが勝利を確信したかのように声を上げたのは、そこからさらなる追撃を星将たちに叩き込んだからだ。燃え盛る炎の槍は、その斬撃の一閃でもって三星将を切り裂き、導衣も肉体も紅蓮の猛火に飲み込んでいく。
猛烈な炎の魔力が、全身を焦がしていく。意識が灼き尽くされ、激痛があらゆる感覚を苛む。
痛覚だけではない。
触覚も嗅覚も聴覚も視覚も、なにもかもが紅く灼き尽くされていくような感覚があった。
そんな中でも星将たちは、アグニを見ている。睨み据え、攻撃の機会を窺い続けている。肉体が焼かれ、細胞という細胞に燃え広がっていく感覚に飲まれていく中で、まず動いたのは瑞葉だった。
手にした海神三叉を天高く掲げると、彼女の後方に水気が凝縮し、膨れ上がった。
ここは、空白地帯。
魔界の真っ只中である。
大気中に満ちた魔素は膨大で、それらの魔素が海神三叉の力によって水気を喚起された。巨大な水の壁となって聳え立ったそれは、そのまま、大津波となってアグニと三星将の戦場を飲み込む。
アグニは嘲笑い、炎の槍を防壁とし、自身を護った。
そして、津波が流れ去ると、アグニは当然のように無傷だった。
どれだけ膨大な星神力で編んだ津波であろうと、彼の炎の槍を打ち破ることはできない。
だが、アグニは、想像だにしないものを見た。
三叉矛を掲げたままの瑞葉の全身から熱が消え失せ、それどころか膨大な冷気を帯びていたのだ。
津波は、アグニを攻撃するためのものではなかった。莫大な冷気でもって星将たちを包み込み、全身を灼き尽くすはずの熱を一瞬にして奪い去ったのである。
それは、瑞葉のみならず、美由理と神流の体からも熱を取り除き、痛みをも吹き飛ばしていた。頭が冷やされ、思考が明瞭になっている。
アグニが振り向いたときには、神流の攻撃準備は完了していた。銃神戦域による一斉射撃が、アグニに殺到する。
アグニは、吼えた。
「何度やっても同じことだ!」
炎の槍を振り回し、銃弾や砲弾を弾き飛ばす。火属性の魔法など、アグニには大したことはない。たとえそれが鬼級幻魔に通用するほどに練り上げられた魔力だとしても、だ。
属性の得手不得手は、そういう場合に強く影響する。
余程力の差がなければ、魔法力学を、属性を無視することなどできない。
だからこそ、水と氷なのだろうが。
アグニは、全周囲、ありとあらゆる角度から飛んでくる様々な魔力体を捌きながら、もう一人の人間を見た。その人間が異様な魔法を使うことは、わかっている。
そして、その女の背後に三度、銀の月が浮かんだ。大きく欠けた月。その白銀の光が、アグニの意識を塗り潰す。
「……やはり、簡単には行かないか」
美由理は、静止した時の中で、アグニを見ていた。瑞葉の海神三叉も、神流の銃神戦域も、決定打になり得なかった。美由理自身、消耗している。
三度目の月黄泉だ。
アグニがそれほどまでの強敵だったということもあれば、相性が必ずしもよくなかったということも大きい。瑞葉はともかくとして、神流の攻撃は、アグニの得意とする火属性だからだ。
いかに星神力の塊といえども、火の幻魔には通じにくいのだ。
とはいえ、全く通用しなかったわけではない。事実、神流の砲撃によってアグニの魔晶体に損傷が生まれていた。損傷箇所は複数あり、それらが美由理の目にははっきりと見える。
そこから体内を覗き込んでも魔晶核の位置を特定するのは、真眼でも用いなければ不可能だろうが、だとしても問題はない。
美由理は、全身全霊の力を込めて、魔法を想像した。律像を幾重にも構築し、全星神力を解き放つ。
そして、月黄泉を解除した瞬間、アグニの哄笑が耳朶を叩いたが、美由理は、真言を唱え終えている。
「弐百捌式改・大覇海」
魔法が発動すると同時に、巨大な水柱がアグニを飲み込んだ。水柱は無数に立ち上り、アグニの周囲を膨大な水気でもって染め上げ、破壊の限りを尽くしながら一点へと収束していく。
つまりは、アグニに、である。
「ぐうおおおおおおおっ!」
アグニの絶叫は、雄叫びか、断末魔か。
無数の水柱による破壊の連鎖は、収束によって加速し、そして一本の水柱へと融合し、天高く聳え立てば、頂点から崩れ始めた。瀑布の如く降り注ぎ、地上においては大洪水を巻き起こす。
大洪水は、破壊の力だ。
元より損傷していたアグニの魔晶体へと浸透していた水柱が、傷口をさらに押し広げ、そこへと洪水が押し寄せていき、破壊に次ぐ破壊を引き起こしていく。アグニがどれだけ熱気を撒き散らそうとも、炎の槍を振り回そうとも、もはやどうにもならない。
この地に、水気が充ち満ちていた。
それもこれも、瑞葉が大津波を起こしたおかげだ。
美由理は、それを利用することにしたのだ。冷気ではなく、水気を。
アグニが怒りに満ちた目を美由理に向けた。怒号が響き渡ったが、しかし、それは断末魔へと変わった。
魔晶核が損壊したのだろう。
アグニの双眸から光が消え、抵抗もなくなった。
大洪水が、魔晶体を徹底的に破壊していく。
その様を見届けた瑞葉は、改めて美由理を見た。彼女の機転は、見事としか言い様がない。
「伊佐那流魔導戦技……か」
「火には水。魔法力学の基本ですね」
「はい。わたしの氷魔法は、あまり通用していませんでしたし、なにより、瑞葉星将のおかげで水気が満ちていましたから」
それまで、戦場は火気と水気が拮抗、いや、火気の方が支配的だった。しかし、大津波によって水気が圧倒した瞬間を美由理が見逃さなかったのだ。
それによって、美由理の水属性魔法が鬼級幻魔にも通用する威力と精度になった。
美由理の得意とするのは氷属性だ。故に、水属性も決して不得意というわけでもないという事実が大きかった。
大洪水が消え失せると、大地に残るのは破壊的な爪痕と、アグニの無惨な死骸だけだ。もはやそこに力はなく、膨大極まる魔素は抜けきっていた。