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第七百五十話 スルト(三)

 白い部屋の中にいる。

 四方を白い壁と天井、床に囲われた空間にあるのは、やはり真っ白な寝台だけだ。ほかにはなにもなく、だから彼女は、寝台の上に座っている。

 寝台は、白い部屋の壁際に配置されていて、壁には窓があった。

 窓には白いカーテンが垂れ下がっているのだが、そういう場合、鍵がかかっているからどうしようもなかったりするのだ。

 それも致し方のないことだ。

 ここは、彼女の世界だが、支配者は彼女ではない。

 不意にカーテンが揺れて、風が入り込んできたことを知る。

 見れば、窓が開いていた。

 窓の外に目を向ければ、外の世界の景色が見える。そしてそれは、別に窓を開ける必要もなくできることだから、不便はない。

 彼と、彼にまつわる様々な情報は、窓の外さえ見ていればわかるのだ。

 だから、いつだって彼女は、窓の外を見ていた。外の世界に関する情報を得ることが、彼女の唯一といっていい楽しみだからだ。

 ただし、窓が勝手に開いたとなれば、話は別だ。

 この世界の主がその意識を失い、彼女に明け渡したということにほかならない。

『あなたには、知っておかなくてはならないことがあります』

 不意に、彼女の脳内に流れ込んできたのは、主の記憶だ。

 彼が伊佐那いざな家に引き取られ、伊佐那麒麟(きりん)の後継者となるために行われた、ある種の儀式に関する記憶。

 彼女は、窓の外の景色に目がくらむような感覚さえ覚えながらも、身を乗り出す。

 窓の外は、戦場だ。

 それも阿鼻叫喚あびきょうかんの地獄絵図そのものであり、大量の死が、当たり前のように転がっていた。

 幻魔も、人間も、無差別に、大量に、死んでいる。

 これほどまでの地獄絵図は、記録映像や映画でしか見たことがなかった。

 その地獄の中で戦っているのは、鬼級おにきゅう幻魔たちであり、ようやく立ち直った導士たちだ。

 彼は、この世界の支配者は、意識を失ったままだ。

 だから、彼女は、窓の外へと飛び出して、彼の体を借用しゃくようするのである。

 そして、全身に凄まじい痛みを覚えた。吐き気すらするのは、この地に満ちた高濃度の魔素のせいもあるだろうし、おびただしい血のにおいも関係しているのだろう。肉の焼け焦げた臭いが充満しているだけでなく、鼻腔に満ちている。

 死が、視界を満たしている。

「皆、生きてる?」

 彼女は、周囲を見回して、真星しんせい小隊の状態を確認した。

 二個大隊に編成された全導士のことが気がかりだったが、まず確認するべきは、彼の所属する小隊のことだろう。

 真星小隊は、現在の主戦場とは少しは慣れていた。

 緋焔門ひえんもんの南西、オトヒメ軍の幻魔が主力を展開していた場所であり、先程の爆発によって壊滅的被害を受けた領域に近い。

 大量の幻魔の死骸しがいは、オトヒメ軍の幻魔のものもあれば、スルト軍の幻魔のものもある。

 導士の亡骸なきがらも多数、その中に混じっていた。

 真っ先に見つけられたのは、真白ましろ黒乃くろのだ。黒乃の上に覆い被さるようにして、真白が倒れている。そして、真白の背中が真っ黒に焼け焦げていた。

 彼女は、真白に駆け寄ると、律像りつぞうを構築しつつ、視線を巡らせる。

 すると、幸多こうたもすぐに発見できた。彼は右腕を失い、右眼にはなにかが刺さっている。見た目にも重傷だとわかるのだが、彼には治癒魔法が意味を為さないため、彼女に出来ることはない。

 口惜しいが、それが事実だ。

伍拾弐式ごじゅうにしき回生印かいせいいん

 彼女は、真白の背中に向かって魔法を発動させると、光の印が浮かび上がるのを見届けるまでもなく、続け様に黒乃にも同様の魔法を唱えた。

 回生印は、伊佐那流魔導戦技(まどうせんぎ)における治癒魔法である。対象に光の印を付与し、自然治癒力を増幅させることによって、傷を癒やすのだ。

 それから、自分自身にも回生印を使い、伍拾肆式ごじゅうししき冷却印れいきゃくいん九十九つくも兄弟と自分に使う。

 冷却印は、その名の通り、体内の不要な熱を取り除く魔法であり、先程の爆発に巻き込まれたものは皆、強烈な熱を帯びていた。それは、真眼しんがんを通じてはっきりと見える。

 熱が、体を焼き尽くさんとしているのだ。

 故に彼女は冷却印を唱え、自分を含めた三人の体内から熱を除去することとした。

 そのおかげか、体が軽くなった。

 回生印が負傷部位を回復したというのも大いにあるが。

 残念ながら、この手の魔法は、完全無能者の幸多には意味をなさない。

 もっとも、幸多の体温は、闘衣とうい鎧套がいとうが調整してくれるだろうし、そこまで心配する必要はないだろうが。

「……義一ぎいちくん?」

 不意に聞こえたのは、幸多の声だった。先程まで意識を失っていた彼が目覚めたのは、彼の体内の分子機械が損傷部分の回復を終えたからなのか、どうか。

 真眼を以てしても、幸多の体内で起きている変化は見通せない。

 彼女は、真白を黒乃の隣に移動させると、すぐさま幸多に駆け寄った。重武装の幸多は、しかし、その装甲の大半を破壊され、見るも無残としか言いようのない姿だった。

「幸多くん、大丈夫?」

「……なんとか、たぶん……」

「大丈夫じゃなさそうだね」

 彼女は、幸多の強がりを聞き流して、その右眼に食い込んだなにかの破片と右腕の状態を見た。

 右肩から先を失ってしまっていて、大量に出血した様子がうかがえる。それでも生きていられるのは、闘衣が止血したからか、あるいは、分子機械とやらのおかげなのか。

 生きている。

 だが、この状況では、戦うこともままならないのは間違いない。

 だから、というわけではないが、幸多の眼を覗き込んだ。褐色の瞳に、燃え盛る炎が揺らめいている。

「ありがとね」

「え?」

「義一と仲良くしてくれて。義一、友達ができて喜んでたよ」

 彼女はそういうと、立ち上がった。

 魔法士である自分には、幸多にしてあげられることはない。情報官に伝える必要もない。闘衣が幸多の生命状態を、その危機を、情報官に伝えているからだ。

 導衣どういにも同様の機能があり、であればこそ、様々な情報官の声が飛び交っているのだろうが。

 彼女がるのは、鬼級幻魔である。

 この惨状を生み出した張本人は、いま、まさに激闘の最中にあった。

 黒い炎の巨人。

 その姿から、ムスペルヘイムの殻主かくしゅスルトだと推測できた。全長二十メートルほどか。人間とは比較にならないほどの巨躯きょくが、ただ移動するだけで戦場を蹂躙じゅうりんするようだった。

 スルトの周囲では、黒焔こくえんが舞い踊っている。

 そこに大量の攻撃魔法が殺到しているのだが、スルトは、まったく意に介していないようだった。

 痛痒つうようすら感じていないのではないかと思うほどだ。

 直撃のたびに多少なりとも損傷するも、瞬く間に復元してしまうのは、鬼級ともなれば当然のことだ。

 その上、相手は殻主である。

 殻主が前線に出てくるということは、それは幻躰げんたいなのだ。

 鬼級幻魔の中でも殻主のみが用いるそれは、実体を持つ幻想体とでもいうべき代物であり、魔晶核ましょうかくまでも備えているのだ。その魔素質量も本物と遜色そんしょくない。

 完全無欠の分身といっていい。

 そして、無尽むじんの魔力だ。

 殻石クリファイトから注ぎ込まれる膨大な魔力が幻躰を構築しており、故にこそ、大量の魔力を使い放題に使うことができるのであり、幻躰ほど凶悪な存在もないのだ。

 事実、幻躰のスルトは、やりたい放題に暴れ回っていた。

 大量の魔力を駆使し、黒い炎で全てを焼き払っていく。

 対抗するのはマルファスであり、六人の杖長じょうちょうたちなのだが、それもいつまで持つものか、どうか。

 故に、彼女は、使命を全うしなければならない。真眼を輝かせ、幻躰の中に魔晶核を確認する。幻魔の心臓たる魔晶核は、幻躰にも完璧に再現されて備わっているが、それを破壊しても終わりではない。

 また次の幻躰が生み出されるだけだ。

 だから、彼女は真眼を用いる。

 真眼だけが、幻躰の弱点を見抜くことができる。

 つまりは、魔晶核と殻石の繋がりを、だ。

「きみは……」

 幸多は、ようやく、自分が見ている人物の後ろ姿に違和感を覚えた。義一の導衣は、さきほどの攻撃によってぼろぼろになっていて、素肌が露わになっていた。

 合宿でよく一緒に風呂に入っていたこともあり義一の体など見慣れたものだった。

 義一は、元より鍛え上げられていたが、夏合宿を経て、さらに筋肉質な肉体を手に入れていた。

 筋肉は、魔法戦を主とする魔法士には不必要だというのが一般的な考えだったし、戦団内部でも主流の考え方だ。

 肉体を鍛え上げるよりも、精神をこそ、鍛錬するべきではないか。

 魔法技量を徹底的に研ぎ澄ますことによってのみ、魔法士は本領を発揮できるのではないか。

 そんな考えが一般的な戦団において、肉体を鍛え上げることの重要性を解いているのは、美由理みゆりを初めとする一部の星将たちだ。だからこそ、夏合宿では、参加者全員、徹底的に鍛え上げられたのであり、義一の肉体も、合宿前とは比べ物にならないほどに研ぎ澄まされていた。

 しかし、いま幸多が目にしている義一の後ろ姿からは、彼が自慢げに見せつけてきた鍛錬の成果が見えなかった。

 どこかしなやかなものとなっていて、特に臀部や太腿などが義一のそれとは全く違っている。

 まるで女性的だった。

(女の子……?)

「幸多くん、ううん、隊長。後のことは、よろしくね」

 こちらを見た義一の姿をした少女は、はかなく微笑み、そして、雷光となって飛んでいった。

 緋焔門のただ中へ。


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