第七十四話 決着(二)
物凄まじい昂奮と熱気が、会場を満たしていた。
葦原海上総合運動競技場は、対抗戦決勝大会最終種目幻闘の決着を目の当たりにしたことによって、例年以上の盛り上がりを見せていたのだ。
例年以上、とい断言していいだろう。
奏恵には、そうとしか思えなかったし、勝手に断定した。
我が子の活躍によって幕を閉じたのだ。これを例年並み、例年以下と判断する親が何処にいるのか。
超大型幻板には、幻想空間に立ち尽くす二人の少年が大写しにされている。
皆代幸多と米田圭悟だ。
あの激戦を生き残ったのが、天燎高校のこの二人だけだったのだ。
幸多の活躍は、それまで叢雲高校の草薙真の一方的な戦いぶり、蹂躙とか殲滅という言葉で言い表すような戦闘とは、まったく異なる種類のものだった。
草薙真のそれは、見るものの心を凍てつかせるような、極めて凶悪で破滅的なものだった。味方であるはずの叢雲の生徒たちすらも手に掛け、自分一人が生き残りさえすればそれでいいというような戦い方は、対抗戦に青春の幻影を見ている観客たちにとって、決して許容できるものではなかったのだろう。
とはいえ、叢雲高校の応援者にとっては、どんな形であれ、叢雲が優勝してくれればそれでよかっただろうし、だから声援も途切れてはいなかった。
それに草薙真の魔法の素晴らしさは、魔法を生業としてきたものにとっては、筆舌に尽くしがたいものであり、彼自身の技量が並外れていることは否定しようがなかった。
それだけの技量があればこそ、戦場を一瞬にして地獄に塗り替えるほどのことができたのだ。
そうして変わり果てた戦場を見守る観客が、次第に言葉を失っていくのも必然的だった。
決勝大会に進出した高校の生徒たち、その青春の煌めきをこそ見に来たのであって、一方的な殺戮を見に来たわけではないのだ。
誰もが、唖然としたまま、草薙真の戦いを見ていた。目を背けることは出来なかった。たとえ一方的、圧倒的、絶対的であっても、彼のその姿からは目を離すことができなかったのだ。
それはある意味、魔力といってよかったかもしれない。
長沢一家も、彼の強大な魔力がもたらした結果を前にして、言葉を失ったものだ。
幸多を応援することに一家言あるのだろう珠恵ですら、なにもいえなくなっていた。
ただ一人、奏恵だけは、幸多に可能性があることを理解していた。
草薙真の魔法は、極めて高度な魔法だ。発動以来、正確に選手だけを狙い撃ちにし、多数の選手を撃破して見せた。それはつまり、その魔法にそれだけの命令を与えているということだ。
魔法の性質上、出場選手を狙え、などという命令は組み込めない。どんな魔法であれ、そこまで細かい命令はできないのだ。漠然とした命令にならざるをえない。
彼の七支刀の場合は、魔素密度の高いものを狙え、とでもしたのではないか。
人体の魔素密度は、あの幻想空間に存在していた人間以外のなによりも高い。選手だけを狙い撃ちにして殲滅するのであれば、それ以上に適した命令はなかっただろう。
だからこそ、幸多は、狙われなかった。
幸多は完全無能者であり、魔素を持っていないからだ。
もっとも、それは可能性の話であって、実際にその場面に遭遇しなければ、奏恵ですら確信は持てなかった。
だから、祈るよりほかなかったのだが。
「勝ったよ、勝った! 幸多くんが決めたよおおおおお!」
「ええ、そうね! 幸多くんが決めたわ!」
「これで優勝!? 優勝かあ!?」
「凄いわねえ……!」
「ええ、本当に……!」
家族一同とともに大いなる歓喜に包まれる中、奏恵は、視界が滲むのを止められなかったし、止める必要もないと思った。
幸多が圭悟という親友と抱き合っている。
ただそれだけのことがなによりも嬉しくて、奏恵は、涙が溢れてくるのに任せた。
『なんということでしょう! 皆代幸多選手、草薙真選手の大魔法を前に敢然と立ち向かい、打ち倒しましたああああ!』
『これは対抗戦史上に残る名勝負といっても過言ではないのではないでしょうか。圧倒的な魔法の技量を誇る草薙真選手に対し、皆代幸多選手は、魔法不能者です。しかし、皆代幸多選手は、恐れることなく戦い抜き、勝利を掴み取ったのですから』
『そうですね! まったく、その通りです! 魔法不能者が対抗戦で活躍するのは、対抗戦史上初の快挙! しかも相手はあれほどの結果を残した草薙真選手です! これには、観客席の皆さんも大歓声と大拍手でもって、賞賛しております!』
「確かに、素晴らしいものだった」
天燎鏡磨は、ネットテレビ局の実況と解説を聞きながら、超大型幻板に映し出された二人の学生を見ていた。
一人は、どうでもいい。ただの問題児であり、将来性もあったものではないからだ。
もう一人、皆代幸多については、一考の余地があった。
魔法不能者である彼が、対抗戦部の部長であり、今大会の主将を務めている。彼が発起人となって対抗戦部が作られたという話だったし、彼の元に集った人材が、この大勝利を掴み取ったのだ。
そこは、いい。
大事なのは、彼が魔法不能者であるという圧倒的な事実だ。
魔法不能者が、魔法競技の大会、しかも戦団が運営しているといっても過言ではない対抗戦決勝大会に出場し、結果を出すどころか、優勝を掴み取ったという現実は、極めて大きなものだ。
波紋となって、広がることだろう。
それが、鏡磨には好ましく思えてならない。
「我が校が優勝するとは……」
川上元長が、茫然とした様子でつぶやく。優勝すれば面白い、と、鏡磨はいっていたが、まさか、本当にそうなるとはだれが想像しよう。
通常、ありえないことだ。
いくら才能が揃っていたとはいえ、二ヶ月あまり練習していた程度の連中が、もっと多くの練習を積み、常日頃から鍛え抜いている常勝校や他校を相手に戦い抜き、あまつさえ優勝することなど、到底考えられる事態ではなかった。
それが、鏡磨には心地よい。
「たまには、戦団も良いことをするじゃあないか」
鏡磨は、戦団を手放しに褒め称えた。
予選免除権のことだ。
もし、運営委員会が予選免除権を新規規則に追加していなければ、天燎高校が優勝することはなかったかもしれない。予選大会を勝ち抜き、決勝大会に出ることすら危うかったのではないか。
幸運に幸運が重なった。
だが、優勝したのは、紛れもない現実だ。
天燎高校の素晴らしい生徒たちが、素晴らしい成果をもたらしたのだ。
こればかりは、ただ賞賛する以外にないだろう。
「さて……彼らにはどのような賞賛の言葉をかけようか」
鏡磨は、幻想空間上で抱き合う少年二人に青春の光を見て、目を細めた。
それは彼の人生には存在しなかった景色であり、だからこそ、なによりも眩しく感じられた。
「優勝は天燎のようだが」
幻闘の結果を見て、上庄諱はつぶやいた。幻闘の得点表と総合得点表を見比べれば、どこが優勝したのか、一目瞭然だった。
諱のいうとおり、天燎だった。
その事実を目の当たりにして、城ノ宮明臣は、目を細めた。
「……ふむ」
「なにがふむだ」
「叢雲高校も惜しかったわ。なにも落ち込むことはないわよ、明臣くん」
伊佐那麒麟は、明臣を気遣うようにいった。
実際、叢雲の勝利は、目前だった。草薙真があと二人撃破していれば、絶対的な勝利を掴み取り、優勝をもぎ取っていたのだ。
「落ち込んでいませんが」
「強がらなくてもいいのだぞ。いくら情報局副局長とはいえ、あらゆる情報に精通し、勝敗予想も完璧でなくてはならないというわけではないのだからな」
「うっ……」
「いくらなんでもそこまで追い打ちしなくてもいいじゃない」
「調子に乗りすぎるのだから、たまにはこれくらいいっておくべきだ」
「かわいそうな明臣くん」
麒麟は、厳しい上司に付き従わざるを得ない明臣に心底同情したが、明臣はといえば、まったく効いている素振りを見せていなかった。
幻板に映し出された総合得点表に、幻闘の得点が加算されていく様を見ている。
麒麟が、話題を変えた。
「それにしても、皆代幸多くん、凄かったわねえ」
「魔法不能者なのが本当に惜しいな」
「でも、彼は魔法士に打ち勝ちましたよ。正面から戦って、打ち倒した。その事実は、認めるべきではないのですか」
「きみは、叢雲の応援をしていたのではないのか?」
「違いますよ。わたしは、ただ冷静に判断しただけであって、どこかの高校に肩入れするとか、そういう次元の話をしていたわけではないのですよ」
「……冷静に見て、彼は役に立つと思うか?」
諱は、射るような目で、明臣を見た。明臣は、涼しい顔でいってのける。
「さて。少なくとも、弾除けの盾にはなるでしょうな」
「そんなもの、戦団には不要だ」
「そうねえ」
麒麟は、諱の強い言葉に静かに同意した。
戦団は、勝利のための犠牲を厭わないが、勝利のための犠牲を強要しない組織だ。それが戦団の支配者である総長の意思であり、戦団を貫く強烈な力といっていい。
幻魔との戦いにおいて役に立たない、盾にしかならないような存在は、戦団に不要なのだ。
だから、戦団は、魔法不能者を戦闘要員として利用しない。
魔法不能者は、幻魔との戦いで足を引っ張るどころではなかった。
幻魔に殺されるだけだ。
そんなものを動員するほど、戦団も腐ってはいないのだ。
では、皆代幸多は、どうだろう。
少なくとも彼には、幻魔との戦闘経験があるようだった。
麒麟の娘、美由理は、皆代幸多が獣級幻魔ガルムと戦っているところを見た、という。通常、考えられないことだ。少なくとも魔法不能者がするようなことではない。
彼には、常識が通用しないのではないか。
麒麟は、そんなことを思った。




