第七百四十四話 龍宮防衛戦(五)
緋焔門は、まさに緋色の炎が轟々と唸りを上げて燃え盛る門である。
ムスペルヘイムの南側に位置し、空白地帯との境界に聳え立つそれは、天を衝くほどに巨大な炎の壁として存在しており、周囲の大気を灼き尽くし続けているかのようだった。
ムスペルヘイムは、どうしようもないほどに荒れ果てた空白地帯の起伏に富んだ大地の真っ只中に存在する。その内部は、拡大に次ぐ拡大によって、めちゃくちゃな状態にあるという。
そんな情報が戦団にもたらされたのは、マルファスからであり、マルファスだけが情報源だというのが、戦団にとっては如何ともしがたいものだった。信用に足るものかどうか、判断のしようがない。無論、マルファスが連合軍にとって不利なことをするとは思わないのだが。
相手は幻魔だ。
疑ってかかるのが、人間というものだ。
そして、オトヒメ軍と共闘し、龍宮を防衛しなければならないという事実もまた、どうしようもないものだ。
龍宮が落ちれば、その瞬間、オロチが目覚め、近隣一帯に壊滅的な被害が出る――という可能性がある。
可能性だけだ。
しかし、その可能性を絶無としなければならないのが、竜級幻魔という存在なのだ。
仮にオロチが目覚め、暴走に至れば、それだけで人類生存圏が消滅したとしてもおかしくはなかった。
故にこそ投入されたのが、第七軍団を主体とする二個大隊である。
第七軍団の二名の杖長・荒井瑠衣と躑躅野莉華がそれぞれ大隊長を務めており、荒井大隊、躑躅野大隊と仮称された。
荒井大隊には、第七軍団に属する三十二の小隊とともに第四軍団杖長・小久保英知、沢野君江が三十の小隊とともに編成されている。
躑躅野大隊には、同じく第七軍団の三十二小隊とともに第二軍団の杖長・戎紀律、鍵巴が三十小隊が組み込まれている。
それぞれ六十程度の小隊を率いており、緋焔門付近の主戦場に部隊を展開させ、門を潜り抜けて次々と戦場へと雪崩れ込んでくるスルト軍の幻魔の群れと対峙していた。
「数が多すぎる!」
悲鳴を上げたのは、誰だったか。
少なくとも、一人の導士の意見ではなかった。
誰もがこの戦場の地獄そのもののような、絶望的な光景に圧倒される想いだった。
なにせ、スルト軍の総兵力は一千万である。そのうちの三分の一程しか戦場には出てこないだろうというのは、マルファスの希望的観測に過ぎないし、仮にその程度しか出てこなかったのだとしても、数百万体の幻魔である。
一方の戦団側の二個大隊は、五百人。
「一人一万殺……上出来じゃないか!」
などと宣ったのは、荒井瑠衣であり、彼女は、地上に降り立つと、ギター型法機をかき鳴らして、魔法を発動させた。幻魔の群れの真っ只中に浸透した闇の魔力体が、彼女の真言に反応するようにして、破壊的な波紋を広げる。
大量の霊級が消滅し、獣級が悲鳴を上げつつ、爆散していく。
霊級幻魔は、魔晶核を持たない。魔晶核を形成するほどの魔力を得られなかったからこそ、実体を得られなかったのが霊級なのだ。そして、それ故に、撃破しても、獣級以上の幻魔のように爆発することはなかった。
ただし、霊級の数は、圧倒的だ。
スルト軍一千万のうち、六百万ほどが霊級だという。そのうちの三分の一でも戦場に投入されるようなことがあれば、それこそ、前線は瞬く間に崩壊するだろう。
霊級には実体がなく、故にあらゆるものを無視して移動できるのだ。
敵陣に浸透し、魔法を振り撒くだけで、甚大な被害をもたらすことが出来る。
だからこそ、霊級の浸透作戦を許してはならないのだが、かといって、霊級にばかり意識を向けていると、今度は獣級以上の幻魔たちに攻撃される。
「上等だ!」
戎紀律が、吼えるように叫び、巨大な岩石を雨のように降らせて多数の獣級幻魔を圧殺した。戎紀律は、本来、火属性を得意とするのだが、この戦場では、火属性は厳禁に近かった。
スルト軍を構成する幻魔の大半が火属性を得意としており、余程の魔力質量の差がなければ、無効化されたり、吸収されかねない。
そして、大爆発が起きて、岩石を粉々に吹き飛ばす。
獣級幻魔に刻まれた殻印が起爆装置であるという事実は、既に周知徹底されているのだが、わかっていたところでどうすることもできなかった。
殻印を避け、魔晶核だけを破壊するようにすれば、爆発を回避することができるようだが、大量の幻魔を相手にしなければならない状況で、そのような上品な戦い方はできない、というのが大方の意見である。
「せめて味方を巻き込まないようにしてちょうだい」
沢野君江が、紀律に忠告を飛ばしながら、空を舞う。
爆発は、戦場の各所で起きている。導士たちの攻型魔法が炸裂するたびに殻印が反応し、魔晶核を爆発させているのだ。
ならば、と、彼女は、敵陣後方を見遣った。
緋焔門と呼ばれる炎の壁の向こう側から、大量の幻魔がまさに雪崩の如く押し寄せてくる様は圧巻としかいいようがない。
しかし、それらが最前線に辿り着くまでは無防備極まりないようにも見えた。
「これなら、どうかしら」
法機に横乗りになった君江は、遥か前方に向かって人差し指を伸ばした。まるで拳銃を撃つかのような仕草とともに魔法を発動させる。瞬間、闇の弾丸がスルト軍遥か後方に着弾し、炸裂すると、凄まじい爆発の連鎖が起きた。
爆発に次ぐ爆発。
殻印によって起きた爆発が、周囲の殻印を起動させ、魔晶核を爆発させていく。
スルト軍特有の爆弾兵たちは、その特性が故に、為す術もなく自爆していくのである。
「やるな」
躑躅野莉華は、そんな君江の成果を賞賛すると、みずからも空中に浮上した。そして、同じく、敵陣後方に魔法を放つ。
ただし、緋焔門の向こう側にではなく、こちら側に、だ。
そして、莉華が生み出した光の雨が、大量の獣級幻魔の殻印を射貫き、瞬時に起爆させた。次々と巻き起こる爆発が、広範囲のスルト軍幻魔を巻き込んでいく様は、爽快感抜群といっていい。
「それはいいな。だが」
小久保英知は、連鎖的に巻き起こる爆発を見遣りながらも、眼前に迫ってきたイフリートにこそ対応しなければならなかった。
魔法によって大地を隆起させ、巨大な岩壁を構築すると、イフリートが唸りを上げて拳を叩きつけた。岩壁が砕け散り、破片がイフリートの巨躯に食い込み、爆ぜる。
イフリートが苦悶の声を上げる中、彼は、部下たちに命じた。
小久保小隊の導士たちは、ここぞとばかりに攻型魔法の集中砲火を浴びせ、イフリートを撃滅する。当然のように爆発が起きるが、それもまた、岩壁に覆い隠して周囲への被害を抑え込んだのが、英知である。
「やるじゃないですか」
鍵巴は、小久保小隊の戦いぶりを横目に見つつも、自身もまた、戦場のただ中にいることを忘れてはいない。
戦場は、地獄の様相を呈している。
戦団の導士たちは、既に数多くの幻魔を撃破しているはずだ。撃破した幻魔の爆発に飲まれて自爆した幻魔の数を含めると、何千、いや、何万という幻魔がこの短時間で消滅しているのではないだろうか。
だが、一向に減っている気配がないのは、次々と前線に送り込まれてくるからであり、それに対応しようというのが沢野小隊の後方への攻撃だ。
しかし、後方にばかり囚われている場合でもない。目の前の敵にこそ集中しなければ、命がいくつあっても足りないのだ。
「氷輝風」
鍵巴は、前方の敵集団に向けて、魔法を放つ。眩いばかりの吹雪が巻き起こり、範囲内の霊級、獣級幻魔を次々と氷漬けにしていけば、数体のイフリートの足を止めた。
そこへ、銃弾が殺到してきたかと思えば、重武装の皆代幸多が駆け抜けていく様を見て、鍵巴は呆気に取られる思いがした。
幸多は、まるで魔法でも使っているかのような速度で地上を滑走していく。そして、同時に銃弾をばら撒き、大量の幻魔を自爆させているのだ。
もちろん、彼だけではない。
この戦場に投入された全ての導士が、懸命に戦っている。
負傷者も続出しているが、そのたびに治療され、戦線に踏み止まるのが導士たちである。
そのときだった。
『オトヒメ軍の幻魔がそちらに転送された。協力し、スルト軍の進軍を食い止められよ』
情報官からの指示が、導士たちに飛んだちょうどそのころ、殻印から蒼い光を放つ無数の幻魔が、最前線に現れたのだ。
オトヒメ軍の増援である。