第七百四十三話 龍宮防衛戦(四)
「戦況はどうなっている?」
神威が問うたのは、戦場の様子がまるでわからなくなってしまったからだ。
神威がいるのは、戦団本陣内の指揮所であり、そこには戦場の各所から様々な情報が集約されていた。
指揮所内に設営された無数の機材が常に稼働している。そして、それらの機材を操作しているのは、戦務局作戦部の情報官たちである。
「あまり芳しくありませんね」
神威のすぐ手前では、作戦部作戦参謀の吉田光が、務めて平静な表情を保ちながら端末を操作していた。作戦部において戦術、作戦を立案するのが作戦参謀の役割であり、今回の龍宮防衛作戦においても、吉田光の意見が大きく取り入れられている。
「当初の予定通り、作戦通りとはいっていないのが現状です」
「それは致し方のないことだ」
「はい」
「この戦いは、〈殻〉攻略戦と同じようなものだ」
「はい」
光は、戦場を飛び交う自動撮影機から送り届けられる映像や、それらを元にした文字情報、音声情報に意識を集中しながらも、神威の発言を聞いている。
神威は、指揮所内に大きく展開された幻板に表示された戦場の全景を見つめながら、そこに書き込まれていく数多の情報に渋い顔になっていく。
「これまで四度、おれたちは〈殻〉を攻略した。そして、そのたびに痛感したものだ。〈殻〉攻略には戦術も戦略も通用しない、とな。〈殻〉攻略戦においては、なにが起きてもおかしくはない。相手は幻魔だ。幻魔に人間の常識は通用しないし、こちら側の思い通りに動いてくれるわけもない」
「はい」
「やはり、もっと多くの戦力を引っ張ってくるべきだったか」
「それは……難しいでしょうが、しかし、間違いなくそうするべきでしたね」
「うむ」
まったくその通りだといわんばかりの光の反応を聞きながら、神威の目は、戦場を俯瞰する映像の変化を見ている。
戦場俯瞰図の下方に龍宮が位置し、そのすぐ北側に複雑な形状の空白地帯が横たわっているのだが、そこに戦団の本陣とオトヒメ軍の陣地がある。そして空白地帯を挟んで、上方にムスペルヘイムの極めて広大な領土が存在している。
戦団が龍宮に到着したときには、既に、戦端は開かれていた。
主戦場は、ムスペルヘイムの南側、緋焔門と呼ばれている一帯だった。
これは、スルト軍の動きを察知したマルファスが、機先を制するべく、オトヒメ軍を進軍させたことによる。
それによって、主戦場を龍宮目前ではなく、ムスペルヘイムの眼の前に固定することができたのは、極めて大きい。
そして、緋焔門からスルト軍の幻魔が続々と出現し、先に軍勢を展開していたオトヒメ軍は、それに対抗した。
それによって戦端が開かれ、瞬く間に激戦が繰り広げられたのである。
マルファスは、オトヒメ軍の総兵力の半分をこの戦いに投入することを決めており、そのうちの半数ほどがムスペルヘイムへの強襲に駆り出されたという。
残りの半数あまりが、龍宮北部に陣地を構えているのであり、必要となり次第、前線に向かう手筈になっているということだった。
戦団は、そのオトヒメ軍陣地の隣に独自の陣地を構え、戦力を配置した。たった五百余名の戦力だが、軍団長が三名いるという時点で、戦団としては大盤振る舞いといっても過言ではなかった。
少なくとも、戦団最高会議は、そう考えるだろう。
戦団の、央都の現状を考えれば、これ以上の戦力の提供は難しい。
〈七悪〉を内に抱える今、央都防衛網を破綻させるわけにはいかないのだ。
そんなことをすれば、央都に外敵を招き寄せかねない。
それだけはなんとしても避けなければならない。
無論、オロチが覚醒するような事態に発展すれば、そんなこともいっていられないのだが、そのときのための保険として神威が出向いてきたのだから、その点に関してだけは安心して良い。
(その点に関してのみは、だが)
神威は、殊更苦い顔になりながら、戦術が崩壊してしまっている事実を認めていた。
なにもかもが、作戦通りに行っていない。
当初の作戦では、オトヒメ軍がスルト軍の戦力を分断し、分断した戦力を戦団が殲滅するという手筈だったのだ。そうしてスルト軍の戦力を減らしていくことによって鬼級幻魔を戦場に引きずり出し、これを星将たちが迎え撃つ。
その予定が大きく狂ったのは、緋焔門に展開していたオトヒメ軍の幻魔たちが、鬼級幻魔アグニによって一蹴され、壊滅的被害を受けたからだ。
そして、アグニが戦線を押し上げ、空白地帯へと南下してきたものだから、神威は、星将たちに対応するように命じなければならなかったし、二個大隊には緋焔門への突撃を言い渡さなければならなかった。
緋焔門に展開中のオトヒメ軍は、壊滅状態といっても過言ではなく、放っておけばスルト軍の幻魔が大量に雪崩れ込んでくるのがわかったからだ。
アグニ単体との戦闘になるのは当初の目論見通りで願ったり叶ったりなのだが、打倒するためには、いくつかの条件が必要だった。
それこそ、三人の星将が全力で戦える状態であることと、アグニ以外の敵戦力が関与してこないことだ。
ムスペルヘイムの何百万という幻魔がアグニとの戦場に雪崩れ込んでくることがあれば、その前提条件が完全に失われてしまう。
故に、神威は、二個大隊に前線への突撃を命じた。
そして、二個大隊は、荒井瑠衣杖長、躑躅野莉華杖長に率いられ、最前線たる緋焔門付近へと至ったのである。
一方で、アグニに対しては、三人の星将、伊佐那美由理、神木神流、八幡瑞葉が迎え撃った。この三人のうち二人は、すぐさま星象現界を発動し、美由理も星神力を持って魔法の威力を最大限に高めた。
アグニは、鬼級だ。
鬼級を打倒するには、三人以上の星将が全身全霊の力をもって立ち向かう以外にはない。
(できれば、後一人)
神威は、歯噛みするような気持ちで、戦場を睨む。
アグニと星将たちは、一進一退の攻防を続けている。
鬼級を打破するために必要な戦力が星将三名であって、星将三名が揃えば、必ずしも打ち勝てるというわけではないのだ。
そして、鬼級に類別される幻魔が全て同じ力量の持ち主だと考えるのは、あまりにも浅はかだ。
かつて幻魔戦国時代を統一した幻魔大帝エベルは、鬼級幻魔の中でも、特に強大な力をもっていたことわかっている。でなければ、鬼級幻魔たちが平伏すわけがない。
ムスペルヘイムの殻主スルトも、他の鬼級よりも強力な存在に違いない。だからこそ、鬼級たちを従えられているのだ。
アグニは、どうか。
スルトよりは弱いと考えていいのだろうが、そもそも、スルトの力がわからない以上、アグニの力を測る方法もない。
神威に出来るのは、星将たちがなんとしてでも打破してくれることを願うことだけだ。
(いや)
神威は、胸中で頭を振った。
「マルファス」
「なんだ?」
どこからともなく、黒い風が吹いてきたかと思えば、神威の頭上に鬼級幻魔が現れた。マルファスである。
彼もまた、戦場の様子を一望していたのだろう。
「戦力に余裕があるのであれば、緋焔門に援軍を寄越せ。スルト軍の数があまりにも多い。このままでは、アグニの打倒すらかなわんぞ」
「……わかった。では、最前線に出来る限りの戦力を送ろう」
マルファスは、神威の提案を素直に受け入れると、オトヒメ軍陣地を見遣った。
陣地の前方では、アグニと三星将の熾烈な戦いが繰り広げられており、魔法が乱舞していた。火線が集中し、爆砕が連鎖している。激流が渦巻き、氷の雨が降り注ぐ有り様は、天変地異そのものだ。
アグニの炎もまた、燃え盛り、星将たちに対抗している。
拮抗状態といっていい。
「ふむ」
マルファスは、軽く腕を振り上げるとともに魔法を発動させた。オトヒメ軍の幻魔二十万を最前線へと転送したのである。
「空間転移か」
神威は、大量の幻魔がオトヒメ軍陣地から消えたことを確認すると、唸るようにいった。
空間転移魔法は、人間にとっては極めて高度な技術だ。誰もが簡単に扱える代物ではないし、扱えたとして、大量の人間を対象地点に転送するなど、できることではなかった。
マルファスは、平然と、大量の戦力を移動させた。
さすがは鬼級幻魔としかいいようがないのだが。
「アグニかホオリ、いずれかの鬼級を撃破することが当初の目的だったな?」
「そうだ。それだけでスルトも南進を諦めるはずだ。龍宮には、オトヒメとわたしがいるからな。鬼級の数こそ、戦力差そのものと見ていい」
故にこそ、スルトは、いまや乗りに乗っているのだ、と、マルファスはいった。
「ならば」
神威は、マルファスの赤黒い目を見て、戦場を見遣った。
マルファスは、静かにうなずき、漆黒の翼を羽撃かせた。




