第七十三話 決着
幸多は、勝った。
草薙真という、今大会最強の相手に打ち勝つことができたのだ。
それはまさに相性の勝利というほかなかったし、清々しい完全勝利とは程遠いものだった。
確かに相手の目論見全てを打破し、ほとんど一切攻撃を受けなかったという点だけを見れば、完勝といっていいのかもしれないが。
物心ついたときから学んできた戦闘技術、対魔法士戦闘術が見事に機能したのだ。それは誇っていいはずだ。
だが、今の幸多には、そんな気分になれるわけもなかった。
勝てたのは、幸運以外のなにものでもない。
自分が完全不能者に生まれ落ちたという、幸運。
それになにより――。
(点数は……)
幻想空間の上空にこの試合における得点表が、ゆっくりと表示されていく。
決着がついたからだ。
それも、制限時間が来たことによる決着ではなく、対戦相手の全滅による決着。
そして、この壊滅的で惨憺たる有り様の戦場において、生き残っている選手にこそ得点を報せるために、得点表が表示されているのだ。
得点表は、閃球が終わった時点での総合順位で並んでいた。上から叢雲高校、天燎高校、天神高校、星桜高校、御影高校の順番である。
得点表には、撃破点と生存点が並んでおり、まずは撃破点から発表されることになっている。
叢雲、十三点。
(凄いな……)
幸多は、自分以外だれもいない戦場で、ただただ感心した。
叢雲の撃破点は、草薙真一人が上げたものだ。あの七支刀が倒した選手の数そのものであり、その中には、当然、天燎の仲間たちも入っているはずだ。法子、雷智、圭悟、怜治、亨梧。
次いで、天燎の撃破点が表示された。
「七点……か」
撃破点だけならば、十分に多いように思えた。この点数の大半が、法子と雷智のおかげだ。幸多は、最後に一点を追加したに過ぎない。
それでも、本来ならば十分すぎるほどの点数のように思えた。
これが普通の、いつもの対抗戦決勝大会ならば。
いつも通りの幻闘ならば。
だが、今大会は例年とは全く異なる展開を見せた。例年通りならば、制限時間一杯まで激しい攻防を繰り広げるはずなのだ。
しかし、そうはならなかった。
草薙真率いる叢雲高校の戦術によって、幻闘における基本戦術が一切通用せず、全てが引っ繰り返されてしまった。
叢雲、天燎以外の高校は、撃破点を一つも上げられていなかった。
天神も星桜も御影も、零点である。
対抗戦の決勝大会において、このような結果は、ありえないことのように思えた。過去の決勝大会の幻闘では、いずれの出場校も、最低でも一点以上の撃破点を獲得しているものなのだ。
今回、叢雲と天燎以外の三校が得点に絡むことができていなかったのは、やはり、他校による撃破点の獲得を徹底的に阻止するという叢雲の戦術が効果的に機能したからこそだろう。もし、叢雲があのような戦術を取らなければ、いずれの高校も一点以上は取れていた可能性が高い。
そして、生存点が、上位から発表されていく。
叢雲、零点。
叢雲は、その草薙真ただ一人で全ての敵を打倒し、草薙真ただ一人を生存させるという戦術を取った。そのために、真は、味方である叢雲の生徒たちも全滅させたようだった。
彼は、言った。
この茶番を否定する、と。そのためには、彼以外の全員を戦場から退場させる必要があったのだろう。
だが、その結果、叢雲には、一点も入らなくなった。
撃破点だけを稼いだところで、生存点が一点でもなければ、意味がない。
それが対抗戦決勝大会における幻闘の競技規則だ。
(でも、だからなんだっていうんだ?)
幸多は、内心、悔しさに胸が張り裂けそうだった。
勝負には、勝った。
だが、試合には負けてしまった。
閃球終了時点の総合得点が脳裏に浮かぶ。
叢雲二十二点、天燎十四点。
点差は、八点。
撃破点は、七点。
追い抜くには、二点、足りない。
天燎の生存者は、幸多ただ一人なのだ。
この二点の差で、天燎は二位で終わる。
そう、幸多が無念とともに確信したときだった。
「え……?」
幸多は、天に浮かぶ得点表に表示された数字を見て、我が目を疑った。
「二点?」
幸多が思わず発したとおり、天燎の生存点は、二点と表示されていた。
生存点二点ということはつまり、撃破点が二倍になるということだが。
そのとき、幸多の驚異的な聴覚は、なにかが物凄い勢いで地中を移動する音を捉えた。それは幸多の後方、真の七支刀によって破壊的なまでに穿たれた地面の大穴からだった。
見遣れば、大穴の中心部が突如として盛り上がったところだった。
「は?」
幸多は、唖然としながらも、そちらに駆け寄った。
自分以外の生存者が存在する可能性について、一切考えていなかった。
まさか、あの完璧主義者の草薙真が、そのような失態を犯すとは、全く想像できなかったのだ。
彼が度を超すほどの完璧主義者だからこそ幸多は勝てたというのに、生存者が一人でもいるということは、その前提が崩れてしまいかねない。
無論、いくら完璧主義者であっても、常に全てを完全無欠に終わらせることはできないものだが、それにしたって、と、幸多は思うのだ。
「ぶはっ!」
そんな盛大な声を上げながら、盛り上がった土の中から飛び出してきたのは、だれあろう、圭悟だった。
「圭悟くん!?」
「おう、皆代」
圭悟は、普段通りの態度でもって、幸多に応じた。土と砂に塗れた彼は、いかにも泥臭い男だったが、しかし、なによりも輝いて見えたのは、幸多だけではないはずだった。
圭悟が地面に着地し、天を仰ぐ。得点表を見て、にやりとした。
「勝ったな」
「え、ああ、う、うん、そうだね、勝ったね」
「なんだよ、ちったあ嬉しそうにしろよ」
「あ、いや、そうなんだけどね、嬉しいんだけど、なんていうか……」
幸多は、圭悟に判官で睨まれて、しどろもどろになった。圭悟は土砂に塗れている。紛れもなく地中に潜っていたからだ。
そして、だからこそ、彼は生き延びた。
圭悟が、不思議そうな顔で幸多を見た。
「なんだ? おれの顔になにかついてるか?」
「土とか砂とか」
「そりゃそうだ。おれは必死に土の中を移動してたんだぜ」
「必死に」
「草薙の野郎が現れただろ、獅王宮によ」
「うん」
「それで、おまえがあいつを引き離してくれたんだが」
「七支刀は残ってた」
「おう」
圭悟が力強く頷く。
幸多は、真が獅王宮に残した七支刀が、圭悟たち三人を全滅させたものだと思っていた。実際、凄まじい破壊が獅王級を跡形もなく消し飛ばしていたのだ。あれだけの破壊が行われれば、圭悟たちがどれだけ防御魔法を重ねたところでどうにもならないはずだった。
魔法技量において圭悟たちを遥かに凌駕する法子ですら、七支刀の前に敗れ去っている。圭悟たちが力を合わせたところで逃れられるとはとても考えられなかった。
しかし、よくよく思い返してみれば、幸多は、その全てを見ていたわけではなかった。幻想体の破壊を示す閃光の昇天を見届けたわけですらなかったのだ。
圭悟が目元を抑え、声を震わせながら、いってくる。
「そのときだ。亨梧と怜治が命を張って、おれの盾になってくれたんだよ。おれは感動したね。あいつらにもそんな仲間意識があったのかと、心の奥底で号泣しながら、二人の犠牲を無駄にしないために地中に逃げたんだ」
「そう……だったんだ」
幸多は、圭悟のどうしようもなく演技臭い仕草を見つめながら、ひとつ納得がいった。
草薙真の擬似召喚魔法・七支刀が、なぜ、地面を狙い続けたのか。地面を攻撃し、砕き、割り、抉り、破壊し続けたのか。
幸多は、攻撃対象がいなくなったがために、この幻想空間上においておそらくもっとも魔素密度の濃い大地を狙ったのではないか、と考えた。
が、冷静になって考えてみれば、だとすれば、七支刀から放たれた熱光線が四方八方に飛散してもおかしくはなかったし、そうなるべきだった。地面の一カ所に集中攻撃するのは、おかしい。
間違いなく、その地下に圭悟が隠れていたからだ。
圭悟のいる深度まで大地を破壊しようとしていたのだ。
七支刀は、なんら間違った動きをしていたわけではなかった、ということになる。
草薙真の想定通りの挙動だったのだ。
「おれは、時間切れまで隠れているべきか、奴の虚を突いて攻撃するべきかと迷ったんだよ、実際。けど、出ていかなくて正解だったな」
圭悟は、幸多の目を見た。褐色の瞳には、重大な決戦を終えた戦士の光が宿っている。少なくとも、圭悟にはそのように見えた。とても、圭悟とは同じ人種とは思えなかったし、おそらくその感覚というのは、正しいのだろう。
幸多は戦士で、圭悟は一般市民なのだ。
だから、というわけではないが、幸多に全てを託したのは、なんら間違いではなかった、と、彼は思う。
地中に潜み、地上の様子を窺いながら、ただ待ち続けるというのは、ある種この上なく苦痛だった。幸多に苦難を押しつけているのと同義だ。本来ならばすぐにでも地上に出て、幸多と協力するべきだ。だが、しかし、幸多の足を引っ張る可能性が高いということもわかっていた。
幸多は、魔法士との一対一の戦いにおいて、やたらめったらに強い。
幻闘の練習開始直後は、幸多に対し圧倒的な強さを見せていた黒木法子が、ここのところは負けが込むようになっていた。
一対一ならば、だ。
この人数が変わると、途端に幸多の精度が落ちた。それは、幸多側に人数が増えても、だ。幸多の注意を割くべき対象が増えるからだろう、と、法子が推測していた。
一対一の戦いならば圧倒的だが、一対多、多対多の戦いになると、幸多は明らかに動きが悪くなる。
だから、圭悟は、地中に隠れていることにしたのだ。
どれだけ草薙真が強くとも、一対一の法子より強いということはあるまい。
彼は、そう信じた。そう信じる以外に出来ることがなかったのだ。
そして、彼の信じた通りの結果に終わった。
幻闘の終了を報せる音が脳内に響いたとき、それが幸多の勝利によるものだと確信した。幸多の敗北ならば、幻闘は続行であり、草薙真による生存者捜しが始まったはずだからだ。
実際、幸多は草薙真を打倒し、天燎の勝利を掴み取った。
幸多は、掠り傷ひとつ負っているように見えなかった。草薙真に対し、完勝したのだろう。
魔法士との一対一の戦いにおいて、やはり、幸多は異次元の強さを発揮するのだ。
圭悟は、そんな幸多の姿を眩しく思った。
「……なんていうか、勝ったんだね」
「おう、勝ったぞ。見ろよ」
圭悟が幸多を促し、天を指差す。
天空に表示される得点表では、幻闘の総合点が表示されていた。
叢雲、天神、星桜、御影は零点だ。生存点がないのだから、当然の結果だ。
一方天燎は、十四点と克明に記されていた。
「十四点……」
幸多は、即座に総合得点を計算したが、頭の中は圭悟が飛び出してきてからというもの半分混乱したままだ。正確な数字が導き出せない。
圭悟は、そんな幸多の様子を察してか、口を開いた。
「総合得点は二十八点。つまり、おれたちの優勝だ」
「優勝……」
幸多は、現実感のない言葉だと、思わざるを得なかった。
ここが幻想空間なのだから当たり前だ、などと、愚にもつかないことを考えてしまうくらい、幸多の頭は錯乱していた。




