第七百三十話 龍宮からの使者(五)
『幻魔と協力!? 馬鹿げたことを!』
『ありえない!』
『考えられません!』
まさに非難囂々《ひなんごうごう》といった反応が返ってくることは、端からわかっていたことだ。
故にこそ、神威は、戦団最高会議を開くまでもなく決断を下した。
会議を開けば、このような反応が返ってくることがわかりきっていたからだったし、理路整然と説明し、過半数の星将を説得するのにも時間がかかりすぎるからだ。
時間的猶予があるのであれば、いくらでも議論を戦わせただろうし、皆を説得するために時間を費やすことも問題ではなかった。むしろ、そこに時間を割きたいというのは、神威の考えの根底にある。
誰もが納得できる決断を。
それが、神威という人間の生き様なのだ。
納得できないまま死地に追い遣られ、絶望の淵から辛くも生還を果たした神威にとって、同胞の誰もが納得することをなによりも優先したかった。
けれども、それは状況による、としか言い様がないのもまた事実だ。
マルファスにいわせれば、衛星拠点で交渉する時間すら惜しいとのことだった。
一刻も早く龍宮に向かい、スルト軍の侵攻に備える必要があった。
スルト軍の龍宮への侵攻を許せば最後、竜級幻魔オロチが覚醒してしまいかねない。
竜級幻魔の恐ろしさを身を以て知っている央都市民というのは、神威を始めとするわずかばかりに過ぎないが、だからこそ、彼は、事を急いだ。
義一が竜級幻魔相当の魔素質量を確認した以上、龍宮に竜級幻魔が眠っているというのは間違いない。
マルファスが魔晶核を差し出してまで戦団を騙し討ちにするとは考えられない。それはあまりにも分の悪い賭けだ。もし、万が一にも神威たちが乗らなければ、その瞬間、マルファスの命が塵のように消えてしまう。
鬼級幻魔が己の心臓を差し出すほどの事態。
それそのものが、神威をして、幻魔との共闘に走らせることになった。
『それも閣下みずからが出向くと仰られるのですか!?』
『逸りすぎでは?』
「龍宮に竜級幻魔が眠っている。それが全てだ」
神威は、通信機越しに聞こえてくる軍団長たちの抗議や非難の声を聞きながら、さもありなん、と思わざるを得なかった。
誰もが、そう思う。
導士だからではない。
人間ならば、誰しもがそのような反応をするものだ。
人間の遺伝子に刻みつけられた本能的恐怖が、潜在的嫌悪感が、忌避感が、幻魔の存在そのものを否定し、拒絶する。
幻魔は人類の天敵であり、滅ぼすべき邪悪である。
誰もが、そのように教わり、学び、植え付けられる。
意識の根底に。
思考の深淵に。
そしてそれは、この地獄のような世界を生き抜く上で、必要なことだった。
幻魔を滅ぼすべき敵として認識しなければ、人類に未来はない。人類復興という大目的のためには、幻魔の存在を許してはならないのだ。
だが、それは、鬼級幻魔までの話だった。
鬼級幻魔以下の幻魔は、全て、討伐できる可能性があった。
事実、戦団はこれまでに何体もの鬼級幻魔を討伐してきた。リリスを始めとする鬼級幻魔たちとの戦いは、いずれも過酷なものであり、熾烈を極めたことは言うまでもない。
だが、斃せた。
滅ぼすことができた。
だから、鬼級幻魔とは戦えると考えてきたのであり、鬼級幻魔をこそ滅ぼし尽くし、地上に人類の楽土を築き上げようというのが、戦団の掲げる人類復興の宿願である。
そこに竜級幻魔は含まれない。
竜級は、鬼級を遥かに凌駕し、超越する存在だ。
次元が違うといっても過言ではない。
その莫大極まりない魔素質量は、鬼級の何十倍、何百倍、いや、もしかすると、もっと多いのではないか。
鬼級幻魔がその本能の如く抱えた領土的野心を竜級幻魔が持つ広大な領土に向けないのは、全く以て勝ち目がないからだ。
竜級幻魔の眠る地では、幻魔たちは一切争わなかったし、竜級幻魔に目を付けられないようにやり過ごすことが、幻魔たちの暗黙の了解のようなものだった。
絶対の道理といっていい。
それは、幻魔のみならず、人間にも同じことがいえた。
魔法大戦時にその存在が確認された竜級幻魔は、それまで妖級以下の幻魔しか把握されていなかったこともあり、世界中の魔法士に衝撃を与えることとなった。
最初に確認された竜級幻魔は、魔法大戦の余波によって長い眠りから目覚めたのである。
そして、周囲一帯に魔素異常をもたらすほどに荒れ狂ったという。
その混沌そのものの如き凄まじさから、ケイオス・ドラゴンと名付けられたそれは、さんざん暴れまわった後、その場に留まり、眠りについたといわれている。
竜級という定義が生まれたのはそのときであり、鬼級の定義は、その後、竜級と妖級の間というものとして作られている。
竜級幻魔は、その後、四体が確認された。
レッド・ドラゴン、ブラック・ドラゴン、ホワイト・ドラゴン、グリーン・ドラゴンの四体である。
そして、史上六体目の竜級幻魔ブルー・ドラゴンが確認されたのは、およそ五十年前、地上奪還作戦が結実した直後だったことは、神威にとって、護法院にとって忘れがたいことだった。
地上奪還作戦の成功、その全てを灰燼に消すかのように吹き荒れた蒼鱗の竜の猛威は、あの場にいた全員が終生忘れ得ぬものとして記憶したに違いない。
命に、魂に刻みつけられたのだ。
鬼級幻魔リリスとすら比較にならないほどに強大な力を持った、まさに神の如き存在を。その力を。
そして、それから度々開発中の央都に現れ、蹂躙し、破壊の限りを尽くした蒼き竜の脅威は、護法院の長老たちに竜級幻魔に対する危機意識を植え付けることとなった。
神威の独断が軍団長たちに反発されている一方、護法院によって支持されているのは、そうした理由からだった。
伊佐那麒麟も上庄諱も朱雀院火流羅も、護法院の長老たちの誰一人として、神威の判断こそ正しいものであるといわんばかりの発言を行っているし、神威の行動を支援するために全力を尽くしていた。
つまり、神威を筆頭とする戦力を第九衛星拠点に送り込んだのである。
神威一人送り込むだけでは当然ながら、物足りない。
「今でこそ龍宮で安穏たる眠りについている竜級幻魔が、スルト軍の愚かとしか言いようのない侵攻によって覚醒するようなことになれば、全てが御破算だ。なにもかもが破綻しかねない」
『閣下の仰られる通りだ。竜が目覚めれば、央都防衛構想どころか、人類生存圏もなにもかも、無に帰す可能性が高いのだ』
『よって、我ら護法院は、閣下の御決断を支持した。閣下御自身が出張られるという以上、止められるものでもないしな』
「よって、今回は首輪は無しだ」
神威は、静かに断言した。総長特務親衛隊こと首輪部隊は、今回の任務には帯同していない。彼らには、第九拠点に着任してもらったのである。
伊佐那美由理、神木神流、八幡瑞葉という三人の星将を帯同させ、合計五百名の導士を招集したことによって、各衛星拠点が手薄になってしまっていた。
手薄になった衛星拠点には、戦団本部や各基地、各拠点から戦力を移動させることで埋め合わせたが、それで万全かといわれれば、疑問の残るところではある。
が、それも致し方のないことだ。
問題は、突然起こる。
そして、そうした問題に完璧に対応できるわけもない。
出来る限り、最善最良の対応策を考えるのだが、いかんせん、時間がなさ過ぎだ。
いま神威たちに出来ることといえば、龍宮の差し迫った危機を排除することだけである。
それ以外の全てが些事だった。
『だからといって、幻魔と協力するなどと……!』
血迷ったか、とでもいわんばかりの明日良の剣幕には、神威も同様の気分だった。
神威の腸は煮えくりかえっている。
なぜ、幻魔と協力し、事に当たらなければならないのか。
龍宮救援を決断した神威の心の奥底では、常に怒りが燃え盛っていた。
幻魔は、滅ぼすべき敵でしかない。
竜級ならば、なおさらだ。