第七百二十三話 杖長・荒井瑠衣(二)
天使の群れを追って、迷いの森をひた走る。
幸多は、起伏に飛んだ地形を平然と滑走していた。銃王弐式の脚部装甲に全地形適応型滑走機構・縮地改を装着することによって得られた機動力である。
元々、縮地は、護将の脚部装甲に内蔵されていた機構だが、ほかの鎧套でも使えないかという幸多からの意見、要望を取り入れるようにして開発されたのが、縮地改なのだ。
縮地改は、あらゆる鎧套に装着可能な外付けの強化装備だ。
この度、全面的に改良を施された三種の鎧套全てに対応しているのである。
武神弐式にも装着可能だったし、護将弐式の場合は、最初から縮地改を装着しているのではなく、任務内容や戦況に応じて着脱できるように改良されていた。
縮地改以外にも強化装備が研究、開発されており、それらを活用することにより、鎧套の、幸多の戦術の幅が広がるのだ。
そして、今まさに、幸多は銃王弐式の戦術の幅の広がりを実感していた。
以前の銃王では、地形を無視するように突っ切ることなどできなかっただろう。
結晶樹が所狭しと乱立し、獣道すら存在しない迷いの森のただ中を突っ切るように疾走するのは、なにも幸多だけではない。
瑠衣率いるロックハート小隊の面々は、戦団式魔導戦術・縮地法を用いることで、幸多と同じように地面を滑走していた。その速度も、幸多に負けていない。
飛行魔法よりも制御が簡単なのか、木々を避けながらもほとんど速度を落とすことなく、むしろ加速していく導士たちに置いて行かれないよう、幸多も必死になっていた。
義一たちも同じだ。
義一と真白が縮地法を使って移動しており、黒乃は真白の背中におぶさっている。
そのように移動しているうちに、義一が叫んだ。
「天使たちが降りるようです!」
「降りてくる?」
瑠衣は、義一の警告に従ってその場に停止すると、部下たちを制しつつ、結晶樹の陰に身を潜めた。幸多たちもそれぞれに急停止する。
木陰から前方を覗き見れば、すぐに迷いの森の切れ目が見えた。
それはつまり、幸多たちがこの広大な樹海を北へと突っ切ってきたということだ。
迷いの森は、結晶樹の樹海だ。
第九衛星拠点の北部に広がり、東にアトラス、西にオーマという鬼級幻魔の〈殻〉が存在している。
その狭間の地にこそ、結晶樹の森が横たわっているのだ。
そして、結晶樹の森を突っ切った先にあるのが、鬼級幻魔オトヒメの〈殻〉である。
「あれは……」
瑠衣が凝視したのは、迷いの森の向こう側、赤黒い大地がうねるようにその起伏に富んだ地形を見せつけているただ中に、夥しい数の幻魔を発見したからだ。
「幻魔だね」
「天使型は、我々人間は襲わず、幻魔を攻撃するというのは本当でしょうか?」
「記録を見る限りでは、そうなんだけどね」
本当のところはどうなのか、瑠衣にはわからない。なぜならば、瑠衣は今まで天使型幻魔と遭遇したことがないからだ。
これまで各地の衛星拠点周辺で、数多くの天使型幻魔が確認されてきた。そしてそれら天使型が、戦団の導士たちには手を出さず、幻魔にばかり攻撃してきたという記録があるのは確かだ。
映像としても確認できるのだから、そこを疑う必要はない。
だが、天使型幻魔がなぜ、そのような行動を取るのかは依然不明なままだ。
油断は禁物だ。
幻魔は、幻魔。
人類の天敵に他ならない。
(とはいえ……)
瑠衣は、幸多をちらりと見た。
特異点の少年は、機械的な装甲に銃器という出で立ちであり、その銃把を握る手に緊張が走っているようだ。
彼がマモン事変の最中、天使型幻魔によって助けられ、状況を打開したという事実も、ある。
天使型は、人類の味方なのではないか、などという声が増え始めたのは、マモン事変の内実が明らかになってからのことだ。
天使型幻魔ドミニオンの助力があればこそ、あの苦境を突破できたという圧倒的な事実は、何者にも否定できない。
しかし、たとえそうであったとしても、幻魔である以上倒し尽くし、滅ぼし尽くす以外にはない――戦団内部でそのような激論が交わされるのも、無理のない話だった。
天使型が人類の味方をし、幻魔討伐に精を出しているのは事実だ。しかし、だからといって、天使型に気を許すことはできない。
つぎの瞬間、裏切られ、攻撃される可能性も考えられた。
悪魔が央都に暗躍し、人々を惑わし、唆し、狂乱させたように。
天使たちが、人類にとってなにかとんでもないことをしようとしていたとしても、不思議ではない。
「獣級幻魔が二千五百、妖級が百五十……結構な数ですね」
義一が真眼で見たままの情報を述べるのを聞き終えて、幸多は、万能照準器で幻魔の群れを見遣った。
迷いの森の向こう側、オトヒメの〈殻〉の手前の空白地帯に集まっている幻魔たちがなにをしているのかといえば、一目でわかることだった。
戦闘である。
義一が詳細に把握した数の幻魔が、いままさに入り乱れるように激しい戦闘を繰り広げているのだ。数多の魔法が飛び交い、破壊の嵐が巻き起こっている。
「領土争いって奴だな」
「たぶん……」
真白と黒乃も、木陰から前方の戦場を見遣りながら、息を呑む。
相争っているのは、殻印持ちの幻魔たちに違いなく、故にこそ、その命の限りに戦い続けているのではないか。
殻印持ちの幻魔は、殻主たる鬼級幻魔の命令に逆らうことができないという。
故に、戦闘行動を命じられれば最後、勝利するまで戦いを止めることができないのだ、と。
そして、だからこそ、幻魔たちの戦いは苛烈極まりないものとなり、全身全霊の力がぶつかり合い、空白地帯の赤黒い大地を破壊していくのだ。
猛烈な魔法の乱舞が、嵐の如く吹き荒れている。
「殻印は二種類。一つはアトラスのもので、もう一つは、オトヒメのものです」
幸多は万能照準器越しに確認した情報を瑠衣に伝えると、さらに幻魔たちを凝視した。
殻印は、幻魔の肉体の何処かに刻まれているのだが、わかりやすく目立つ場所であることが多いため、確認することそのものは難しくない。
ただし、多様な魔法が吹き荒れる激戦地ではその限りではなく、幸多は、万能照準器とノルン・システムの連携によってこそ、瞬時に〈書庫〉に収められた記録と照合し、確認することができたわけだが。
戦団は、近隣の〈殻〉に所属する数多の幻魔と交戦してきた。そして、それらの幻魔に共通する印を記録として残している。
それこそが殻印であり、〈殻〉に所属する幻魔の紋章なのだ。
「そして、そこへ天使たちが現れた、ということか」
瑠衣は、頭上を仰ぎ見た。
遥か上空、冷めた青空の真っ只中に天使たちが輪を描いていた。
光り輝くものたちの輪は、複雑にして精緻な紋様であり、律像そのもののようだった。
そして、透明な歌唱が聞こえたかと思えば、天使の輪の中から光が生じた。
膨大な光は、さながら、瀑布となって降り注ぎ、幻魔たちの戦場を飲み込んでいく。光の洪水が起きた。幻魔たちが天を仰ぎ、叫んだ。怒号や罵声だったのかもしれないし、断末魔だったのかもしれない。
数多の幻魔が、瞬く間に命を落としていく。
光の洪水に飲まれ、息絶えていく。
圧倒的だった。
だが、圧倒的としか言いようのない光の奔流は、つぎの瞬間には消え失せていて、漆黒の闇が天使の群れを撃ち落としていた。
「なんだい?」
「これは――」
瑠衣が疑問を浮かべていると、義一が絶叫した。
「鬼級幻魔です!」
その報告は、強烈な衝撃を伴って、幸多たちに走った。
光の洪水が消え失せた場所、つまり、激戦地の真っ只中に出現したのは、黒い翼を持つ何者かだった。
それは、頭上を睨み付けるようにしており、翼を大きく広げていた。漆黒の翼は禍々しい輝きを帯びていて、その輝きこそが天使たちを次々と貫く漆黒の闇なのだ。
天使たちが、一体、また一体と天から降ってくる。
天そのものが降ってくるかのように、だ。
鬼級幻魔は、その様子をただ睨み据えていたのだが、不意に、こちらを見た。
赤黒い目が、義一を捉えたのだ。
「気づかれた!?」
義一が悲鳴染みた声を上げたのは、鬼級幻魔の体内に満ちた魔素質量の凄まじさが彼の網膜を塗り潰したからにほかならない。