第七百二十二話 杖長・荒井瑠衣(一)
「この世の全ては、二種類に分けられる」
荒井瑠衣は、半ばで折れ、いまにも地面に衝突しようとする結晶樹を片手で受け止めて見せると、ゆっくりと地面に下ろした。
「ロックか、ロックじゃないかだ。それがこの世の全てであり、原理原則なんだよ」
「は、はあ」
「で、あんたはロックだ。そうだろ、皆代幸多」
「えーと……」
幸多は、真っ直ぐ射貫くようにこちらを見つめてくる杖長に対し、どのような表情で対応をすれば良いのかわからず、生返事を浮かべるしかなかった。
瑠衣率いるロックハート小隊の三名の導士たちは、我関せずという顔をしているものもいれば、幸多に熱心に視線を送ってくるものもいて、様々だ。が、誰一人として瑠衣の言動に引っかかりを覚えている様子はない。
いつも通りとでもいうようだった。
ロックハート小隊の隊員は、閃光級一位の伊保沙菜江、灯光級一位の大塩真仁、灯光級二位の別所定臣の三名である。
このうち、別所定臣は、先の大式典に参加しており、幸多とも面識があった。瑠璃紺色のベリーショートヘアが特徴的といえば特徴的な、幸多と同い年の少年だ。
「ロック……かなあ」
「ロックさ。ロックだとも。あんたの生き様全てがそれを証明してる」
瑠衣の有無を言わさぬ迫力の前では、幸多も反論の余地がなくなってしまう。
燃えるようにぎらぎらした目が、幸多を見つめているのだ。まるで幸多になにかを期待しているようでもあり、期待通りであると認めているようでもあるその瞳には、ある種の力があった。
それは魔力と呼ぶような力かもしれないし、別の力かもしれない。
魅力的ではあったし、彼女が導士たちに人気なのも頷けるというものだ。
「あんたのようなロックな人間は、そうはいない。あたしにも分けて欲しいくらいさ」
「な、なにをですか?」
「ロックさを、さ」
「は、はあ……」
幸多が困惑していると、真白と黒乃が顔を見合わせて肩を竦め合った。義一も困惑を隠せないという有り様だ。
しかし、ロックハート小隊には慣れたことなのだろう。隊員たちはずかずかと歩み寄ってくると、周囲に散乱するケットシーの死骸を見分し始めた。
「結構な数ですね」
「伊佐那閃士が言っていたとおり、巣があったということね」
「こんなところに巣があるなら、とっくに見つかっていてもおかしくないのでは? この森自体は、以前からあったんですよね?」
「ええ。森の規模は変化しているようだけれど、森そのものは何年も前から確認されているわ。先月は十二軍団か。見逃すとも思えないわね」
「巣そのものが突然現れたとか?」
「その可能性は高いわ」
大塩真仁が別所定臣の意見に頷きながら、窪地の洞窟を覗き込む。大量のケットシーの死骸が散乱する洞窟の奥からヤタガラスが飛んできたものだから、それを手で受け止めた。
「カラスくん、なにか見つけた?」
などと、伊保沙菜江が言いながら、携帯端末を取り出したのは、ヤタガラスの記録映像を探るためだ。
ヤタガラスは自動操縦形式にすることにより、操者を必要とせずに済む。ただし、自動操縦形式は、戦闘に巻き込まれやすいという問題もあり、激戦が予想される戦場では、手動操縦形式を用いることが推奨されている。
複数の小隊で行動する場合、各小隊ごとに専属のヤタガラスを帯同させることも重要だ。小隊が離れ離れになって行動していても、後でその間の行動を確認することもできれば、戦績を把握することも容易くなる。
「えーっと……洞窟の奥には……なにもありませんね。途中も死骸だらけ、穴だらけって感じで」
「まあ、なにかあるほうが困るんだけどさ」
瑠衣は、沙菜江からの報告を受けて、つぶやいた。
幻魔ケットシーが巣として利用していた洞窟だ。なにかがあるとすれば、厄介なものに違いないだろう。それならばなにもないほうがいい。
もちろん、なにが起きたとしても、杖長である瑠衣が後れを取るようなことは、そうあることではないのだが。
「あっ!」
「ん?」
不意に声を上げたのは義一であり、瑠衣は透かさず彼の視線を追った。頭上を仰ぎ見た彼の視線の先には、窪地を覆う結晶樹の天蓋があり、枝葉の隙間はほとんどなかった。唯一空隙があるとすれば、瑠衣が倒した結晶樹の頭上である。
そこからわずかばかりに覗く青空を、光り輝くものたちが飛んでいく様を見た。瑠衣は、義一に目を向けた。義一の黄金色の瞳が、かすかに光を帯びている。
第三因子・真眼の輝きだ。
「いまのは、天使だね?」
「みたいですね」
『魔素質量から、天使型幻魔エンジェルと推測。数は三十体。追うのであれば、一先ず攻撃を控え、様子を窺ってください』
「相手は幻魔だよ」
『上からの指示です』
「上ね、上。現場をわかってない連中の戯言なんて聞きたかないが……仕方がないか」
瑠衣は、情報官との通信を終えると、軽く肩を竦めて見せた。
「ロックじゃないよ、まったく」
「世知辛いですね」
「本当にね。だけどまあ、あんたたちがいるんだ。指示には従うよ」
瑠衣の発言は、暗に自分一人ならば天使型幻魔にだって攻撃してみせる、とでもいっているように聞こえたが、気のせいではあるまい。
幸多には、瑠衣がそのような反骨心の持ち主なのではないかと思い始めていた。
迷いの森上空を飛行する天使型幻魔の群れは、北へと向かっていた。
ロックハート小隊と真星小隊は、天使たちに引き離されないようにしながらも、ある程度の距離を取って追い続けていた。
地上から、だ。
この魔界で高高度を飛行するのは、とても目立つ行いであり、危険性が高い。
余程開けていて遮蔽物がない場所ならばともかく、結晶樹が所狭しと並び立っている樹海ならば、それらの影に隠れるように移動したほうが安全だ。
幻魔と戦うにしたって、奇襲を受けて戦うよりも、先手を取るほうが遥かに効果的なのだ。
奇襲で命を落とすことだってありうるのだから、慎重に慎重を重ねることこそ、重要だ。
「それがこの魔界を生き抜くこつさ。ロックじゃないけどね」
「ロックじゃないといけませんか?」
「いいや。あたしがロックと心中したいってだけの話さ。それを他人にまで強要しようとは思わないし、部下なら尚更だよ」
幸多の純粋な疑問に対し、瑠衣は、苦笑を浮かべながら返答した。
彼の疑問も最もだと思ったし、周囲にそう思われていたのだろうと今更のように理解する。ただ、周囲の人間は、そのような感想を抱いたとしても、彼女に対してそんなことをいえるはずもなかっただけのことだ。
歴戦の猛者たる煌光級の導士で、杖長だ。
彼女の立場が、彼女と周囲の人々の間に溝を作る。
どうしたところで、それは致し方のないことだ。
ロックハート小隊の隊員ならばどうか、とは、残念ながらならない。
ロックハート小隊は、瑠衣のお気に入りの導士を連れ回すための小隊ではないのだ。
瑠衣は、第七軍団の戦力を底上げするためにこそ、自分そのものを利用していた。
つまり、入団したばかりの若い導士を小隊に組み込み、実戦の中で育成していくのである。そうして、ある程度成長した導士たちは、別の小隊に合流させるなり、輝士になれば小隊を持たせるなりしてきたのだ。
だから、彼女には長年の部下というものがいなかったし、一番長い伊保沙菜江でも、二年の付き合いでしかない。
その上、沙菜江は、どうにも悲観的なところがあるからなのか、瑠衣に意見をしてくるということがなかった。
だから、というわけではないが、瑠衣は、幸多に片目を瞑って見せた。
「やっぱりロックだよ、あんた」
幸多は、困ったような顔をするばかりだったが。