第七百十六話 統魔、家に帰る(一)
九月に入るなり、第九軍団に待ち受けていたのは、恒例の大移動である。
衛星拠点から、次の任地へ。
毎月のように行われる大移動は、それだけで手間がかかったし、それならいっそのこと二、三ヶ月くらい同じ衛星拠点に駐留させて欲しい、と思う導士も少なからずいた。
しかし、衛星任務が連続すると、心身ともに消耗し尽くすということがわかりきっていることもあり、戦団は、余程の事情でもない限り、同じ衛星拠点で任務を続行させることはなかった。
その余程の事情が第七軍団にあったらしい、というのが、この三ヶ月なのだが。
第七軍団は、六、七、八月の三ヶ月間、葦原市に滞在していた。
もっとも、そのことで戦闘部内に不満を募るようなことはなかった。
むしろ、第七軍団内ににこそ、不満が蔓延したとしてもおかしくはない。
なぜならば、戦功を上げるというのであれば、通常任務よりも衛星任務のほうが遥かに効率がいいからだ。
通常任務とも呼ばれる央都防衛任務は、基本的に、幻魔と戦う機会が少ない。
サタンの出現以来、幻魔災害の発生頻度が増えているとはいっても、衛星任務中に幻魔と遭遇する確率のほうが遥かに高いのだ。
故に、昇格を望む導士ほど、衛星任務に就きたがるものなのである。
第七軍団の導士の中には、この三ヶ月間でもっと衛星任務に出られていれば、昇格が出来たのではないかと考えるものがいたとしても、不思議ではない。
だからどう、ということはないのだが。
皆代小隊を乗せた輸送車両イワキリが水穂基地に到着したのは、九月三日のことだ。
第七衛星拠点から水穂基地へ。
第七衛星拠点は、水穂市の真南に位置しているということもあって、移動するのに時間はかからなかった。
第七、第八衛星拠点に分散している第九軍団を一挙に移動させることすら可能な距離だ。
しかし、そうすると、衛星拠点側が無防備になりすぎるため、三日に分けて交代することになるといのもまた、月ごとの恒例行事である。
第九軍団と入れ替わる形で第七・第八衛星拠点に入ったのは、星将・八幡瑞葉率いる第四軍団である。
皆代小隊は、第四軍団の導士たちが第七衛星拠点に入るのを見届けるようにして、水穂市に向かったというわけだ。
そして、水穂基地に到着した皆代小隊は、それぞれに荷物を荷室から下ろすと、兵舎へと移動した。
いまや六人小隊ということもあり、八人用の大部屋を利用することになっていた。
「男女別々じゃなくていいんだ?」
「ルナがうるさいから仕方なくだ」
「だってえ統魔と離れて暮らすなんて考えられないしい」
「衛星拠点では別部屋だったじゃないか」
「それはわたしが頑張っただけだよお!」
「頑張ったんだ、偉い偉い」
「偉いでしょ-、本当に頑張ったんだから」
ルナを褒める剣の様子を横目に見ながら、統魔は、小さく嘆息するとともに大部屋の扉を開いた。
八人用の個室が用意された大部屋は、水穂基地の兵舎の中でも特に広々とした一室だ。
兵舎の一階、最奥部に位置しており、人気の部屋だという。
皆代小隊がこの部屋を取ることができたのは、ほかならぬ統魔のおかげだった。
「たいちょが煌士になったおかげなんだってねえ」
「煌士特権って奴か」
「そもそも、八人小隊なんてほとんどいないから、八人部屋そのものは余ってるんだよ」
統魔は、奥まった一室に荷袋を放り込むと、居間の長椅子に寝そべっているルナを一瞥した。彼女は、この小隊の中で、香織に次ぐ自由人だ。
香織はといえば、各部屋を見て回っている最中であり、その移動速度たるや周囲に旋風を巻き起こすほどだった。
「でもまあ、大部屋は人気ではあるからな。四人招待でも、取りたがる連中は多いんだ」
「そういう場合に役立つのが煌士特権という奴ですか」
「そういうことだ」
とはいえ、煌士特権などというものがどれほどの効力を発揮するのかは、統魔にもいまいちわかっていない。
煌士、つまり煌光級導士になれば、さまざまな特典、特権が得られるというのは、戦団内でまことしやかに囁かれている噂に過ぎない。
実際のところ、特権などないのではないか、と思わないではない。
もちろん、煌光級といえば星将に次ぐ階級だ。任務によっては中隊を率いる可能性があり、相応の知識、技術、能力が必要な立場である。経験も必要不可欠だろう。
自分は、どうか。
統魔は、考える。
自分は、本当に煌光級に相応しい人間なのだろうか、と。
だが、そんなことを考えるほどの暇があるのかといえば、全くないというのが本当のところだ。
「任務は明日からだ。今日はゆっくりしていればいい」
「はーい。ゆっくりさせてもらいまーす」
「最近なんだかんだで忙しかったし、休むのもありだね」
「そうだな。体も鈍っているわけでもなし」
「隊長は、どうなさるおつもりですか?」
「そうだよ、統魔、どこかに行くの?」
「ああ。少し用事があるんだ」
統魔は、携帯端末の通知を見つめながら、いった。その表情にどこか陰を感じて、ルナは、長椅子から立ち上がった。
漠然とした不安が、胸の奥に膨れ上がった。
いまからなにかが起こることなどあり得ないというのに、だ。
字も、統魔を見ていた。統魔がなにやら一人で悩みを抱えているのではないか、と、気が気でなかったのだ。
「どこに行くの?」
「どこだって、いいだろ」
「良くないよ。良くない」
「……そうか」
統魔は、ルナの眼を見た。紅く黒い、けれども幻魔とは全く違う、透き通った瞳。宝石のように美しく、儚い。
彼女がなにを考えているのか、統魔にはまるでわからないが、一つだけ確かなことがある。
ルナが自分を唯一無二の拠り所としているということだけは、疑いようがなかった。
彼女には、ほかに居場所がない。
統魔の側にしか、その身の置き場がないのだ。
それだけは間違いないから、彼も折れざるを得ない。
「……実家だよ。実家」
「実家?」
「ああ、そういえば、隊長の御実家は水穂市にあるんでしたね」
「そうなんだ? じゃあ、お母様に御挨拶できたりするのかな?」
「八月中は伊佐那家本邸にいたんだけどな。もう帰ってて、おれのことを待ってるってさ」
「ふーん……じゃあ、なおさら御挨拶にうかがわないと」
「なんでだよ」
「えー、だってえ、これから先、ずっとお世話になるんだから、当然でしょ?」
「はあ?」
統魔が素っ頓狂な声を上げたときには、ルナは準備を整え始めていた。
「では、参りましょうか、隊長」
「おい」
当然のように先導する字の姿を目の当たりにして、統魔は、憮然とするほかなかった。
香織は、剣、枝連と顔を見合わせ、そして、ほくそ笑んだ。
あの消極的極まりなかった字が、ついに積極的に動き出したということそのものが、香織には嬉しくて堪らなかったのだ。
それもこれも、ルナのおかげだ。
ルナという存在があればこそ、字も今のままでは駄目だという危機感を抱いたに違いないだろうし、自分の想いを直視することができるようになったのではないか。
ルナもルナで、本心から統魔に好意を寄せているようだったし、その愛情の深さについては疑うまでもない。
香織は、そんな二人と統魔が大好きだからこそ、三人の関係がこのまま上手く進展してくれることを願うのだ。
そして、統魔が仕方なしに二人を連れて部屋を出て行ったのを見計らって、剣と枝連に目配せをする。
「お、おい、まさか……」
「先輩?」
「ふっふっふ、こんなに面白いものを見逃さない手はないのだよ」
香織は、いうが早いか法機を呼び出すと、簡易魔法を発動させた。