第七百十四話 魔界に立つ
幸多たち真星小隊を乗せた輸送車両が第九衛星拠点に到着したのは、午後五時を少し回った頃合いだった。
正午過ぎに出発し、五時間くらい。
「なんつーか、ゆっくりしすぎじゃね?」
「まあ、焦るものでもないし」
「そういうこと?」
「そういうことだよ」
真白が当然のように抱いた疑問に応えたのは、義一だ。
この四人の中で衛星任務の経験がもっとも豊富なのは義一だったし、どんな場合でも彼は頼りになった。
幸多も、義一をとことん頼りにしているということを明言して見せ、彼を苦笑させた。
真白のいうゆっくりしすぎなのではないかという疑問は、輸送車両イワキリならばもっと速度を出せたのではないか、ということである。そして、配置転換は急いだほうがいいのではないか、というのが、真白の意見なのだ。
確かに、もっともだ。
しかし、戦団導士たるもの法定速度を護るというのも大事なことだ、と、義一はいうのである。
特に大地下道を通るのだ。
大地下道での事故は、大渋滞を引き起こしかねないし、大問題となること間違いなかった。
「安全運転を心がけたんだよ、きっと」
「だよね」
黒乃が幸多に続いて車両から降りながら頷いた。
真星小隊四名と龍野小隊六名の合計十名を乗せたイワキリが停車したのは、第九衛星拠点の駐車場である。
衛星拠点は、禍々《まがまが》しく荒れ果てた大地のただ中にぽつんと聳え立つ、巨大な城塞のような印象を受ける建造物だ。
分厚く巨大な城壁によって四方を囲われており、見るからに立派だった。幻魔といえど、生半可な戦力では突破することも難しいのではないかと思えるほどであり、堅牢そのものに見えるのだ。
実際、衛星拠点が致命的な打撃を受けたという記録はほとんどなかったし、そのような場合にも、すぐさま復旧され、状況によっては補強されている。
魔法社会様々というべきか。
そんな堅牢強固な城壁の内側に駐車場があり、そこには何台ものイワキリが停車していた。そして、次々と第七軍団に所属する導士たちが降車しており、荷室から大荷物を運び出していた。
幸多たちも、速やかに車から降りると、荷室から自分たちの荷袋を取り出した。とんでもなく大きい荷袋を抱えたのは、九十九兄弟くらいのものであり、義一の荷物は少なく、幸多の荷物は両者の間くらいの量だった。
「ずっと思ってたけど、荷物、多いね?」
「第八から第七に移籍したからな」
「兵舎の自分たちの部屋にあった物を全部突っ込んだんだよ」
「なるほど」
九十九兄弟の言い分には、幸多も義一も納得するほかなかった。確かにそれならば荷物も膨れ上がろうというものだろう。
九十九兄弟は、つい先程、第七軍団に移籍したばかりだった。第七軍団の兵舎に部屋を用意するほどの時間的猶予もなければ、荷物を移動しきるだけの暇もなかったのだ。
だから、仕方なく衛星拠点まで荷物を運ぶという選択を取ったというわけだ。
幸多は、しかし、軽々と大荷物を抱える二人の様子にはさすがは魔法士だと思わざるを得なかった。幸多から見ても重量のありそうな荷物量だったが、二人は全く問題なさそうに抱えているのだ。
魔法を使えば、どれほどの重量も軽々と持ち運べる。
それは、紛れもなく魔法士の利点であろう。
幸多には、持ち得ないものだ。
「きみたち……」
不意に話しかけてきたのは、龍野霞である。躑躅色のショートヘアが凜とした風情を漂わせる女性であり、見るからに真面目そうな導士だった。
「皆代輝士、特にきみは、今回が初めての衛星任務よね? 勝手はわかる?」
「えーと……」
「隊長はまったくわかっていないと思いますが、ぼくが理解しているので問題ありませんよ、龍野さん」
「隊長? そう、きみたち、小隊を組んだのね」
だから、四人で行動しているのか、と、いまさらのように納得すると、龍野霞は、義一に微笑みを返した。義一の容貌は、いつだって中性的な美しさを湛えている。眼福というやつだ。
皆代幸多が小隊を持つことは当然の成り行きといえたし、理解が及ぶ範囲内の出来事だった。
彼は、先日、輝士になったばかりだ。であれば、自分の小隊を編成したとしてもなんら不思議ではない。
その隊員が伊佐那義一であり、つい先程まで第八軍団の一員だった双子だという事実には驚きを禁じ得ないが、夏合宿で親睦を深めたのだと思えば、納得も行くというものだった。
小隊を組むのであれば、最低限、ひととなりを知っている導士のほうがいい、というのは戦闘部の誰もが思うことでもあった。
能力も性格もなにも知らない導士を小隊の一員とするのは、綿密な連携こそが重要視される小隊において、致命的なものとなりかねない。
もちろん、小隊を組んでから、そのひととなりを知っていくということもあるのだが、それが許されるのはいわゆる通常任務中のことだ。
衛星任務では、難しい。
ぶっつけ本番という事態になりかねない。
だから、幸多がよく知る面々と小隊を組めたことには、霞としても安堵することのほうが大きかった。
霞は、皆代幸多、伊佐那義一の大先輩であり、彼らのことを見守る立場にあるのだ。
「伊佐那閃士がいるのなら、特に心配する必要はないか」
「もちろん、問題ありませんよ」
「じゃあ、そちらは任せるわね。こっちもこっちで色々と大変だから」
「久々の衛星任務ですからね」
「本当よね」
霞は義一に笑いかけながら、部下たちが荷物を下ろしていく様を見ていた。
龍野小隊は、霞を小隊長とする六人小隊だ。しかも元々は四人小隊であり、六人になったのは、つい先日のことだった。
戦団は常に人手不足、人材不足という深刻な病を抱えている。
央都の人口はようやく百万人を超えたが、戦団に所属する導士というのは総勢二万人にも満たない。
中でも実働部隊である戦闘部に所属しているのは、一万二千人余りであり、日々の戦いで減り続けているというのが現状である。
絶望的な現実、というべきか。
だからこそ、戦団は常日頃から入団希望者を募り、特に戦闘部に所属したいと望む人々を探し求めている。
もちろん、戦闘部に所属するということは、幻魔と対峙、戦闘するということだ。それなりの魔法技量が必要不可欠だったし、望めば誰もが戦闘部に入れるというわけではなかった。
しかし、市井には、並外れた魔法の才能の持ち主が埋もれているということもまた、厳然たる事実として存在するのである。
故に戦団は、日々、才能の発掘に勤しみ、発見次第、戦闘部へと勧誘するのだ。
そのような経緯によって入団した新人導士を受け持つことになったがために六人編成の小隊となったのが龍野小隊であり、新人導士たちは、緊張した面持ちで初めての衛星拠点を見回していた。
四方を巨大な城壁に覆われているということもあり、圧迫感を感じることも少なくない。その圧迫感こそが安息に繋がるという事実を理解していても、だ。
頭上には、荒れ放題の青空が広がっている。
義一の目には、気候の安定した央都四市内とは打って変わった荒れ模様だということがはっきりとわかるのである。
膨大極まる魔素が満ち溢れ、故に荒れに荒れて渦を巻いている。
ここは、空白地帯の真っ只中。
魔界のど真ん中といっても過言ではない場所だ。
大地は死に絶え、空気は澱み、気温は異常な数値を示し、なにもかもが狂い果てている。
そんな世界。
幸多は、妙な肌寒さを感じながら、自分の荷物を抱えた。
城壁の向こう側に横たわる無尽の荒野を想像する。
幻魔のためだけの天地が、そこには待ち受けているのだ。
魔天創世によって変わり果てた世界。
幻魔の世界。
故に、魔界。
幸多は、ようやく魔界に降り立った。
魔界のただ中に作られた人類の最前線たる衛星拠点に。
これが、始まりだ。
そう、幸多は確信する。
ここから自分の戦いが本当の意味で始まるのだ、と。
これまでの戦いも、極めて激しく、厳しいものばかりだったが、これから先の戦いはさらに困難なものとなるのではないだろうか。
通常任務よりも衛星任務のほうが遥かに厳しいものだということは、誰もが知っている。
これから約一ヶ月間、この空白地帯のど真ん中に滞在し続けるのだ。
周囲にはなにもなく、頼れるのは五百人あまりの同軍団の導士たちだけだ。
(それと、自分の力……か)
幸多は、荷袋を持つ手に力が籠もるのを認めた。